岡山県で、全国にその名を知られる神社として、先ず第一には吉備津神社
があげられるでしょう。
この神社は、元々吉備国の総鎮守でしたが、吉備国が三つに分かれたため、
備中国の一宮とされたといわれます。
因みに、備前国の一宮は吉備津彦神社、備後国一宮は福山の吉備津神社が
あてられています。ちょっと紛らわしいですね。
主祭神は、第七代孝霊天皇の第三皇子、大吉備津彦命を祀ります。
歴史を見れば、大和と九州筑紫の中間、或いは大和と大陸との中継地として、
この吉備の国の政治的、文化的重要性は明らかですね。この地に有力な神が
鎮座したのが分かる気がします。
今見る本殿は、室町時代の1405年、足利義満が再建したものと言われ、
入母屋造の屋根が並ぶ比翼入母屋造と呼ばれる独特なもの。随所に仏教建築
の影響が色濃く感じられます。そう・・昔は神と仏は一体だったのですね。
本殿の前に立てば、吉備の国の祭りの様に圧倒される思いです。










があげられるでしょう。
この神社は、元々吉備国の総鎮守でしたが、吉備国が三つに分かれたため、
備中国の一宮とされたといわれます。
因みに、備前国の一宮は吉備津彦神社、備後国一宮は福山の吉備津神社が
あてられています。ちょっと紛らわしいですね。
主祭神は、第七代孝霊天皇の第三皇子、大吉備津彦命を祀ります。
歴史を見れば、大和と九州筑紫の中間、或いは大和と大陸との中継地として、
この吉備の国の政治的、文化的重要性は明らかですね。この地に有力な神が
鎮座したのが分かる気がします。
今見る本殿は、室町時代の1405年、足利義満が再建したものと言われ、
入母屋造の屋根が並ぶ比翼入母屋造と呼ばれる独特なもの。随所に仏教建築
の影響が色濃く感じられます。そう・・昔は神と仏は一体だったのですね。
本殿の前に立てば、吉備の国の祭りの様に圧倒される思いです。









