今日はこの度の旅行記の最終章です。
何だかとても嬉しい!ホッとした気分です。
長い間、拙い旅行記にお付き合いくださいまして、本当にありがとうございました。
では始めます。
二日目に、私達が向かう名所は、小諸城址懐古園へ。
私にとっては初めての場所ですが、「小諸」と言う響きには、何だか懐かしささえ覚えてしまいます。
私達の年代なら誰しも、親しみを感じる詩人・小説家、島崎藤村と、密接な関係がある場所だからでしょうか。
まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の 花ある君と思ひけり
やさしく白き手をのべて 林檎をわれにあたへしは
薄紅の秋の実に 人こひ初めしはじめなり
「初恋」というこの七五調リズムの詩を好きになり、、暗唱しようと努力した時期がありました。
「破壊」や、「夜明け前」も手にし、藤村には、とてもよいイメージが私はあります。
ですから、小諸と言う地名に惹かれた旅でもあったのです。
小諸は、藤村の故郷ではなく、小諸塾で、教師として6年間在住。
この時、「破壊」などの作品を寄稿しています。
小諸懐古園の中に、「島崎藤村記念館」があり、是非寄りたかったのですけれど、一緒に行動を共にしていた一人旅の二名の方は関心を示されませんでした。
一人で皆から離れて行動すると、広い園内の事。
迷わず、一人で集合場所に戻る自信は全くなくて諦めました。
とてもとても残念なことでした。
大手門
京都の二条城を訪ねたときは、その広さに驚かされましたが、小諸城の跡地の広さは、その比ではありません。
小諸城の起こりは、1487年信濃守護小笠原氏の流れをくむ大井光忠が築いた鍋蓋城であるといわれています。
1554年、佐久地方を制圧した武田晴信(のちの信玄)が小諸城を拡張整備し、1591年に小諸城に入った仙石秀久による大改造を経て、現在の姿の小諸城が出来上がったとのこと。
1702年、越後(今の新潟)より、牧野安重が入ると、明治維新を迎えるまで牧野氏の居城となったけれど、維新後は廃墟処分となり、荒廃していく一方だったようです。
旧小師藩士たちがそれを憂い、資金を集め。。小諸城を払い受け、本丸跡に神社を作り、花木を植えて公園にし、懐古園と命名したとのことでした。
園内には、動物園もあるので、子供連れでも楽しめますね。
余り研究熱心とは言えない私です。
いい加減な説明でごめんなさい。
間違っていたら、お許しくださいね。
そして、この由緒ある公園内は、今では日本桜名所100選の一つになっています。
城内の史跡を地元のガイドさんの説明を受けながら見て回りましたが、長くなるので画像のみにします。
このたびの旅行はお花見が第一の目的ですから。
余り欲張りすぎても、私の老化した頭では消化しきれません。
100選と言われるだけあって、さくらで埋め尽くされたよな公園内でした。
まさに見頃の満開。
どこもかしこも、桜、桜、桜。
特に感激したのは、浅間山が望める場所の桜。
表示によると、そこは二の丸の跡地のようでした。
そこから展望できる景色の、なんと素晴らしい事。
満開の桜が額縁のようになって、視界が開け、その遥か遠方に、活火山とは思えない優しい山容の、まだ雪を頂いた浅間山が見えました。
雨上がりの澄んだ空気の中、青空、浅間山、桜が柔らかな春の光に包まれて一体となった光景は、得も言われぬ美しさと穏やかさ。。
まるで天国のようだと、私は思いました。
もう一つ、千曲川を望める展望台に立ったっときの感動も忘れられません。。
藤村の「千曲川のスケッチ」「千曲川旅情」などの作品のせいでしょうか
私にとっては、憧れの河川です。
余談になりますが、私にはもう一つその様な川があります。
「北上川」
高校時代、ダークダックスが歌う「北上夜曲」が大好きでしたから。
千曲川旅情
小諸なる古城のほとり 雲白く遊子(いうし)悲しむ
緑なすはこべは萌えず 若草も藉(し)くによしなし
しろがねの衾(ふすま)の岡辺(おかべ) 日に溶けて淡雪流る
あたゝかき光はあれど 野に満つる香(かをり)も知らず
浅くのみ春は霞みて 麦の色わづかに青し
旅人の群はいくつか 畠中の道を急ぎぬ
暮行けば浅間も見えず 歌哀し佐久の草笛(歌哀し)
千曲川いざよふ波の 岸近き宿にのぼりつ
濁(にご)り酒濁れる飲みて 草枕しばし慰む
私は、お花見はむろん、藤村ゆかりの小諸を訪れ、浅間山と千曲川に出合えただけで、もう大満足でした。
この後、またバスに乗り、お昼食場所へと。
坂道を降りたところに、郷土料理のお食事処がありました。
ヤギさんがお出迎えとお見送りをしてくれました。
小諸懐古園の観光、お昼食を済ませ、寄った最後の観光スポットがもう一つありました。
それは、龍岡城五稜郭。
とても地味で、見落としてしまいそうな場所にあります。
けれど、私には印象的な観光でした。
このお城の城主に、とても心惹かれたというべきでしょうか。
五稜郭と言えば、函館のが有名ですが、、日本には二つしかありません。
もう一つのこの洋式城郭が、龍岡城五稜郭です。
お城の跡地には、お台所以外、史跡はほとんど残っていませんでした。
観光名所にしては、あまりに地味な佇まいでしたが、ここのお殿様の業績はなかなかのもの。
そのうえ容貌が魅力的。(笑)
わが国では珍しい五稜郭を建てようとした、このお殿様のこだわりと夢が、私の胸を打ちました。
幕末の戦乱で、資金不足に陥り、夢通りにはいかなかったようですが。
陣屋格でお城を持つ資格はなくて、陣屋として、この龍岡城を造営したようです。
頭脳明晰な人で、幕末の幕府で老中格として活躍。
明治政府にも出仕し、副長官、総裁にもなった人のようでした。
何と赤十字社の前身、博愛社設立に貢献した一人に当たられるとのこと。
歴史上の人物としての華やかさはないけれど、私はとても心惹かれてしまいました。
御台所の屋内
その当時の台所が、保存されているだけの観光スポットでしたが、訪ねて本当によかった。
一瞬でも、お殿様の供養ができた思いになれました。
今、その五稜郭の跡地は小学校になっています。
お殿様はさぞ満足し、天国から子供たちを見守っておいでのことでしょう。
右がお台所の外観 左の建物が小学校
これをもって、この度のツアーによる観光は終了。
一路、東京に向かってバスは来た道を走り抜けました。
浅間山、八ヶ岳など、最後の見納めとばかり、眺めながら。
良い旅だったと、しみじみとした感慨に浸りました。
一人旅のように、見たいところを心行くまで味わうと言うわけにはまいりませんでしたけれど。
ツアーにしては、のんびりゆったりとした旅で、ホテルライフも楽しめ、休養も十分とれました。
ツアーの時は、この旅行社の旅を、今後も楽しみたい、と願っていますが・・・・・・。
妹は高すぎると言って敬遠。
ホテルへのこだわりも妹はありません。
旅の楽しみ方は、本当に人それぞれですね。
私も利用するとしても、年に1~2回。
夫の墓参の遠出も度々あるので、数少なくても、私の身の丈にあった私流の楽しみ方をしたいと願っています。
珍しく長い更新で、少々疲れました。
やはりしばらくお休みを取らせていただきます。
貴重なお時間を割いてまでお立ち寄りくださいました皆様、本当に有難うございました。
たくさんの温かな応援にも、心より感謝申し上げます。
ご訪問有難うございました。
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花のように泉のように