マーラーの弟子ブルーノ・ワルターは1876年(明治でいえば9年)、ベルリンの生
まれである。ワルターの50~60歳は、1926~1936年にあたる。多くの録音を残して
いるが、一般的にはこの頃の、したがってSP録音にいい演奏が多いようである。
さて本録音は、第二次大戦後の1952年5月、ウィーンで行われたものである。演奏
はウィーン・フィル、フェリアー(コントラルト)、パツァーク(テノール)であった。
「大地の歌」の初演者は、マーラーではなく、ワルターであった。--今から100年
ほど前の1911年のことである。
歌詩は、李白などの漢詩のドイツ語訳なので、東洋(中国)的な世界が広がる。
本盤の初発は、LP(モノラル)であった。
まれである。ワルターの50~60歳は、1926~1936年にあたる。多くの録音を残して
いるが、一般的にはこの頃の、したがってSP録音にいい演奏が多いようである。
さて本録音は、第二次大戦後の1952年5月、ウィーンで行われたものである。演奏
はウィーン・フィル、フェリアー(コントラルト)、パツァーク(テノール)であった。
「大地の歌」の初演者は、マーラーではなく、ワルターであった。--今から100年
ほど前の1911年のことである。
歌詩は、李白などの漢詩のドイツ語訳なので、東洋(中国)的な世界が広がる。
本盤の初発は、LP(モノラル)であった。

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