大阪府河内長野市にある檜尾山観心寺(高野山真言宗)。
この寺、古く役小角や空海との縁を伝えますが、実質的な開基は827年、空海の
弟子実恵と言われます。その後、南北朝時代、楠木正成および南朝ゆかりの寺
として知られています。
大阪所用の折、河内長野まで足を延ばしました。
実は、この寺を頓に有名にしているのは、本尊如意輪観音菩薩(国宝)。残念
ながら秘仏、年1回(4月)しか拝観することはできないのです。
山門から長い石段を上ると、百日紅の花の向こうに金堂の広い瓦屋根と赤い柱
が覗えます。
現存の金堂は、室町時代初期後醍醐天皇の命により、楠木正成が建立したと伝え
ます。大阪府下最古の国宝建築物。七間四方、単層入母屋造。和様に禅宗様、
大仏様を折衷した様式。建立以降、度々の修復を受け、昭和59年の大修理は
朱塗りの鮮やかさも復活させ、古さを感じさせません。
特に、幅広い向拝を有し、朱の線の平行する垂木と出三斗上の豊かな色の手挟
(たばさみ)の美しさはこのお堂の白眉だと思わせられます。仏に参り、振り返った
向拝の中で心が彷徨うばかりです。








この寺、古く役小角や空海との縁を伝えますが、実質的な開基は827年、空海の
弟子実恵と言われます。その後、南北朝時代、楠木正成および南朝ゆかりの寺
として知られています。
大阪所用の折、河内長野まで足を延ばしました。
実は、この寺を頓に有名にしているのは、本尊如意輪観音菩薩(国宝)。残念
ながら秘仏、年1回(4月)しか拝観することはできないのです。
山門から長い石段を上ると、百日紅の花の向こうに金堂の広い瓦屋根と赤い柱
が覗えます。
現存の金堂は、室町時代初期後醍醐天皇の命により、楠木正成が建立したと伝え
ます。大阪府下最古の国宝建築物。七間四方、単層入母屋造。和様に禅宗様、
大仏様を折衷した様式。建立以降、度々の修復を受け、昭和59年の大修理は
朱塗りの鮮やかさも復活させ、古さを感じさせません。
特に、幅広い向拝を有し、朱の線の平行する垂木と出三斗上の豊かな色の手挟
(たばさみ)の美しさはこのお堂の白眉だと思わせられます。仏に参り、振り返った
向拝の中で心が彷徨うばかりです。







