テント泊か小屋の素泊4泊5日を基本とする年金山岳愛好家にとって、今回の飯豊山縦走計画は、ザック軽量化の努力が、まずは足りなかったと反省する。食料をはじめ「不要な荷の持ちすぎ」であり、わが人生と重なるものがある。
今般、荷の重さ(といっても、たかが15K前後)を一因とする負傷のため、早々と下山するはめに陥ったことに鑑みると、大いに反省しなければならない。
標高700mの祓川小屋を出てから、1500mの稜線に出るまでの間、雨がやむことはなく、沢音をかき消すほどの雨も時折降っている。1300mを過ぎ稜線近くまで登ると雷鳴も聞こえだした。
ここまで、3時間のコースだが、1.5倍の時間が経過している。が、昼前なので、稜線に出て1時間、三国小屋でカップラーメン作って休憩しても、15時には余裕で今宵の切合小屋にたどり着けるのだろう。
やっと稜線に出そうだ、雲が切れれば懐かしい飯豊の山並みが眼前に現れるのだろう!と勇んで急斜面に左足を踏み出した、その時だ。「痛てて!」、左ふくらはぎに落石があたった。と思い、目を斜面下に向けても、痕跡なし。
確かに、局部に打撃を感じたのに、犯人が見つからない。
荷を下ろして!しばらくは、痛みをさすって、足の状態を確かめようと、空身で登ってみたら「あ痛てて!」、下ってみるとそれほどでもなく、そんな上下行動を数分繰り返しての結論。「歩けることから、アキレス腱断裂ではなく、肉離れなのだろう、このまま上に登っても、登りは痛みで、あと3泊の稜線歩きと、長い下りは無理であろう、登ってきた道を引き返せば、ほぼ下りであり、ストックのお世話で、何とか今日中にあまり痛みを感じず、自力下山できるだろう。今回は、撤退!」
少しの登りがあったが、爪先で歩くようにすると、何とか痛みも緩和されたので、15時過ぎには、朝に出てきた小屋にたどり着いた。
それはそれでホツとしたのだが......
盆も過ぎたというのに、途中のルートは、ブヨの大群、耳の中、マブタ、オデコ、首スジ、と露出した肌を否応なく攻めさいなみ、早足で逃げようにも、左足のこともありかなわず、虫除けスプレーも忘れたので、振り払っても振り払っても防戦一方、約3時間の間ボコボコにされ、その晩は痒みと患部の熱で辛い時を過ごすことに。(翌日、駅のトイレで鏡を見たら、マブタのみならず、顔が膨れ上がり、別顔のオイラがいた。)
加えて、オイラ一人きりのその晩の避難小屋は、小ネズミの跳梁跋扈甚だしく、対抗手段としてラジオの音量をあげ、時折ライトを点滅させ防戦することでほとんど眠りにならなかった。(うとうとした顔を何やら駆けずったので、ネズミかと思い悲鳴をあげたら、大きな二匹のカマドウマだった。箒で土間に打っちゃった。)
次の朝、未明の小屋を出て、朝6時40分に迎えに来てくれた西会津町オンデマンドバスに揺られて家路に。
会津若松で缶ビール、郡山でワンカップをいただいてから心地よい眠りで福島駅着。日帰り温泉で身を清めていこうかと...
右後ポケットが開いたままで、財布がない。(やってしもった、電車の座席に転げてしまったと直感。前科があるので。)
足の痛みと荷の重さに堪えた急ぎ足で、駅の忘れ物センターに駆けつけると、「いまのところ届けはないが、乗ってきた列車は郡山行きとなって、まだホームにいるから、探してみたら」とアドバイス。
痛みを堪え、当該車両、当該座席に行き着くもみあたらなかったが、周りの乗客に「すみません、この辺に財布が落ちてませんでした?」とやけくそに尋ねたら....
何と、向かいの席に座っていた丸顔の可愛い女性が「係りのヒトに渡しました」と答えてくれた。(涙)何度お礼をしたか。(観音様のうつしみ、この世を恨んではいけない!)
忘れ物センターに戻って、問い合わせてもらうと、当該係りのヒトは郡山に折り返した当該車両の車掌で、郡山の忘れ物センターに預けるとのこと。
別バックに入れといた「青春18きっぷ」が文無しのオイラを再度郡山駅に向かわせてくれ、無事当該財布と対面させてくれた。
予期せず、二度泊まって、ネズミのお世話になった祓川小屋。ちなみに、地図の水ありと異なり、水がでない。近くの沢から汲んでいこう。
追伸
診断結果
ふくらはぎの筋肉一部断裂。4週間の安静を要す。無理すると、再発の可能性大。