タマちゃんは私の患者さんであり、本読みを指南してくれた大切な友人だった。
軟骨異栄養症で肢体不自由があったが、外来で小さなタマちゃんがお母さんに本読みをせがんでいた姿は今も忘れない。
お母さんがタマちゃんに読み聞かせをする姿を見て、私もやりたいと思ったのだ。
タマちゃんは重症の側弯症による肺性心で、度々心肺機能が落ちた。
それでも頑張り屋さんで、小学校の普通学級に通っていた時期もある。
外来で装具をつけて数歩歩いたこともあった。
けれどしだいに側弯症が進行し、太平療育園へ入所した。
本が大好きなタマちゃんに本を届けにいって、私の本読みが始まった。
画像は、療育センターでのタマちゃんとのツーショット。
このあと車いすは改良され、すごいスピードで走っていたっけ。
療育センターを卒業してから、タマちゃんは施設に入った。
肺性心が悪化して日赤に入院し、主治医の先生から「医療を続けないと命があぶない」と言われた。
療育センターに戻るか、在宅で陽圧呼吸器を使うかなども選択肢にあった。
けれどタマちゃんは自分を「ひとりの人間」として見てもらえるほうを選んだ。
ウィークデイは施設でのびのび暮らし、週末に家に帰る生活を選んだのだ。
爆弾を抱えているような状態だったから、覚悟はしていた。
昨日の朝、タマちゃんの訃報を知った。
風邪をひいただけで呼吸が悪化し、市立病院に搬送された。
呼吸は苦しかったけれど、亡くなる前日の昼ご飯も食べていた。
夜、急変して、心拍は戻らなかった。
仕事を終えてタマちゃんのお家にかけつけた。
棺の中で眠っているようなタマちゃんを見て、泣き崩れてしまった。
遺影のタマちゃんは7歳の時の写真だったが、今もぜんぜん変わっていなかった。
タマちゃんはどきっとするほど大きなきれいな目をしたかわいい子だった。
そして、結合織の病気のせいかマシュマロみたいな肌で、握手すると気持ち良かった。
お母さんは、「私はこれから何をすればいいんでしょう」と途方にくれていた。
タマちゃんのお姉さんは看護師さんだ。
お姉さんにお母さんのことをお願いして、別れを告げてきた。
タマちゃん、いままで、ほんとうにありがとう。
タマちゃんがいたから、今の私があります。
お空の上から、これからも、叱咤激励してください。
覚悟していたとはいえ、どかんとやられた。
今日もびよよよ〜〜ん (*^ __ ^*)
軟骨異栄養症で肢体不自由があったが、外来で小さなタマちゃんがお母さんに本読みをせがんでいた姿は今も忘れない。
お母さんがタマちゃんに読み聞かせをする姿を見て、私もやりたいと思ったのだ。
タマちゃんは重症の側弯症による肺性心で、度々心肺機能が落ちた。
それでも頑張り屋さんで、小学校の普通学級に通っていた時期もある。
外来で装具をつけて数歩歩いたこともあった。
けれどしだいに側弯症が進行し、太平療育園へ入所した。
本が大好きなタマちゃんに本を届けにいって、私の本読みが始まった。
画像は、療育センターでのタマちゃんとのツーショット。
このあと車いすは改良され、すごいスピードで走っていたっけ。
療育センターを卒業してから、タマちゃんは施設に入った。
肺性心が悪化して日赤に入院し、主治医の先生から「医療を続けないと命があぶない」と言われた。
療育センターに戻るか、在宅で陽圧呼吸器を使うかなども選択肢にあった。
けれどタマちゃんは自分を「ひとりの人間」として見てもらえるほうを選んだ。
ウィークデイは施設でのびのび暮らし、週末に家に帰る生活を選んだのだ。
爆弾を抱えているような状態だったから、覚悟はしていた。
昨日の朝、タマちゃんの訃報を知った。
風邪をひいただけで呼吸が悪化し、市立病院に搬送された。
呼吸は苦しかったけれど、亡くなる前日の昼ご飯も食べていた。
夜、急変して、心拍は戻らなかった。
仕事を終えてタマちゃんのお家にかけつけた。
棺の中で眠っているようなタマちゃんを見て、泣き崩れてしまった。
遺影のタマちゃんは7歳の時の写真だったが、今もぜんぜん変わっていなかった。
タマちゃんはどきっとするほど大きなきれいな目をしたかわいい子だった。
そして、結合織の病気のせいかマシュマロみたいな肌で、握手すると気持ち良かった。
お母さんは、「私はこれから何をすればいいんでしょう」と途方にくれていた。
タマちゃんのお姉さんは看護師さんだ。
お姉さんにお母さんのことをお願いして、別れを告げてきた。
タマちゃん、いままで、ほんとうにありがとう。
タマちゃんがいたから、今の私があります。
お空の上から、これからも、叱咤激励してください。
覚悟していたとはいえ、どかんとやられた。
今日もびよよよ〜〜ん (*^ __ ^*)