枯雑草の写真日記2

あの懐かしき日々を想いながら・・つれずれの写真日記です。

大分、臼杵の街を歩く・・臼杵雛の印象

2016-02-28 | 古いもの、昔の人
          大分県臼杵と言えば何を想い浮かべられるでしょうか。
          古い街並、とらふぐ料理、醤油・・近くに有名な石仏群もありますね。
          ♪ 春は名のみの風の寒さや・・
          早春賦の作詩者、吉丸一昌の故郷でもあるのです。この詩は、むろん臼杵ではなく
          長野県安曇野辺りの情景をうたったものと言われますが、吉丸一昌記念館で、
          暫しこの歌の虜になり、臼杵の街を彷徨い始めました。
          近くの臼杵川には春を想わせる陽光がありました。
          やがて切り通しの古い街並。この季節、昔、真光寺という寺の本堂であった建物に
          たくさんの雛人形が飾られていました。
          江戸時代後期、質素倹約を勧める臼杵藩は「紙のお雛さま」しか飾ることを許さ
          なかったそうです。その頼りなさそうな雛たちの何と可憐なことか。
          それから、朽ちかけた長屋門や、藩の上級武士の屋敷の面影を色濃く残す邸宅や
          庭を見ながら歩きました。

















































































久能山東照宮の印象、その2 様式と形象

2016-02-11 | 古い神社や寺で
          この地には、7世紀の初め頃、久能寺と称する寺があり、11世紀の頃まで
          繁栄したと伝えます。戦国時代になり、武田信玄が砦を築きその後、徳川の
          領地となります。東照宮の境内に残る蹴上げの高い石段は砦であった頃の
          遺構であると言います。
          仏教伝来から明治維新に至るまで、わが国は神仏習合の道程でした。
          東照宮に祀られる徳川家康の神号「東照大権現」。この権現という言葉自体
          「仏が「仮に」神の形を取って「現れ」たこと」、を示すものですね。
          東照宮に限りません。日本の神社には、大陸から仏教建築、仏教美術として
          伝わり熟成したものが色濃く反映されていることを感じます。
          明治維新の神仏分離政策は、わが国の思想、文化に対しては少なくないマイナスを
          与えたと思われます。
          この東照宮においても、明治以降、薬師堂は日枝神社に、鐘楼は鼓楼に、五重塔
          は取り払い廃棄に・・なっています。
          東照宮の建築物、構築物の中に残る様式や形象に目を向けてみました。




 壁と透塀の形





 本殿の動物達





 勾欄





 日枝神社(薬師堂)





 唐燈籠の天女(飛天)











 唐燈籠












 透塀脇門の屋根















久能山東照宮の印象、その1 極彩の世界

2016-02-11 | 古い神社や寺で
          東照宮が徳川家康を祀る神社であることは言うまでもないことですが、江戸時代に
          広く日本全国に勧請された各地の東照宮では、その地の状況により、様々な
          神や人が合祀されていることは、あまり知られていないでしょう。
          例えば、日光東照宮は、豊臣秀吉、源頼朝。上野東照宮は、徳川吉宗、徳川慶喜。
          また、他の神社に合祀されたり、境内末社として存在するものを加えると、東照宮
          の数は300社を超えると言われます。(江戸時代には更に多かった・・)

          それはともかく、静岡の駿河湾に面した久能山に、徳川家康が亡くなった翌年の
          天和三年(1617年)に建立されたのが最初の東照宮です。
          ここでの合祀は、豊臣秀吉、織田信長となっています。
          境内の最も奥、高所に家康の墓所(神廟)があり、その下に透塀に囲まれた本殿、
          石の間、拝殿。唐門、楼門、一の門、石段は海岸の一の鳥居まで続きます。
          本殿の横に日枝神社、その下に鼓楼、厳島神社、稲荷神社等が並びます。
          中心となる建物、本殿、石の間(本殿と拝殿を繋ぐ廊下)、拝殿が後に「権現造」と
          呼ばれ全国の東照宮に継承される様式です。総漆塗、極彩色の世界はただ唖然
          とするばかりです。これは19年後の日光東照宮において更に派手なものとして
          極められることになるのでしょう。




 楼門











 拝殿





 本殿























 鼓楼











 稲荷神社











朝倉彫塑館から谷中銀座へ・・

2016-02-01 | 街をあるいて
          東京、台東区谷中にある、彫刻家朝倉文夫の美術館。
          明治の終りから、朝倉文夫のアトリエでもあり住居でもあった。
          大正から昭和にかけて、何度も増改築を繰り返しただけに
          そこには、日本と西洋のさまざまな建築様式が雑居しています。
          日本家屋、日本庭園、西洋建築、屋上庭園・・その様々。
          もちろん、美術館内部は撮影禁止。
          美術館を出て近くの谷中銀座を歩きました。
          そこはまた、違った意味でのさまざまな雑居・・




 朝倉彫塑館辺り









































 谷中銀座辺り