枯雑草の写真日記2

あの懐かしき日々を想いながら・・つれずれの写真日記です。

古き街並の蘇り、赤穂 坂越 大道

2010-07-29 | 古いもの、昔の人
          兵庫県赤穂といえば、云わずと知れたあの忠臣蔵の浅野家の居城があった所。
          その赤穂の東部の坂越湾に面した港町が坂越(さこし)。
          天然の良港に恵まれ、西廻り航路の廻船業の拠点として古くから発展したと
          いいます。坂越の中心街は大道(だいどう)と呼ばれます。
          坂越浦会所は、赤穂藩主の茶屋、また村の会所として明治まで使用されてきた
          もの。現在の建物は江戸後期(1831)の建築。
          奥藤酒造、今も現役、地酒「忠臣蔵」の醸造元。江戸初期に建てられた酒蔵
          が並ぶ。
          この大道の街並みは最近整備され、それは見事に蘇った。あまりの清潔さは
          生活臭までも消し去ってはいないか・・。それとも、江戸時代の日本の街は
          かくも整然と美しかったのであろうか・・と。





































































山巓に独り立つ・・、備前 福生寺 三重塔

2010-07-26 | 古い神社や寺で
           岡山県備前市大内の大滝山福生寺(ふくしょうじ)(真言宗)。
          国道2号線から北へ、熊山の中腹に2kほど。その昔、唐僧、鑑真和尚が修行
          の道場としたと伝える所。
          最初の現れるのが仁王門。江戸時代初期の建立とされており、風格のある門
          です。背面中央間内側に蟇股を飾る珍しい形式。
          少し行くと谷川に沿って賽の河原。趣ある奉納石仏群に出会います。
          本堂の背後の山道を上った高みに、下界を見おろすように建つ三重塔。

          室町時代(1441年)将軍、足利義教により建てられたと伝えます。
          総高19.7m、瓦葺き。初層中備えは、三間とも凝った形の蓑束(みのつか)。
          軒の出も深く、軒先の反転が目立つ塔です。
          昭和20年代の大改修によって、新たに置き換えられた木材。見上げると、
          古材の中で、その白い木肌が独特の雰囲気を造っていることに気付きます。
          昔は、この塔の近くにも多くの堂宇があったといいますが、今は山中に独り立つ
          弧塔です。取り巻く山の緑の中で、何処となく寂しげな風情でした。


















































































囲炉裏のほとり・・、四国の古い民家で

2010-07-23 | 古いもの、昔の人
          それは、夏の陽光の厳しい暑い日でした。
          四国と言えば、私にとって遍路の地ですが、
          軟弱者は、この季節には遠慮します。
          高松の屋島の山裾の森の中に、
          四国のいろいろな所から移築された、
          民家があるのです。
          「四国村」といいます。
          砂糖しめ小屋とか楮(こうぞ)蒸し小屋とか、
          農村歌舞伎の舞台とか・・ちょっと他では
          見られない建物もあるのですが、
          多くあるのは、山村の農家。
          板の間の中央には、決まって囲炉裏があって、
          じじやばばや、あんちゃんの静かな語らいが
          聞こえてきそうです。
          「来たことのある、はじめての場所」
          これは四国村案内書のことば・・。


























































出雲大社参詣のための駅があった・・旧大社駅

2010-07-20 | 古いもの、昔の人
          出雲大社にお参りするために、西日本旅客鉄道(JR西日本)の路線があり
          ました。島根県出雲市から出雲大社のすぐ傍まで。大社線といいました。
          その終点の駅が大社駅です。
          明治45年(1912)に開業、平成2年(1990)に廃止されるまで、78年間
          多くの参詣客を出雲大社に送りました。1951年から10年間、東京から
          直通の急行列車「出雲」が運行されたこともありました。ああ、この出雲と
          いう列車の名前、微かに覚えていますね・・。
          この旧大社駅は、大正13年(1924)改築された二代目駅。
          木造平屋441㎡。出雲大社を模した造りで、「大社造り」とも呼ばれます。
          その豪壮な造りにも惹かれますが、嘗て多くの参詣客が、心躍らせて駅に
          降り立ち、ふっと見上げたり、休んだりしたであろう、駅としての機能の名残り
          に一層の執着を覚えますね。
          この建物、駅としての役割を終え、もう20年にもなりますけれど、国重文に
          指定され残されているのです。それを見るために、けっこうな人がやって
          来ます。何か、皮肉な気もしますね。
          大社線の線路が少しだけ残されています。その鉄路の先を見渡すと、
          長い時の彼方につながっているような錯覚を覚えます。この線路の上を列車
          がやってくることは、もうけっしてないのですが、それをいつまでも待っている
          ・・そんな駅に思えます。












































































木の命を見る・・ 尾道、天寧寺三重塔 

2010-07-16 | 古い神社や寺で
           尾道の古寺めぐりは、尾道駅の近くから始まり、東へ24の寺を巡りますが、
          そのほぼ中央にあるのが天寧寺。24の寺のうち、塔婆を有するのは、この寺
          のほか、三重塔が西国寺に、多宝塔が浄土寺にあります。
          いずれも以前に紹介させていただきました。実は、この天寧寺三重塔もづっと
          以前に載せたことがあります。何度訪れても、その度に新たな発見があり、
          感動がある・・、私にはそう感じられます。

          天寧寺は1367年開山の曹洞宗の大寺で、五重塔が建立されたのが、1388年。
          その後1692年、傷みが激しく大破した塔の上二層を撤去し、今に見る三重塔と
          して改修されたものといいます。その大胆な決断には、驚きを禁じえないですね。
          そう言えば、三重塔にしては、厳つく重い感じ。様式は和様を基調に、扇垂木
          など禅宗様を濃厚に採り入れたもので、軒下から見上げると、その木組みの
          中に宿る、木の命を見る思いがします。

          尾道の古寺めぐりのコースは、この寺の下を通っています。従って、コースを
          辿っている限り、この塔を仰ぐだけで、塔の全体を見ることはできないのです。
          ロープウエイに拠らず、歩いて千光寺への道を登り降りして、初めて、水道と
          尾道の街並みをバックにした、この独特の三重塔の姿に出会えるのです。
          この道で、ロープウエイの山頂駅から、下ってくるハイキングの人達によく会い
          ます。「この塔ねー、昔は五重塔だったんだって・・」きまって、そんな声が聞こ
          えてくる坂道です。