【ザ・ウェルキン】
作:ルーシー・カークウッド
翻訳:徐 賀世子
演出:加藤拓也
2022.7.13 Bunkamura シアターコクーン
開演と同時に舞台上で女たちが忙しく働いている
掃除をしたり、洗濯をしたり
食事の支度、子守・・・
ときどき白っぽいライトが当たるとともにピタッと動きが止まると、まるで美しい絵のようになる。
18世紀のイングランドの田舎町。
どこの国でも女は働きづめで、自分の時間などない。
そして人権も・・・
人々が75年に一度やってくる大彗星を待ちわびる中、一人の少女サリー(大原櫻子)が殺人の罪で絞首刑を宣告される。
殺人は事実。
しかしサリーは妊娠を主張。
妊婦は罪人でも死刑は免れるのだ。
真偽を見極めるため妊娠経験のある12人の女たちが陪審員として集められた。
陪審員の中には
公平に事実を見ようと思う者
何が何でも死刑にしたい者
自分のことでいっぱいいっぱいで考えるつもりがないもの、といろいろだ
そんななか助産婦のリジーことエリザベス(吉田羊)はサリーになんとか正当な扱いを受けさせようと必死になる。
リジーが必死になるのには事件とは違った事情があって・・・
愛されることを知らずにひどい環境の中で育ったサリーには罪悪感が希薄。
感情の起伏が激しく、乱暴で、でも時折少女のようなかわいらしさを見せるサリーを大原さんが熱演。
朝ドラで素朴で働き者の農家のお嫁さんを演じていたのとは別人だ。
舞台の上を転がりまわり、ものすごい迫力で目が離せない。
そんなサリーを怒鳴りつけたり、かばったり、優しく抱きしめたりするリジーの吉田羊さんのくるくる変わる演技もさすが。
二人の長セリフと体当たりの動きだけでもおなかいっぱいだ。
冷静沈着に平らな心で事態を見守る21人の出産経験者サラ役の梅沢雅代さんの安定感と安心感。
被害者家族のの命を受け身分を偽って陪審員に紛れ込んだケアリー婦人役の長谷川稀世さんの高飛車な感じの悪さ。
陪審員慣れしているエマ役の峯村リエさん、などベテラン勢の存在感がすごい。
サリーに限らず劇中の女たちは皆、社会にも家族にも軽んじられ、体調が悪くても関係なく働かされ、
陪審員をやっている間にも仕事がどんどんたまっていくことを思うと気もそぞろ。
時には男たちの暴力にさらされる。
実はサリーはリジーが若いころ暴力の末に望まれずに生まれて生き別れになっていた娘、ということがわかり、事態はさらに重苦しくなってゆく。
せっかく証拠として採取した母乳も役に立たなくされ、結局医師の診断にゆだねることになり、妊娠は事実、となるが、それでもどうしても死刑にしたい大きな力で、妊娠をなかったことにする強硬手段が欠航される・・・
「12人の怒れる男」を思い出させるような意見のぶつかり合いがあり、やっと落ち着いたと思ったら、それまでの審議はいったいなんだったんだ、という一人の男による理不尽な結末。
結局女に人権は無いのか、となんともむなしいくやりきれない気持ちが残る。
見終わった後の重苦しい気もちったら・・・
少しずつ改善されつつあるとはいえ、暴力やセクハラの前ではまだまだ女性の立場は弱い。
18世紀の物語がそんなに古く感じないことが、そして日本だけではなく世界的にこんな風だったのかってことがなんだか悲しい。
それでも、少しづつだけど前進はしているのだ。
タイトルの「ザ・ウェルキン」は「天空」とか「蒼穹」を意味するんだとか。
サリーの最後の望み、リジーの決断。
サリーの目には彗星は見えたのだろうか・・・
女優の皆さんのあまりの迫力に圧倒され、友人と二人、顔を見合わせるだけで、しばらく無言で劇場を後にしたのでした。
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