これはおもしろい!
いささか古い本だが、以前から少々気になっていたものだ。
石射猪太郎は外交官。明治20(1887)年生まれ。昭和29(1954)年、
67歳で亡くなっている。
石射が日記を基に書いた回顧録であり、ややユーモアがあり、やや皮
肉がある書きぶりが実におもしろい。
例えば・・・・・・
1944(昭和19)年6月末、東亜同文会の主催で、故近衛篤麿公の
40年祭が、霞山会館で行われ、式後記念の午餐会が華族会館で催
された。文麿公が遺族の資格で列席した。・・・・・・(中略)
(ブログ注;近衛篤麿は東亜同文会創立時の会長)
文麿氏が最後に起って、この日の行事に対する謝辞につけ加えて
いった。
「古老の方々からの先考の思い出話を、感激を以て承りました。父
のそうした苦心にも拘らず、私が総理として中日事変の措置を誤り、
遂に今日の大事を致しました事は、先考に対しまた皆様に対し、慙
愧(ざんき)に堪えず、ひたすら責任を痛感する次第であります」
私の胸はむらむらっとした。
「何をいってる、このぐうたら兵衛、今さらおそいやい」
とっさの衝動に駆られて、危うく口走るところを、自ら抑えた。発
言の寸前で場所柄を考えたのである。(p395~396)
(ブログ注;近衛文麿自身、近衛声明(「爾後国民政府を対手とせず」
は失敗だったと認めていたが、この時、近衛には国民的な支持があっ
た)。
ちなみに、南京事件については、次のように記述されている。
南京は暮れの13日に陥落した。わが軍のあとを追って南京に帰復し
た福井〔淳〕領事からの電信報告、続いて上海総領事からの書面報
告が我々を慨嘆させた。南京入城の日本軍の中国人に対する掠奪、
強姦、放火、虐殺の情報である。・・・・・・(中略)
1938(昭和13)年1月6日の日記にいう。
上海から来信、南京に於ける我軍の暴状を詳報し来る。掠奪、強
姦、目もあてられぬ惨状とある。嗚呼これが皇軍か。日本国民民
心の頽廃であろう。大きな社会問題だ。
南京、上海からの報告の中で、最も目立った暴虐の首魁の一人は、
元弁護士の某応召中尉であった。(p298)
石射猪太郎『外交官の一生』(1950-1986中公文庫)
<参考> いずれも外交官の回顧録
重光葵『昭和の動乱』(中公文庫)
芦田均『第二次世界大戦外交史』(1959-2015岩波文庫)
--1939~1945年
ちなみに、
石射猪太郎は明治20(1887)年2月生まれ、重光葵は同年7月生まれ、
芦田均は同年11月生まれだ。
全員亥年だ。だから猪太郎?
外務省入省は、重光が明治44(1911)年、芦田が明治45(1912)年、
石射が大正4(1915)年。
* * *
香港のデモが過激化している。 (8/13現在)
デモは言うまでもなく、(許可されたデモは)あくまで整然と行うべ
きだ。過激化したり暴徒化してはいけない。
「でも(But)」、共産主義(社会主義)社会には整然としたデモす
ら認められて いないが・・・・・・。
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