入梅したものの、その後まだ一度も雨をみない当地です。
(昨日の早朝、お湿り程度の雨がありました)
空梅雨になると、それはそれで心配なことですから、梅雨らしい適度の雨量は望む私ですが。
いつも六月の中旬に決まって毎年開かれる同窓会の日ばかりは、雨が降らないでほしい、と私は強く願います。
なぜって、私の髪の毛は雨にとても弱くて、セットがまったくもたないからです。
湿気のせいで、まるで鳥の巣のようになってしまうのです。
くせ毛だからでしょうか。
美容院の方には、年齢の割には髪が多く、質も良い、と褒められるのでけれどね。
その同窓会が、一昨日ありました。
心配したお天気は、風一つなく、爽やかな好天。
ホッとしました。
いつになく、念入りに身支度を整え出かけた私です
白の七分袖の上着に黒のスカート、黒が基調の太めのネックレスにやはり黒が基調のエルメスのイヤリング。
そんな出で立ちでした・
いくら年を重ねても、モノトーンの服装が好きな私。
恥ずかしいですが、すべて十数年前に購入したものばかりです。
そういえばネックレスだけは、昨年買いました。
高価なものではありません。
残念なことに、カメラを持っていくつもりで、準備しておきながら、私は家に置き忘れてしまいました。
そのため、、今日の記事には、その写真を載せることができません。
仕方なく、過去の同窓会の記事の画像を数枚コピペして、こちらに貼り付けます。
今回は、場所も参加メンバーも、この画像とほとんど変わりありませんでした。
この度の会のお知らせの時に、同窓生の訃報がありました。
違うクラスの方でしたから、お名前だけではお顔が浮かばなくて、実感が湧きせんでしたが。
同窓会の席で、私が皆さんにお配りした写真で、どの方か教えてもらい、驚きショックを受けました。
前回、出席したとき、私の斜め前に腰かけておられた方だったからです。
NHKの技術部で今なおか活躍しておられる、と聞いていました。
とても寡黙な方で、周りがお酒の酔いで、談笑に乗りが乗っているときも、聞き役で静かな佇まいを崩されませんでした。
そのためか、私の心に、その同窓生の印象が深く刻まれていたのです。
もっといろいろお話ししてみたかったと、何だかとても残念で、寂しい気持ちになりました。
私達の年齢になると、思いがけないご逝去の知らせはむろん、病気その他の理由で、出席人数が一人欠け、二人欠けと、次第に減っていくのは致し方ない事なのでしょうね。
私も、夫の介護で家を空けられず、しばらく出席できませんでした。
毎年、メールのお知らせのみならず。個人的なお電話で、お誘いも受けるのですが、欠席はやむを得ない事でした。
私にとっては,三年ぶりの再会でしたが、出席された皆さんはお変わりなくお元気そうでした。
同窓会と言っても郷里の事ではありません。
場所は、同窓生幹事の友人が経営する新宿の地下街の中華料理店。
総人数、15~6名だったでしょうか。
女性はたったの3名。
出かけるときは、決してルンルン気分と言うわけではないのですが、参加すると、いつも来てよかった、と心から思えるのですよね。
同窓生と言えども、五クラスありましたから、中高時代は、言葉を交わしたことさえない人が、ほとんど。
でもその若い時代を同じ学び舎で共有した人たちに会えた時の懐かしさと感慨。
それは、言葉ではうまく言い表せないのですが、特別なものがあります。
私は多少耳が遠いせいか、賑やかな席では相手の話し声がよく聞き取れなくて、情けない思いをするのですが。
自分の席を離れ、途中から私の向かい側に腰かけられた同窓生の~君。
今なお、設計士として活躍中。
去年の六月は彼が設計した伊豆のホテルで同窓会が開かれ、宿泊料はただ同然だったとの事。
みんなが、とても感謝していました。
私が安藤忠雄氏の話題を持ち出すと、色々この方のエピソードを聞かせてくれました。
個人的にも話ができる間柄のようです。
私は自分は右脳人間の典型だと思っているので、クリエイティブな業界の話題なら興味津々。
三十分くらい、二人で話し込んでしまいました。
でも悲しいかな、彼の話し声さえ、聞き取れたのは半分くらい。
周りの騒々しさにかき消されてしまいます。
いよいよ補聴器が必要かしら?
数時間の楽しい同窓会も、たちまち時間が経過し、お開きの時間に。
記念写真を、友人が撮ってくれました
来年も元気で会いましょうと言葉を交わし、数名の方とは握手までかわしました、
元気での言葉には特別、力が入り心がこもります。
高校時代の一番の親友だった彼女も数年前、突然亡くなりました。
今も寂しさが、まだ癒えないままです。
そのあと、Oさんのお誘いで、二人で新宿駅の構内の階上のカフェで、一時間以上お喋りに再度花を咲かせました。
その時の彼女の最後の感想は、やっぱり女同士のおしゃべりが一番楽しいわね、と。
確かに、話題に共通点が多く、彼女が言う通りかもしれません。
彼女から 身にに余るお褒めの言葉もいただきました。
素直に嬉しく、心の励みになりました。。
「貴女はどんなに大変な時でも、ニコニコしていて穏やかな雰囲気を変えないで、感心だわ、と。
愚痴を聞いたことがないし。
数年前にあった時も、大変な苦労をしているようには全然見えなかったもの」
「今も、肌が輝いていて、しわもなくて、元気そう」と。
過剰な褒め言葉で、恥ずかしい限りでしたが、私はそれに対して次のように言いました。
「私は、とても疲れやすくて、体力がないのよ。
明るい気持ちで日々を過ごさないと、すぐぐったりしてしまって。
辛くなるだけなの。
だから、どんなに大変な時でも、一刻一刻の充実を心掛けようという気持ちだけは、忘れないようにしているの。
愚痴を言うと、苦労が倍増するだけでしょ。
素敵に過ごそう、といった気持ちさえ失わなければ、どんな苦労も乗り越えられると思うの、と。
目先に小さな目標を設定して、一つ一つそれをこなしながら、自分を元気づけて暮らしているの」
Oさんは、心から頷いて、耳を傾けてくれましたが・・・・・・。
彼女の方こそ、三人の男の子をりっぱに育て上げられ、お嫁さんたちへの優しい気配りも忘れないひと。
感心することばかりでした。
おおらかで、ゆったりした人柄に一見見えますが、社交も実に見事。
私が足元にも及ばない、明るさと話術の巧みさがあります。
中高時代はクラスも違い、ほとんど話も交わしたことがない人でしたが、今はとても意気投合できる良き友人です。
「女性の参加はなぜか少ないけれど、~さんは今後も必ず出席してね」と強く言われました。
「元気なうちは、また会いましょう」と答えて、別れた私達です。
ハレル監督の通訳さんは、向かって左端の同窓生の次男さんです。
翌日はさすがに疲れが残り、午後から二時間も、お昼寝。
夜はサッカーの応援。
ハレル監督の通訳の人は、実は私のとても親しい同窓生の息子さんです。
フランスに留学し、フランス語が堪能なようです。
年賀状に、彼の自宅にいるハレル監督ご夫婦が映っていました。
勝つ事は残念ながらできませんでしたが、いよいよ王手ですね。
オースラリア戦の勝利を信じています
最後は余談でしたが、同窓の友に関連したことでしたので、一言語らせていただきました。
更新は、ますます不規則になると思いますが、宜しくお願い致します
シニアーブログにも、10パーセントのみですが、また参加させていただくことに致しました
花のように泉のように