枯雑草の写真日記2

あの懐かしき日々を想いながら・・つれずれの写真日記です。

先帝祭の雅・・その2 上﨟参拝

2013-09-08 | 古いもの、昔の人
          赤間神宮に到着した上﨟一行は五人五組。
          一番振袖太夫、二番太夫、三番太夫、四番太夫、五番傘留太夫。
          天橋上でもまた拝殿前でも、外八文字歩きを披露。
          拝殿緋毛氈のうえ、三枚歯の高下駄を脱いだ素足の太夫さんの動きは驚く
          ほどのダイナミックさ。周りから「おー・・」と感嘆の声があがります。
          官女、禿(かむろ)に続いて、太夫の参拝。念の入った作法のなか、
          太夫の顔も緊張の色を帯び、輝きを増しているように思えます。
          悲しく厳かな祭事は、時を経て、華麗な活き活きとした祭りに変わって
          きたようです。
          先帝祭りの雅(みやび)。太夫さんとその一行に拍手そして乾杯・・





































































先帝祭の雅・・その1 上﨟道中

2013-09-02 | 古いもの、昔の人
          源氏と平氏の最後の戦い、壇之浦の合戦において、安徳天皇は二位の尼に
          抱かれて海に沈んだと伝えます。
          その後、安徳天皇の御陵が造られ、阿弥陀寺という寺も建てられました。
          それは、今の赤間神宮の境内でした。
          天皇の命日の法要が今に伝わる先帝祭の源となっているのです。
          戦乱をからくも生きのびた女官たちは、幼帝の命日に、当時宮廷に伝わる
          御節舞の五人五組の構成に倣って参拝したといいます。
          その後、時を経て今は遊女の時代の太夫道中の姿を採り入れ、上﨟中心の
          列立となっています。(基本的には、宮女に警固、稚児が従い、上﨟に禿(かむろ)
          が随う列立)
          五人の太夫の一行は、街中の道を赤間神宮を目指します。
          繁華街では、外八文字といわれる独特な歩きも披露し、人々の喝采を浴びるのです。
          
          太夫さんは、日舞の経験豊富な若い女性から選ばれるよう。高校生も多いとか・・
          厳かな参拝道中のなかでも、ふと太夫さんの若やいだ表情がこぼれる・・
          それを中心に追ってみました。

          一行は街中から神宮の水天門を通り、拝殿に向って祭の時だけ架る天橋に
          かかったようです。

          (下関の先帝祭は5月の初めに開催されたものです。ある事情で掲載を見合わせて
          おりましたので時期外れになってしまいました。)