次女宅で塾に出かける前のおやつの用意をし、二人でおしゃべりしているときに、K君が言いました。
「そうだ、おばあちゃんにお土産がある」と。
いつもの優しい顔で、目を輝かせて。
とは言っても、今はメガネをかけているので、その優しい瞳が隠れているかのよう。
いつもちょっと残念に思う、ばあばなんですけれどね。
そして手渡されたのが、星野富弘の絵葉書セットでした。
私もよく知っていて、心惹かれる人だったけれど、この方の作品に親しんだことはほとんどありません。
それだけに嬉しくて感激。
一枚一枚のはがきに、清々しい雰囲気の水彩画と感動的な言葉が記されています。
その言葉は、正に箴言といった感じで、心に染み入るかのよう。
小学校六年生にしては、何と気が利いた素敵なお土産でしょう。
ママの助言でもあったのでしょうか。
K君たちの修学旅行先は、日光。
星野富弘美術館は、そこへ向かう交通ルートから少し外れた群馬県のみどり市東町にあります。
詳しい事を知りたくて、ネット検索で調べたところ、そこは星野氏の生まれ故郷でした。
中学教師をしているときに、事故で脊髄を傷め、半身不随に。
八年の入院生活を終え、故郷に戻り、その不自由な体で制作し続けた水彩画やエッセイ。
それらの作品が、その美術館には、展示されています。
六年生の小学生たちは、富弘氏の作品を、どんな気持ちで眺め、鑑賞したのでしょうか。
妹の話では、都内の小学校のほとんどは、就学旅行は日光のようです。
恐らく、いずれの学校でも、この美術館が、行き先のコースに織り込まれているのかもしれませんね。
六年生と言えば、思春期に差し掛かる一歩手前の年齢です。
まだ純真そのもの。
K君を見ていても、それがよくわかります。
富弘氏の水彩画と、言葉を目の前にして、子供たちは、柔らかな素直な心で何を感じたのでしょうか。
受け止め方は、生徒一人一人異なったでしょう。
何も感じないで、素通りしただけの子も、大勢いたかもしれません。
K君のママが、学生時代に贈ってくれたお誕生日プレゼントのフォットプレートとお裁縫箱です。
長女のMちゃんからだったかしら?
余りに遠い記憶ゆえ、おぼろです。
でも私は、修学旅行のコースに、この美術館が選ばれていることに、とても感動しました。
子供たちの心に、その印象は、きっと深く刻まれたはずです。
成人したときに、この美術館を再度訪問したいと、いつかきっと思う事でしょう。
そのきっかけを作っただけでも、素晴らしい修学旅行の実りだと、私は思いました。
私も、元気なうちに、日光へまた訪れ、その時には、是非この美術館にも寄りたいものです。
K君のお陰で、そんな思いになる機会を与えてもらえた事が嬉しくて・・・・・・。
ところが、この話には、チョッとした落ちがあります。(笑)
K君のお土産の星野富弘氏の絵葉書セットを、一枚一枚手に取り、感激しているときに、K君が言いました。
「おばあちゃん、その中から、どれでもいいから、一枚選んでね」と。
「たったの一枚!」
「たった」といった言葉を直接K君に投げかけたかどうか、記憶は定かではないのですが。
その時の私の気持ちは、その通りでした。
私の反応から、きっとK君は敏感に、私の思いを感じ取ったに違いありません。
心無い私の態度でした。
K君はちょっと困ったような顔。
私はしまった、と思い、すぐ心を入れ替え、気持ちを込めて「ありがとう」を言いました。
あちらのおじいちゃま、おばあちゃまにも、選んでもらい、その絵葉書をお土産にするそうです。
K君の部屋
就学旅行のお小遣いは3000円と決められているようでした。
それで、家族全員に地元のお菓子、パパ、ママ、妹のかれんちゃんにも、それぞれ個々のお土産。
その上に、両家の祖父母にまで。
少ないお小遣いで、頭をひねりながら苦労してお土産を選ぶ、K君の姿が想像できました。
一枚では物足りないと言っては、あまりに可哀そう。
そう思うと、その一枚の絵葉書への愛しさが数倍に膨らんでいくようでした。
絵葉書に書き留められた言葉は、一枚、一枚、本当に素晴らしくて、その後、選ぶのに迷ってばかりの私でした。
結局、週末に訪ねたときに、再度見て、その一枚を決定することにしました。
その様にして選んだのが、上にアップした画像の絵葉書です。
K君、本当に有難う。
星野富弘美術館を教えてもらったことも、素敵なお土産でした。
もう一度ありがとうを言います。
ご訪問、温かな応援、本当に有難うございます。
花のように泉のように
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