今年の夏に、「ディスカバージャパン」よろしく、みちのく一人旅をした。
今回は「フルムーン旅行」である。といっても、「フルムーンパス」を利
用してではなく、夏と同様、大人の休日倶楽部パス(東日本)4日間
乗り放題によるものだ。
そもそも昭和57(1982)年、国鉄のコマーシャルに出演した上原謙
と高峰三枝子は、当時73歳と64歳であって、わが夫婦はまだそん
な歳ではない。
11月24日(木)、大人の休日倶楽部パスの初日。夜明け前、3時50
分に起床。心配した雪も降っていないことを確認。あざみ野5時20分
発の各停に乗る。
万一、田園都市線が普通の場合は、横浜市営地下鉄ルートだったが、
その心配はなかった。
カイロこそ持たなかったが、寒さ対策はバッチリ!
5:19 早朝のあざみ野駅
6:18 東京駅新幹線乗り換え口
6:20 21番線 8号車
6:32東京-はやぶさ1号-9:50新青森(予定)
6:21 「こまち号」との連結部分
なぜかカメラを構える人が多い。そういう私も・・・・・・。
6:29 8号車 「本日は(いま空席でも)満席です」
7:00 大宮付近 雪が降りしきる。
11月の積雪は東京都心では観測史上初、降雪も都心や横浜市、甲府市
では11月として1962年以来54年ぶり。(朝日新聞)
7:04 落ち着いたところで、コーヒーブレイク。
8:42 盛岡は青空 仙台も降雪なし。
9:28 八戸~七戸十和田間
9:46 まもなく新青森だ。雪が積もっている。
9:49
9:50 新青森着 1分と遅れなし、すばらしい。
9:51 「よぐきたねし青森へ」
9:53 新青森駅改札口を出たところ
9:53 いかにも青森 ねぶたはこれからよく見ることになる。
9:53 あおもり観光情報センターで「情報」を得る。
屋外では寒いかな~、と思いつつ、三内丸山遺跡へ行ってみる。
遺跡への行き方は、市営バス(片道310円)か、あおもりシャトルde
ルートバス(ねぶたん号)(1回200円)で。
9:53 東口 バス乗り場
10:00 東口バス乗り場より見た新青森駅
10:02 ちょうど「ねぶたん号」が来ていた。10時10分発。
10:02
10:05 女性の運転手さん
10:05
10:23 三内丸山遺跡着
10:23 三内丸山遺跡
現在は、入場無料だ(--将来は分からないという意味)。
10:24
10:26 「10時半から見学説明(無料)がありますよ~」
黄色のコートを着た人はボランティアのガイドさん
--「三内丸山応援隊」と称するようだ。
私も近くなら、このようなボランティアをしてみたい。
10:26
10:27 「お客様からのお便り」
10:28 「平成25年度縄文の家づくり」
10:29 縄文シアター 映画でざっとした説明を受ける。
10:30 スタンバイ 映写時間は約17分
10:38 男性の平均身長は157cm、女性は147cm。
10:41
10:47
10:49
これからガイドさんとともに遺跡を回る。駆け足見学だ。
(家内もどこかに写っているかな?たしか・・・・・・)。
公式HPもご参照→こちら。
10:50 全景の模型
三内丸山遺跡は、標高約20m、広さ約40ヘクタール。
現在の青森駅などは海だったらしい。
10:52
10:53 天候は曇り。
10:56 「環状配石墓と道路跡」
環状配石墓は、周りを大きな石で丸く囲われた墓(雪で覆われてい
る)。
10:56 縄文時代の「道路」を歩く。
--遺跡の「道」は、保護のために埋められている。
10:58 原稿も見ずに詳しい説明--おもしろい!古代史の謎に迫る?
11:00
三内丸山遺跡は、縄文時代前期中頃から中期にかけて(約5500年
前~4000年前)、長期間継続した大規模な集落跡(HP)
1500年間とは驚きだ。飛鳥時代~現代が「1500年」である。
当初は野球場建設予定地だった。平成12(2000)年、国の特別史
跡に指定された。
*三内丸山遺跡は、「北海道・北東北の縄文遺跡群」として世界
遺産申請中(→こちら)。可能性は高いのかな。
11:02 「竪穴住居跡」
これまでに、550棟以上見つかる。15棟を復元。
11:03
11:04 「南盛土(もりど)」
大量の土器や石器、土器やヒスイ製の玉などが土と一緒に捨てられ、
約1000年間で丘のようになったという。
11:04 「南盛土」
11:05
11:05
11:06
11:08 「大型竪穴住居跡」
11:08
11:09
11:09
11:11 「大人の墓」
11:12
11:12
当時の平均寿命は30歳。乳幼児が成人になるのは4人に1人だったと
いう。
11:13
11:14 「掘立柱建物」
11:15
11:16 「北の谷」
11:19
11:19
11:19
11:20 「北盛土」
11:21
11:22 「子どもの墓」
子どもの遺体は土器に入れて埋葬。
11:23 「子どもの墓」
11:24 ここは平安時代のもの(住居跡という説明だったかな)
11:27 「大型掘立柱(復元)」
柱はクリの木だ。
こんな大きなクリの木があったとは、驚き、クリの木、サンショの木?
私が中学時代に教わったのは、「縄文時代は狩猟、漁労、採集」だっ
たが、現在の教科書は「クリ林の管理・増殖、ヤマイモなどの保護・
増殖、さらにマメ類・エゴマ・ヒョウタンなどの栽培もおこなわれたらし
い」と書き換えられている。(『詳説日本史』山川H27)
11:29 エジプトのピラミッドより古い??
11:29 「大型掘立柱建物」
11:30 「大型掘立柱建物跡」
柱穴は直径・深さとも約2m。穴の間隔はすべて4.2mだ。
6本柱の建物と考えられる。
11:31
穴からは直径1mのクリの柱が見つかった。
11:32 想像して復元したものだ。屋根を作るか?議論があった。
神殿?物見やぐら?
11:36 建設業者は大林組。
東京スカイツリー(H24竣工)も大林組だが、それよりも早い。
11:36 高さ14.7m
このクリの大木はコーカサスからの輸入品だという。
11:37
11:38 「大型竪穴住居跡」(復元)
11:38
このスロープは車いす用に人工的に作ったもの(遺跡にあらず)
11:39
11:39
ガイドさんの説明は大変おもしろかった。行った甲斐があった。
三内丸山遺跡に行かれる場合は、ぜひともガイドさんの説明を!
説明終了後、バスが3、4分で出発というので、走れ走れ~。
夫婦でフウフウ--なんちゃって?
11:45 11時45分発青森駅行 なんとか間に合った。
11:48
12:15 「アウガ前」バス停着
12:15 アウガ
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