「片麻痺お気楽日記」左半身麻痺 主婦の日記

産後の脳出血での左半身麻痺主婦。日々の生活や、半身麻痺さんへのお役立ち情報等。

片麻痺だって、やりゃあ出来るのよ!

2005年04月07日 12時27分25秒 | 片麻痺初心者さんへ

今日から短大生の娘が学校に行きました
でも、後ろでPCのキーボードを叩く次男がまだいる~
今朝は、久々にお弁当が2個でした。来週からは3個になります

↑のタイトルだけど、“片麻痺だからって、諦めるな!”って事です
そりゃ、私も普通の生活出来ないって、最初は落ち込んだもんだ
けどね、ある日、気付いたの
ベッドで寝たきりだったのに、今じゃ自分で動けるじゃんって(車椅子乗ってた頃)
湯布院の病院での経験も大きかった

「とどめ」は、ある重度の脳性マヒの女性の講演を聞いた事かな
私の中に、出来上がりつつあった、“これからの人生の設計図”が確固たる物になった
出来ない事を考えるより、どうやったら出来るかを考える
って事が大事だって

毎日、試行錯誤で家事をしてた。リハの家事訓練では、“洗濯物の干し方のコツ”なんて、
習わなかったもん。でも、毎日、自分で試して、工夫して…。
当時はパソコンなんて、家に無かったから、情報も乏しくて…
今は、多くの片麻痺の人が、HP上で情報を公開してくれてるし、
「介護」の意識がメディアでも広まって、検索すれば、写真付きの解説もある

たっくさんの人達の支えと励ましがあったから、今日があるんだけど、
実行してきたのは、まぎれもなくこの私なんだから…

諦めなかった、諦めたくなかった29歳で人生終わりにしたくなかった
夫や子供達と共にいたかったただそれだけ…。
きれいごとばかりじゃ無かったけれど、このままじゃ終われないの気持ちだけだった。

人生って、考え方次第で、良くも悪くもなるんだよね
片麻痺って、身体が半分自由にならないだけ、って思ったら、
まだ右が動くんなら、何とかなるよねって思えた。

こんな風に考えられて、私は幸せ者だと感謝した。
病気するまでの29年間は、『病気するまでの準備期間だった』のだ、とまで思えた

ここまで考えられるまで、そりゃ時間はかかったし、どれだけ泣いたかわからない
でも、苦しかったのは、私だけじゃない夫も子供達も、家族も皆が苦しかったんだよね
だから、これ以上、自分も周りも苦しんだり、悲しんだりは「ナシ」にしようって思った。

私が元気でいる事こそ
周りや、お世話になった方達へ恩返しなんだよね。
生きてるだけで丸儲けなんだもん。
これからの人生後半、いろいろやりたいです

今夜は『宮廷女官チャングムの誓い』があるわ益々面白くなってきたよ。
『フルハウス』の続きも観たいし…。

肩の力を抜いて、小さな事でも喜べる人生を送るのでありま~す

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