私は令和3年の12月初め、小豆島の霊場のいくつかを巡礼して歩く機会を得ました。その道すがら・・
田浦には明治35年田浦尋常小学校として建てられた校舎が、廃校(昭和46年)後も岬の分教場として残されています
壷井栄の小説「二十四の瞳」の舞台となったと言われるこの田浦分教場は、昭和29年木下恵介監督、高峰秀子主演により映画化、多くの人に知られ感銘を与えることになりました。
この岬の分教場を見て思いました。
「大石先生の、そして十二人の生徒たちの夢や望みや・・そんな、それはそれは大事なものが、廊下や教室の床や壁、そしてこの机に沁み込んでいるように感じます。それらは、時代の波のなかに埋もれたり、散っていったりした・・そういうことが出来る限り無くなるよう、いや少なくなる世の中を望み、助力してゆくことを誓わずにはおれないのです。
巡礼に廻る寺々の仏は多く沈黙のなかにおられるようです。巡礼はその心を感じとり日常の行動に移さねばならないのではないでしょうか。
ここは巡礼の来訪を待っている札所の一つだと私には思えるのです。」
近くに実際とそっくりの分教場がもう一つあります。これは昭和62年の映画化に使用された撮影セットです。
それは教室から輝く内浦湾の波と光が見える場所。それが生徒たちの望みであったかどうかは測りしれませんが、夢のような光景ではあります。
掲げた映像の中ではその情景も混在しています。









田浦には明治35年田浦尋常小学校として建てられた校舎が、廃校(昭和46年)後も岬の分教場として残されています
壷井栄の小説「二十四の瞳」の舞台となったと言われるこの田浦分教場は、昭和29年木下恵介監督、高峰秀子主演により映画化、多くの人に知られ感銘を与えることになりました。
この岬の分教場を見て思いました。
「大石先生の、そして十二人の生徒たちの夢や望みや・・そんな、それはそれは大事なものが、廊下や教室の床や壁、そしてこの机に沁み込んでいるように感じます。それらは、時代の波のなかに埋もれたり、散っていったりした・・そういうことが出来る限り無くなるよう、いや少なくなる世の中を望み、助力してゆくことを誓わずにはおれないのです。
巡礼に廻る寺々の仏は多く沈黙のなかにおられるようです。巡礼はその心を感じとり日常の行動に移さねばならないのではないでしょうか。
ここは巡礼の来訪を待っている札所の一つだと私には思えるのです。」
近くに実際とそっくりの分教場がもう一つあります。これは昭和62年の映画化に使用された撮影セットです。
それは教室から輝く内浦湾の波と光が見える場所。それが生徒たちの望みであったかどうかは測りしれませんが、夢のような光景ではあります。
掲げた映像の中ではその情景も混在しています。








