人生ブンダバー

読書と音楽を中心に綴っていきます。
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服部龍二『広田弘毅』

2008-07-22 21:42:15 | 読書

7月1日に城山三郎『落日燃ゆ』を取り上げたが、最新の研究による広田弘毅に関す
る新書が出版された。服部龍二『広田弘毅』(中公新書、6月刊、¥903-)である。

広田弘毅の時代はもう70年以上前である。昭和史には高校卒業来興味を持っている
が、広田弘毅を語ることは昭和史を語ることであるといってもいい。

昭和8(1933)  斎藤内閣の外相 協和外交
昭和9(1934)  天羽声明
昭和10(1935) 日中公使館の大使館相互昇格
         広田三原則
昭和11(1936) 二・二六事件
         広田内閣誕生
         軍部大臣現役武官制復活
         「国策の基準」
         日独防共協定
昭和12(1937) 近衛内閣の外相
         盧溝橋事件
         トラウトマン工作
         日独伊防共協定
昭和13(1938) 「国民政府を対手とせず」声明

城山三郎『落日燃ゆ』では広田弘毅の「自ら計らず」とプラス面が小説となった。
私も繰り返し読んだ遠山茂樹他『昭和史』ではマルクス主義の立場から、天羽声
明、「国策の基準」などそのマイナス面が強調され、批判されたといえよう。
(『昭和史』論争などもあった。)それに対し、本書では広田弘毅を小説ではな
く、実証的に検証している。マイナス面はマイナス面として検証し、プラス面はプ
ラス面として評価している。

昭和16(1941)年の日本の選択肢はかなり限られたものだったが、昭和8~13年の
選択肢はまだ多少多かったといえるのではなかろうかと私は考えている。それにし
ても昭和11年の二・二六事件(武装クーデター)の影響は大きかったといえよう。


今年は広田弘毅が東京裁判のA級戦犯唯一の文官として絞首刑に処せられてから60
年目になる。(絞首刑となったその他6人のA級戦犯は陸軍軍人であった。)


なお、東京裁判の起訴は昭和21(1946)年4月29日であり、A級戦犯の絞首刑実施
は昭和23(1948)年12月23日である。いうまでもなく、前者は昭和天皇誕生日であ
り、後者は当時の皇太子の誕生日なのである。





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