枯雑草の写真日記2

あの懐かしき日々を想いながら・・つれずれの写真日記です。

藩士の力の源泉、鹿児島県出水の武家屋敷

2014-12-25 | 古いもの、昔の人
          薩摩藩は藩内の地方統治制度として、多くの藩士を郷士として住み着かせ、
          小さな城下町を形成させる「外城制度」をしいていました。その場所は「麓(ふもと)」
          と呼ばれました。
          薩摩藩が肥後国と国境を接する地に設けられた「出水麓」は、国境を守るという
          意味合いからも麓のなかでも最大規模のものであったといわれます。
          1599年から30年をかけて整備が続けられました。

          広い道路で整然と区画された出水麓、今は「重要伝統的建築物保存地区」に
          指定され、その面影に接することができます。
          街を歩いていると、集まって街路の周囲を清掃する人々の姿を見かけました。
          内部を公開している武家屋敷にお邪魔して、お住まいの方の説明を聞きながら
          見学することができました。
          清々しく、力強いその佇まい。やがて、新しい日本の国造りの中核を担って
          働くこととなった藩士の、その力の源泉を感じとれたように思ったものでした。


















































































芝居小屋への熱い思い、山鹿、八千代座

2014-12-19 | 古いもの、昔の人
          明治時代の終り頃、熊本県山鹿は菊池川の水運と豊前街道による水陸交通の
          要所で、温泉場としても賑わっていたといいます。
          山鹿と言えば、金銀の紙で作られた山鹿燈籠を、女性達が頭の載せて踊る、
          あの燈籠祭りが有名であるかもしれません。
          この街の旦那衆が組合をつくり、明治43年(1910)に建てたのが芝居小屋
          「八千代座」でした。明治、大正、昭和を通じて、歌舞伎、浪花節、活動写真、
          コンサートなどにに利用されてきました。昭和前期の出演者には、松本幸四郎、
          長谷川一夫、辻久子、谷桃子、淡谷のり子の名も見られます。
          昭和30年代以降の、人々の娯楽嗜好の変遷により昭和48年に閉鎖。
          建物の老朽化も進むなか、それを惜しむ人々により昭和61年復興運動が起こります。
          昭和63年に国重文指定の後押し、平成8年の大修理を経て、平成13年に竣工式、
          再出発を果たし現在に至っているのです。

          1階は木の棒で仕切られた枡席と桟敷席、2階は桟敷席よりなり、建設当時の
          定員は1階830人、2階444人。(当時の人は小さかった・・枡席1区画に8人。)
          現在は約650人を収容します。
          ドイツ製の車輪で動く回り舞台とセリ、花道にはスッポンを備えています。
          天井全体を占める広告画には驚かされます。旦那衆が組合をつくって建設した証。
          建設当時の広告が復元されています。その中央には復元された真鍮のシャンデリア。

          台湾(中華民国)からの団体が、舞台に並んで日本の歌を唄い写真に収まっていました。
          九州に残る古い芝居小屋。私にとっては9月の飯塚、嘉穂劇場に次ぐ2つ目の訪問。
          雄弁な解説に耳を傾け、天井いっぱいの広告を見上げ、芝居小屋への熱い思い
          を感じたものでした・・