枯雑草の写真日記2

あの懐かしき日々を想いながら・・つれずれの写真日記です。

別所温泉での驚き・・安楽寺八角三重塔 その2

2012-10-27 | 古い神社や寺で
          崇福山安楽寺。天平年間、行基が開いたとも言われますが、鎌倉時代(13世紀)
          臨済宗の樵谷惟仙(しょうこくいせん)の開山というのが明らかなところのようです。
          後に、室町時代以降曹洞宗に変わっています。
          境内の最奥に立つ三重塔は、墓に囲まれており、そのことに違和感を持つ
          人もいるようですが、とにかく独特の雰囲気を醸し出しているように思えます。
          華麗さと安定感・・そうでありながら何処となく軽やかさも・・
          ほぼ開山当時から建つこの塔は、中国から入った禅宗様様式の最初期の
          建物でもあり、そのためか中国の建物のようにも思えるのです。

          この塔を詠った窪田空穂の歌もよく知られるところです。

             「老の眼に観る日のありぬ 別所なる唐風八角三重塔」































































別所温泉での驚き・・安楽寺八角三重塔 その1

2012-10-22 | 古い神社や寺で

          信州上田、塩田平の最奥部にある別所温泉。そこに安楽寺があります。
          寺の本堂にお参りした後、昼でも薄暗い桧、杉の木立の中を少し上ると、
          不思議な形をした塔が見えてきます。まるで、幾重にも重なったキノコの裏
          を見るようです。
          塔は鎌倉時代の中後期1290年頃の建立と推定されています。
          高さ18.75m。杮葺き。外見、四重塔に見えますが、最下階の屋根は裳階
          (もこし)と言われるもので、建築構造上三重塔なのです。
          中国から入ってきた禅宗様に拠った最初期のもので、様式を忠実に守って
          建てられていると言われます。
          初層は二手先組物、二、三層は三手先組物。軒は扇垂木。二、三層の八面
          に連子窓を有します。初層裳階部は出組(一手先組)、台輪に木鼻が付きます。

          我が国に残る唯一の八角三重塔です。(当然、国宝指定)
          まさに驚きと感嘆の入り混じったような塔との出会いでした。
          写真も多く撮りましたので、次回にも載せます。































































深い木曾の谷にすむ・・中山道奈良井宿

2012-10-17 | 古いもの、昔の人
          中山道木曾路は、深い山が迫る山峡の道です。
          奈良井は、難所といわれた鳥居峠の北に位置し、交通の要として江戸期を
          通じて繁栄した宿場です。
          桧物細工、塗物、塗櫛などの木工業が盛んで豊かであったといいます。
          近代以降大火がなく、「奈良井千軒」といわれた江戸末期(天保期)の形式を
          残した町屋が多く見られます。格子、袖壁、鎧庇、蔀(しとみ)、くぐり戸・・・
          内部を公開している家も数軒あり、特に国重文の上問屋手塚家は中庭を
          中心とした瀟洒な造りで、潤いある生活を覗わせるものでした。

          途切れず雨の降る日でした。案内所で傘を借りてゆっくりと保存地区の家々
          を見て歩きました。
          観光に依存する不安も匂わせるものの、美しい家と街に住む幸せも感じ
          させる・・・・・・そんな街でした。






















































































未完成の完成・・前山寺 三重塔

2012-10-12 | 古い神社や寺で
          独股山前山寺(ぜんざんじ)(真言宗智山派)は、信州上田の塩田平を眼下に
          望む独鈷山麓にあります。
          812年、空海が修行場として開創した地に、1331年讃岐善通寺より長秀上人
          が来て寺を開いたと伝えられています。
          参道を辿り山門をくぐると、正面の一段の高みに三重塔が立ちます。
          高さ19.5m、柿葺き。和様と禅宗様の折衷様式。その様式から室町時代
          (1514年頃)の建立と推定されています。
          初層から二、三層の目を移して、驚かされます。窓も扉も無く、また廻廊も
          勾欄もないのです。長い胴貫が四方に突き出ています。未完成の塔なのです。
          そうであっても、むしろ、柱の線が際立って全体の調和が保たれているように
          思えます。「未完成の完成塔」と呼ばれる所以でしょうか・・
          初層の四面と二層の一面に、阿閦、宝生、阿弥陀、釈迦、大日の金剛界五仏
          の額が掲げられています。また初層は禅宗様の特徴であろ象形の木鼻を有し
          ています。

          塔全体から力強さが溢れる素晴らしい塔に出合った印象です。信州の優れた
          塔のひとつに違いないでしょう。(国重文)
          寺の庭のコスモスの間から見える塩田平の風景も1枚加えておきましょう。








































































昔より「見返りの塔」と呼ばれて・・大法寺三重塔

2012-10-04 | 古い神社や寺で
          上田に近い長野県小県郡青木村。塩田平(えんでんだいら)と呼ばれ、
          古くから信濃における政治、文化の中心として栄えた地といいます。
          その塩田平を見おろす山の中腹に大法寺(天台宗)があります。
          お寺には本堂と江戸時代に建てられた素朴な観音堂がありますが、一際尊い
          姿を見せるのは、最奥、岩盤上に置かれた三重塔。(国宝)
          鎌倉時代の終り、1333年の建立。高さ18.56m、檜皮葺き。
          二重、三重は通常の三手先の組物としていますが、初重だけは簡素な二手先
          として、それだけ大きな平面を得ています。そのことが塔全体に落ち付いた
          印象を与えているようです。この手法は、奈良興福寺三重塔にも見られるもの
          で、中央の工匠の係わりを裏付けるものと言われます。

          羅漢が並ぶ細い参道を上がりながら、見えてくる塔を振り仰げば、檜皮の屋根
          の曲線、垂木の直線の並び、その美しさは思わず声をあげるほどです。
          そして坂道を上がれば、均勢のとれた塔の全身も見ることができます。
          昔から、この塔の姿に魅せられ返り道、何度も振り返ったことから「見返りの塔」
          と呼ばれてきたという・・そのことに納得させられます。

          この塩田平と呼ばれた上田周辺。後に紹介する安楽寺の三重塔とともに
          二つの国宝塔があります。国宝三重塔としては、国内最東端に位置するもの
          ですが、いずれも我が国を代表する名塔であることに不思議さえ感じます。
          永年の念願。この地を訪れることができた喜びは大きなものでした。
          門前で見た、この地独特の素朴な石仏の姿も1枚加えておきましょう。