東敦子さんはまことに残念ながら63歳の若さで亡くなられた。通常の日本歌曲の歌
唱とは一味違った、繰り返しは聴けない、鮮烈な演奏である。
こうしてまとまった組曲を組曲として聴くのはいいものですね~。
1.組曲「啄木短歌集」(高田三郎)
1.やわらかに
2.頬につとう
3.いのちなき
4.病のごと
5.不来方の
6.ふるさとを
7.はずれまで
8.あめつちに
2.組曲「残照」( 〃 )
1.夕映え
2.凧
3.比良のシャクナゲ
4.モンゴル人
5.残照
山田耕筰作品集
3. 赤とんぼ
4.十六夜月
5.この道
6.からたちの花
7.星
S11/1936 大阪府吹田市出身。
S34/1959 東京芸大声楽科・専攻科卒。
S36/1961 イタリア・パロマ音楽院留学。
S38/1963 同院を首席で卒業。イタリア・レッジョ・エミーリア劇場での「友人フリッ
ツ」スゼル役でデビュー
S41/1966 彫刻家の二田原(にたはら)英二氏とイタリアで結婚。
S42/1967 ベルリンドイツオペラにプッチーニ「蝶々夫人」でデビュー
S46/1971 ウィーン国立歌劇場でプッチーニ「蝶々夫人」に出演。(日本人として初めて)
S47/1972 ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場に「蝶々夫人」でデビュー
この間、バイエルン国立歌劇場、 ハンブルグ国立歌劇場、ベルリン国立歌劇場
ボリショイ劇場、プラハ国立歌劇場、モンテカルロ王立歌劇場、コロン大歌劇場
などに出演
S53/1978 日本に帰国。本拠を日本に置く
S62/1987 体調不調でオペラ引退し、コンサート活動、後進の育成にあたる。
H3/1991 日本芸術院賞受賞。
H10/1998 秋より入退院を繰り返す。
H11/1999 12月25日心不全のため逝去。(63歳)
*高田三郎の「高」はいわゆるはしごの「高」だが、文字化けする可能性があるので
便宜的に「高田」にしました。
唱とは一味違った、繰り返しは聴けない、鮮烈な演奏である。
こうしてまとまった組曲を組曲として聴くのはいいものですね~。
1.組曲「啄木短歌集」(高田三郎)
1.やわらかに
2.頬につとう
3.いのちなき
4.病のごと
5.不来方の
6.ふるさとを
7.はずれまで
8.あめつちに
2.組曲「残照」( 〃 )
1.夕映え
2.凧
3.比良のシャクナゲ
4.モンゴル人
5.残照
山田耕筰作品集
3. 赤とんぼ
4.十六夜月
5.この道
6.からたちの花
7.星
S11/1936 大阪府吹田市出身。
S34/1959 東京芸大声楽科・専攻科卒。
S36/1961 イタリア・パロマ音楽院留学。
S38/1963 同院を首席で卒業。イタリア・レッジョ・エミーリア劇場での「友人フリッ
ツ」スゼル役でデビュー
S41/1966 彫刻家の二田原(にたはら)英二氏とイタリアで結婚。
S42/1967 ベルリンドイツオペラにプッチーニ「蝶々夫人」でデビュー
S46/1971 ウィーン国立歌劇場でプッチーニ「蝶々夫人」に出演。(日本人として初めて)
S47/1972 ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場に「蝶々夫人」でデビュー
この間、バイエルン国立歌劇場、 ハンブルグ国立歌劇場、ベルリン国立歌劇場
ボリショイ劇場、プラハ国立歌劇場、モンテカルロ王立歌劇場、コロン大歌劇場
などに出演
S53/1978 日本に帰国。本拠を日本に置く
S62/1987 体調不調でオペラ引退し、コンサート活動、後進の育成にあたる。
H3/1991 日本芸術院賞受賞。
H10/1998 秋より入退院を繰り返す。
H11/1999 12月25日心不全のため逝去。(63歳)
*高田三郎の「高」はいわゆるはしごの「高」だが、文字化けする可能性があるので
便宜的に「高田」にしました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/06/abe2a6d0d04f762d5b83ab5864c39c0d.jpg)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます