久しぶりの翻訳劇。
アーノルド・ウェスカー作、木村光一翻訳の「根っこ」
場所は赤坂見附の赤坂RED/THEATERというとっても小さな劇場。
なんと一番前の席
舞台までの距離は1mもない・・・
いつも舞台を観に一緒に行ってくれる友人は、同じ山形県出身ってこともあり、渡辺えりさんが大好き
渡辺さんが出演する舞台は演劇でも音楽でもほとんど観ているはず。
私は、演劇だけご一緒させていただく
ほとんどは、渡辺さん脚本・演出のモノだけれど、今回は出演のみ。
主人公ビーティを演じる占部房子さんのお母さん役。
ホントにいい味を出してらっしゃった
舞台となるのは、1950年代後半の英国の片田舎。
大都会ロンドンで暮らす主人公ビーティが帰省するところから始まる。
社会主義者の恋人が数日後に彼女の実家を訪れることになっており、
一足先に帰ってきたのだが、恋人の思想にすっかり感化されている。
保守的で無教養な家族にいらだち、進歩思想をぶちまけるけど、
すべて、彼の受け売りで自分の考えはどこにもない。
ってことに本人も気が付いてない・・・
家族の意識を変えようとしゃべればしゃべるほど、家族は「あらあら、困っちゃったわねえ」って感じ。
彼の裏切りで怒りを爆発させ、あふれ出る感情を言葉にするうちに、
初めて自分の思うことを自分の言葉で表現することができたことに気付く・・・
「自分の存在にはっきりと誇りをかんじさせるもの、それが根っこ。
私達にはそれがない」
彼女の心の叫びなのだけれど、う~ん、難しい・・・
いつものことなのだけれど、社会科が苦手だった私は
海外の時代背景などには、まるっきり弱いので、この時代のイギリスがどんなふうで
職業や住んでいる場所や性別でのさまざまな格差がどれほどのモノだったのかさっぱりわからない。
この辺りをよくわかっていると、翻訳劇は格段におもしろく観ることができるんだろうな、
と毎回思うのだけれど、学習しないなあ・・・
でも、わからないながらも、さまざまな格差は形こそ変えていても
今だってあることを考えると、それぞれの心の中に
「根っこ」は必要なんだろうな、なんて漠然と思ったりもする
作者の意図するところとは全く違うと思うけれど、
私はこの舞台を観て、心がとても温かくなった。
それは、家を離れたビーティが帰ってきたときの、彼女の子供に戻ったような無邪気な様子と、
色々なわがままや、わけのわからないことをまくしたてる彼女を見守り、
ぶつぶつ言いながらも、かいがいしく世話を焼く、母親の姿。
しばらくの間離れていた親子ってこんな感じなんだろうなあ・・・
高校卒業と同時に家を出た、自分の姿とダブるところもあるけれど、
私の場合はその後すぐに実家が引っ越してしまい、
母がいる家に帰っても、「帰った」というよりは知らないお宅を「訪問した」ような感覚で、
あんなふうに素に戻ってのびのびと甘えることはできなかったなあ、なんて
ビーティの様子をほほえましく、そしてうらやましく眺めていた。
そんな私も、今や受験生の母親
この舞台を見に行く前に、息子の高校で開かれた
大学受験にむけての進路説明会なんていうのに参加して来た
家を巣立っていくわが子を迎えるほうの立場になる日も近い
感傷に浸っている暇はない
「息子の成績」という厳しい現実を見つめないと・・・
アーノルド・ウェスカー作、木村光一翻訳の「根っこ」
場所は赤坂見附の赤坂RED/THEATERというとっても小さな劇場。
なんと一番前の席
舞台までの距離は1mもない・・・
いつも舞台を観に一緒に行ってくれる友人は、同じ山形県出身ってこともあり、渡辺えりさんが大好き
渡辺さんが出演する舞台は演劇でも音楽でもほとんど観ているはず。
私は、演劇だけご一緒させていただく
ほとんどは、渡辺さん脚本・演出のモノだけれど、今回は出演のみ。
主人公ビーティを演じる占部房子さんのお母さん役。
ホントにいい味を出してらっしゃった
舞台となるのは、1950年代後半の英国の片田舎。
大都会ロンドンで暮らす主人公ビーティが帰省するところから始まる。
社会主義者の恋人が数日後に彼女の実家を訪れることになっており、
一足先に帰ってきたのだが、恋人の思想にすっかり感化されている。
保守的で無教養な家族にいらだち、進歩思想をぶちまけるけど、
すべて、彼の受け売りで自分の考えはどこにもない。
ってことに本人も気が付いてない・・・
家族の意識を変えようとしゃべればしゃべるほど、家族は「あらあら、困っちゃったわねえ」って感じ。
彼の裏切りで怒りを爆発させ、あふれ出る感情を言葉にするうちに、
初めて自分の思うことを自分の言葉で表現することができたことに気付く・・・
「自分の存在にはっきりと誇りをかんじさせるもの、それが根っこ。
私達にはそれがない」
彼女の心の叫びなのだけれど、う~ん、難しい・・・
いつものことなのだけれど、社会科が苦手だった私は
海外の時代背景などには、まるっきり弱いので、この時代のイギリスがどんなふうで
職業や住んでいる場所や性別でのさまざまな格差がどれほどのモノだったのかさっぱりわからない。
この辺りをよくわかっていると、翻訳劇は格段におもしろく観ることができるんだろうな、
と毎回思うのだけれど、学習しないなあ・・・
でも、わからないながらも、さまざまな格差は形こそ変えていても
今だってあることを考えると、それぞれの心の中に
「根っこ」は必要なんだろうな、なんて漠然と思ったりもする
作者の意図するところとは全く違うと思うけれど、
私はこの舞台を観て、心がとても温かくなった。
それは、家を離れたビーティが帰ってきたときの、彼女の子供に戻ったような無邪気な様子と、
色々なわがままや、わけのわからないことをまくしたてる彼女を見守り、
ぶつぶつ言いながらも、かいがいしく世話を焼く、母親の姿。
しばらくの間離れていた親子ってこんな感じなんだろうなあ・・・
高校卒業と同時に家を出た、自分の姿とダブるところもあるけれど、
私の場合はその後すぐに実家が引っ越してしまい、
母がいる家に帰っても、「帰った」というよりは知らないお宅を「訪問した」ような感覚で、
あんなふうに素に戻ってのびのびと甘えることはできなかったなあ、なんて
ビーティの様子をほほえましく、そしてうらやましく眺めていた。
そんな私も、今や受験生の母親
この舞台を見に行く前に、息子の高校で開かれた
大学受験にむけての進路説明会なんていうのに参加して来た
家を巣立っていくわが子を迎えるほうの立場になる日も近い
感傷に浸っている暇はない
「息子の成績」という厳しい現実を見つめないと・・・