先日26日のブログで、若かりし半藤一利氏が小泉信三に「ぜひと
も私家版の『海軍主計大尉小泉信吉』をうちから出版させてくだ
さい」とお願いしたら、「駄目です」の一言で断られた話を書い
た(→こちら)。
その後・・・・・・
昭和41年5月11日に小泉信三は亡くなる。
半藤氏は小泉信三を偲ぶ特集号で『海軍主計大尉小泉信吉』から
多くを抜粋して掲載することを思いたち、編集長とともに小泉夫
人を訪ねる。
・・・・・・編集長と小泉邸を訪ねたのは、葬儀も終えて何日かたったときである。
まだ残る悲しみと寂しさを抑えて、小泉夫人が毅然として言われたことの大
意は、いまもはっきりとわが脳裏に刻まれている。
趣旨はよく理解したが、断る、と夫人は明確に言った。雑誌には多くのいろ
いろな読者がいる。その読者のなかには、「小泉を理解していない方、小泉
を嫌いな方、小泉を敵視している方もおられるかも知れません。そういう方
にまであの私記を読んで欲しいとは、小泉は必ずしも思っておりませんでし
た」と夫人は説明して、さらにつけ加えた。
「亡くなったいまもそう思っていると、私どもは考えています」
それが断る理由のすべてであり、他に理由はない。もちろん、小泉のものを
読みたいと思う読者には、ぜひ読んでほしいと考えてはいるが・・・・・・。そう
いって夫人は頭を深々と下げたのである。
こうして「文藝春秋」掲載は諦めざるを得なくなった。
(半藤一利『手紙のなかの日本人』(文春文庫p219)
しかし、その後・・・・・・
* * *
信仰は私事だった
今村武雄(評論家)
青山の葬儀場で、「ナタナエル 小泉信三先生」の葬儀が行われたとき、会
葬者のうちには、先生のキリスト教入信を知らず、「意外だった」とささや
く者が、かなりあったという。
たしかに、このことについて、先生は生前、なにも語られなかったし、いわ
ゆるヤソ臭いことは、一言もいわれなかった。・・・・・・
入信の直接の動機は、昭和27年2月、令孫エリ子さん(3つ)の死という、い
たましい事件であり、その時、先生は深い悲しみに沈まれた。けれども、そ
んなことは、一言も、われわれには、もらされず、先生はじっと悲しみに耐
えて、まもなく、復活節には長女の秋山加代子さんとともに、聖アンデレ教
会の野瀬司祭から洗礼を受けられた。そして、黙々と婦人矯風会の後援や聖
公会の香蘭女学校の管理に尽力された。のみならず、信徒としてのつとめを、
聖日ごとに、厳格に守られた。が、おそらく、先生にとって、信仰は「私事」
だったのであろう。・・・・・・
葬送
(5月)13日は午前10時、飯倉の日本聖公会聖アンデレ教会で棺前のミサが執
行された後、三色旗の覆われた柩は、ナザレ修女会の尼僧6名、慶應ワグネル・
ソサイエティ―会員20名が歌う讃美歌と塾歌につれ、庭球三田会の人々によっ
て霊柩車に移され、桐ケ谷火葬場に運ばれた。(今村武雄『小泉信三伝』)
半藤一利『手紙のなかの日本人』(文春文庫)
今村武雄『小泉信三伝』(文春文庫)
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日テレ予想では、前々日より高市氏が議員票で10票上乗せしてい
る。他の3人は変わらず。
決選投票は間違いないだろうが、勝敗の行方は分からない。
さまざまなことがまことしやかに言われているが・・・・・・。
河野氏はやはり年金問題がウィークポイント?
○立民が今頃になってアベノミクスを批判。安倍内閣の時に徹底
的に議論すればよかったのでは?
金子勝(経済政策のブレーン?)、江田憲司がアベノミクス大
失敗をいうのであれば、例えば安倍首相「国政選挙6連勝」はど
う説明するのか?
そもそも「分配」が先行する「成長」は経済学的にありえない?
これでは立民は、衆院選も勝てないのではないか?
(いつも、念のためにいえば、私は「支持政党なし」だが)。
○小沢一郎氏が野党一本化を共産と調整する話はなくなったよう
だ。もしかしたら、昨日のブログが効いた?
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