人生ブンダバー

読書と音楽を中心に綴っていきます。
現在は、暇に飽かして、日々更新。

『レオ・シロタ』 バーナード・ショーと小泉信三 2台のピアノのためのソナタ 週間フォト日誌

2014-01-13 05:00:00 | 読書

今年というか、昨年末はうっかりミスで差出人を書かない年賀状を投函した
ことは以前書いた。投函してすぐ気付いたが、まさか集配の郵便屋さんを
捕まえるわけにもいかないのでそのままにしてしまった。

しかし、ちゃんと返信を頂戴する。中には「差出人がありませんでしたが、内
容で貴君とすぐ分かりました」と親切にコメントを付けてくださる方もいた。
前年の年賀状などを参照されるのかしらん。



<今週の一冊>
山本尚志『レオ・シロタ』(毎日新聞社)を読む。

シロタといっても、日本人(「城田」という名前)ではなく、ましてや「乳酸菌シ
ロタ株」とは関係ない。

今では、日本国憲法の起草に関わったベアテ・シロタ・ゴードン(1923-
2012)の方が有名かもしれないが、レオ・シロタ(1985-1965)はベア
テの父親で、有名なピアニストである。

シロタがヴィルトゥオーゾとして出てきた1920年代は、リスト(1811-
1886)が過小評価されていた時代だったらしい。

シロタは、昭和4(1929)年から21(1946)年まで日本に在住、東京音楽
学校を中心に多くの弟子を育てた。小澤征爾のピアノの先生だった豊増昇
(1912-1975)や先日も取り上げた園田高弘(1928-2004)もその中
の一人である。

ちなみに、豊増昇は、永井進(1911-1974)、水谷達夫(1911-1998。
木下保先生の伴奏をされていた。)とともに「シロタ三羽烏」といわれた。

シロタは、「神童」といわれたピアニスト、イタリア人ブゾーニ(1866-1924)
に師事。1885年生まれは、フルトヴェングラー(1886-1954)と同世代だっ
た。

本書にはレオ・シロタをはじめとして、K.プリングスハイム(1883-1972)、
畑中先生の先生ヴーハーペーニ(ッ)ヒ(1884-1969)などの在日外国人
教師や、フーベルマン(1882年生)、シゲティ(1892年生)、ホーレンシュタ
イン(1898年生)、ゴールドベルク(1909年生)、メニューイン(1916年生)
等ユダヤ系(ユダヤ人)の音楽家がたくさん登場する。

日本人では、乗杉嘉壽(1878年生、東京音楽学校校長)、近衛秀麿(1898
年生)、喜波貞子(1902年生)、貴志康一(1909年生)、井上園子(1915年
生)、藤田晴子(1918年生)、大島正泰(1919年生)、巌本真理(1926年生)、
辻久子(1926年生)等々多くの音楽家の名前も見える。

写真も豊富で、満員の日比谷公会堂でポーズをとるシロタのステージ写真が
掲載されている。

シロタは、人間的には温厚な人だったようだ。同じく来日したクロイツァーとは
「芸風」が違ったようだが、それぞれを認め合っていたという証言もあるようだ。

戦前の日本はユダヤ人を擁護したと母から聞いたことがあったが、当時の社
会的背景(「反ユダヤ主義」、「フルトヴェングラー対ナチス」等々)も詳しく書か
れている。



山本尚志『日本を愛したユダヤ人ピアニスト レオ・シロタ』(毎日新聞社)




<己の欲する所は 人に施す勿れ?>
『論語』の一節、
「己の欲せざる所は 人に施す勿れ」



新約聖書(「マタイによる福音書」)の言葉
「己の欲する所を 人に施せ」

を考えるたびに、

バーナード・ショー(1856-1950)の警句
「自分のして欲しいように 人にはしてはならない
--人の好みは同じでないから」

を思い出す。

これは、私が大学生時代、小泉信三さんの本で教えてもらったものである。
小泉信三さんは、ロンドン留学時代からバーナード・ショーをむろん原文で読
んでおられたようだ。

下記『読書論』にもバーナード・ショーは登場するが、これらの三つの言葉に
ついては、『読書雑記』(昭和23年)か何かで考察されていたのではなかった
かしらん。

昔--具体的に中学~高校時代は、私もどちらかというと「己の欲する所を
 人に施せ」的な考え方(--それは時として善意の押し付けになりかねな
い[笑]。)をすることがあったが、歳を重ねるとともに「自分のして欲しいよう
に 人にはしてはならない」と考える場面が多くなってきたような気がする。






        *        *        *        *


週間フォト日誌

1月6日(月)
仕事始め。









本郷通り


神田駿河台3丁目


1月7日(火)





遠藤周作いわゆる「神の働き」について考える。遠藤周作は、何かがあった
時に、神の「存在」ではなく、「働き」を意識するという。

遠藤周作の考え方は、むろん「無神論」ではなく、「有神論」よりやや「不可知
論」(物事の本質は認識することはできないというT.H.ハクスリー[1825-
1895]の考え方。例えば「神などはいるかいないか証明できない」)に近いの
かしらん。私は遠藤周作ほど深く考えているわけではないけれど。



1月9日(木)
ワグネルOB合唱団の「稽古始め」。新年早々、元気にたくさん集まった。
お互い、さっぱりした新年挨拶がいい。練習会場費1月分3,000円支払う。



お茶の水のスープストック

今日のスープは、おかゆ。ライスのセットを注文したら、
「おかゆにお米が入っていますが、ライスでよろしいですか?」
(パンも選べる)。
そりゃ理屈や、とも思ったが、(そんな事は知ってますとばかり)顔色を変えず、
「結構です」
おかゆとライスを食べたのは生まれて初めてカモ。



淡路町のミュージックバー(入ったことはない)。


発声練習。(私の喉は)意外と調子よかったのだが・・・・・・。


「R.シュトラウス歌曲集」第3曲の譜読み。ピアノは永澤友衣さん。
第2曲のおさらいもした。


連絡の時間 吉川会長から「あさっての新年会はよろしく」。

練習後、後輩の某さんから
「神尾真由子はよかったですね~。聴きましたよ。CDも買っちゃいました」
と言われ、
「何でしたっけ?」
そうそう、12月、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲だった!(笑)。
すばらしかったですね~。


1月10日(金)
昨日から、風邪をひいたらしく、朝からくしゃみが止まらなくなった。
翌日は(ワグネル)新年会で、久しぶりの先輩、同期、後輩に会えるのを楽し
みにしていたのだが、夕方に大事をとってキャンセルする。


朝、ベローチェにて1時間『レオ・シロタ』を読む。読んでいると、おもしろくて
やめられず、出社したくなくなった(笑)。



8:05 この時間、ベローチェは長蛇の列



1月11日(土)
風邪のために自宅で静養。今季、最強の寒波襲来。

家内が、先週見られなかった「シモバシラ」を友人と高尾山まで撮りに行って
きた。

とても綺麗だったそうだ。



シモバシラ 高尾山  H26/1/11



同上



同上 お仲間の作品



同上 お仲間の作品



午後9時からひしぶりの「すべらない話」(フジTV)を視る。
最近は、小籔さんが「お気に入り」である。
今回は、ほっしゃんがMVS(優勝)だったようだが、視ないで寝てしまった(笑)。


<今週のCD>


ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
1.2台のピアノのためのソナタ ニ長調K.448
2.2台のピアノのための協奏曲 変ホ長調 K.365
3.3台のピアノのための協奏曲 ヘ長調 K.242
ウラディミール・シュケナージ(ピアノ)
マルコム・フレージャー(ピアノ)(1)
ダニエル・バレンボイム(ピアノ)(2、3)
フー・ツォン(ピアノ)(3)
イギリス室内管弦楽団
指揮;ダニエル・バレンボイム(2、3)

先日、1枚657円でまとめ買いしたものの中から・・・・・・
アシュケナージを中心とした連弾など「合わせ」を愉しむことができる。いか
にもモーツァルト!

2、3の録音時(1972年)、
アシュケナージは35歳
バレンボイムは30歳
だった。


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