山川出版社の『改訂版 日本史A』(2019)によれば、昭和3(1928)年6月4日の張作霖爆殺事件は次のとおり記述されている。1928(昭和3)年6月、関東軍の一部は中央にははからず独断で、満州へと敗走する張作霖を奉天郊外で . . . 本文を読む
8月11日(水)、富士スバルラインから「御中道」(→こちら)を少し歩いてみようと出発したが、肝心の富士スバルラインがマイカー規制のため、急遽河口湖に予定変更。湖畔でランチ後、ロープウェイで河口湖天上山公園(→こちら)へ . . . 本文を読む
半藤一利『昭和史』をあらためて読んでいたら、次の一節があった。 国内においては新聞雑誌で満蒙問題が盛んに論じられ、「満蒙は日本の生命線である」と叫ばれていました。この言葉はそもそも、当時満鉄(新京[長春]←→大連間を . . . 本文を読む
6月末に郵送でマイナンバーカードの申請を行った。8月初めに発行案内が来た。予約して、8月10日(火)、猛暑の中、家内とセンター北の特設センターへ受け取りに行ってきた。13時の予約枠、5分前に来てくださいとのことだった . . . 本文を読む
オリンピック期間中は、テレビばかり視ていて、歩くということをしなかった。これでは明らかに健康に悪い。8月9日(月)、夫婦で朝の散歩をする。朝から暑い。6時15分にスタートしたが、もう一時間早めるべきだった。ゴルフ練習場は、 . . . 本文を読む
毎年、この時期になると終戦にかかわるニュースが流れ、書店には関連本が並ぶ。一年前に出された、野坂昭如『新編「終戦日記」を読む』(中公文庫)を読んだ。野坂が取り上げている「終戦日記」は、高見順(当時38歳)、大佛次郎(47)、 . . . 本文を読む
8月8日(日)、東京オリンピックの閉会式が無事に終わった。これを機に、『東京オリンピック--文学者の見た世紀の祭典』を読み直す。むろん、これは57年前の東京オリンピックだ。私は中学生だった。これは、あくまで「文学者が見た」ものだが、 . . . 本文を読む
8月5日(木)、横浜の最高気温34.6℃の猛暑の中、日傘をさして自由が丘の叔母さんを訪問。『徹子の部屋』(チャーリー浜、小松政夫)を視たり、オリンピックの話題で雑談す。叔母さんは . . . 本文を読む
「ファミリーヒストリー」で取り上げたが、私には、二吉(1880年生まれ)と弥七(1887年生まれ)という二人の祖父がいた。日露戦争の「勝利」の時、二吉は25歳、弥七18歳だった。昭和元(1926)年、二吉は46歳、 . . . 本文を読む
石橋湛山は、明治17(1884)年生まれ。同年生まれには、元首相の東條英機、元外相の有田八郎などがいる。小泉信三は明治21(1988)年生まれだ。石橋湛山は、昭和5年の旧平価金解禁反対(高橋亀吉、小汀利得とともに。)、昭和32年の首相退陣(当時72歳*) . . . 本文を読む
8月2日のブログで「戦前の昭和史のポイントは、やはり満州事変だ」と書いた。引き続き、「満州事変の頃」。満州事変(昭和6[1931]年)の遠因は、日露戦争(1904-1905)のポーツマス条約(→こちら)によって、関東州の租借権と東清鉄道(旅順ー長春間)と . . . 本文を読む
筒井清忠『戦前日本のポピュリズム』を読む。まことに良書だ。7月30日のブログで、司馬遼太郎「昭和の中の魔物」を取り上げた。--「日露戦争の勝利が、日本国と日本人を調子狂いにさせたとしか思えない。ここに . . . 本文を読む
7月31日(土)、新日本フィル定期演奏会(於すみだトリフォニー)。2020/2021シーズン最後の演奏会だ。この日のプログラムは、日本の第一線の歌手を迎え、いわばヴェルディのオペラ・ガラ・コンサート。4人の . . . 本文を読む
戦前の昭和史のポイントは、やはり満州事変だ。遅まきながら、昭和25(1950)年に岩波書店から出版された、森島守人『陰謀・暗殺・軍刀』を読んだ。森島守人(1896-1975)は、大正8(1919)年東京帝大卒、同年外務省入省。戦後は社会党の代議士となる。本書には、柳条湖事件の生々しい . . . 本文を読む