先月の白馬でのはなし。仲間と白馬からの下山途中、雪倉岳をピストンした。帰途、左腕に長年愛用しているカシオ製プロトレックがないことに気づいた。意図的に外した経緯がないので、どこかでベルトが緩んで、知らぬ間に外れて登山道に落ちたものと推測したが、戻って探しにいく元気はなかった。後ろから、ツアー一行のおばさまたちが来たので、どこかに落ちていなかったか尋ねてみた。独りのおばさまが、「雪倉岳避難小屋の前に落ちていたわ」と知らせてくれた。内心「拾ってきてくれたらかったのに。」と思ったが、よく考えてみたら、山で落としものに出会ったら、落とし主がどちら方面に向かったかも分からんので現金とか(高価なもの)を除き、その場所に目立つように置いておくのが妥当な行動原理と理解した。7年使い古した腕時計は、高価なものに属せず、落とし主以外は価値がないので、後者の選択が妥当なのだろうが、それでもまだ動いているので(予備的に)いい拾い物をしたと持ち去るものもいないとは限らない。戻って取ってくるのが筋だろうが、仲間もおり、二日後にまたこのルートをたどるので、時計のことは、そろそろ更新時期かとも思っていたので半分あきらめ、その日は、山を降りた。
二日後、同じ道を辿り、ひとり朝日岳に向かって、例の雪倉岳避難小屋に行き着き、小屋の前を丹念に探したら、「やっぱり」なかった。人の善意にいささかの疑念をいだいた。
あきらめて、一応小屋の扉をあけて、小屋内部も探したが、なかったので、あきらめて小屋からでようとしたとき、おお、何と小屋入り口の道具掛に、オイラのプロトレックが丁寧に掛けられていました。
時計を2日ぶりに左腕に締め付け、思わず頬づりした。あわせて、手の平を返したように、「山行くものの善意に、いっぺんの疑念を抱かぬように、生きていこう」と、胸に言い聞かせた。