広島湾に浮かぶ江田島の一つの尾根、三高山に明治時代の遺跡が残されています。
明治30年代、ロシアとの国交が危うくなりバルチック艦隊の進行を阻止する
ため、この場所に砲台が築かれました。
総面積6万坪に及ぶ敷地は西日本最大規模であったと。
幸い、実戦で一発の弾を発することなく大正8年に廃止されます。
砲台跡、弾薬庫、設備庫、監視所、兵舎・・砲台を繋ぐ伝声管の丸い穴が生々しい。
枯葉に覆われたこの色のない世界の只中に入ると、限りない空しさと
恐怖の気持ちに襲われます。
この遺跡は、土木技術の遺産として認められ保存されていますが、
人間の為した負の遺産としてのアッピールに期待したいと思います。
そんな恐ろしい遺跡です。
明治30年代、ロシアとの国交が危うくなりバルチック艦隊の進行を阻止する
ため、この場所に砲台が築かれました。
総面積6万坪に及ぶ敷地は西日本最大規模であったと。
幸い、実戦で一発の弾を発することなく大正8年に廃止されます。
砲台跡、弾薬庫、設備庫、監視所、兵舎・・砲台を繋ぐ伝声管の丸い穴が生々しい。
枯葉に覆われたこの色のない世界の只中に入ると、限りない空しさと
恐怖の気持ちに襲われます。
この遺跡は、土木技術の遺産として認められ保存されていますが、
人間の為した負の遺産としてのアッピールに期待したいと思います。
そんな恐ろしい遺跡です。