かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

島酒を飲んで、ぬるめの湯舟に浸かって台風を聴いていた思い出

2022-09-03 14:47:38 | 日記

仕事の関係で沖縄に滞在していた足掛け11年間のうち、「離島」(沖縄本島も立派な離島なのだが、石垣島や宮古島は、沖縄本島人から見て「離島」と称される。)である宮古島には2年間、石垣島には6年間過ごしたことになる。

「内地」(沖縄のヒトは、沖縄県外を「内地」あるいは「本土」と言っていたが、どちらの言葉も好きじゃない。ちなみに、北海道にも暮らしたことがあるが、向こうのヒトは道外を「内地」とよく言っていた。)

その「内地」に長いこと育った者としては、猛烈な風台風(風速30m/s以上・最大瞬間風速50m/以上)体験は、すざましいものであったが、離島暮らしの6年間に何度か、このような規模の台風を経験した。

2001年だったか、宮古島ではじめて風速40m/s以上を体感した時には、わずか300mくらい離れた職場に歩いて出勤することに命の危険を初めて感じた。小石が水平に飛んでいたのである。この時以来、「屋外に出ることは、クルマであっても危険」、ゆえに「学校や官庁のみならず民間企業も休業状態となることは至極当然だ」という常識が身についた。

現地では実際のところ、暴風警報(25m/s)が発令されれば、勤務先は休業となり自宅待機、「午後3時まで警報が解除されれば出勤(実際は年休処理でそのまま休業多し)となり、自宅で台風の去るのを待つことになる。さすが、40m/s以上の風が吹けば、「停電」となり、夏場となれば締め切った部屋は蒸し風呂状態になるのであろうが、何度か停電を経験したが、不思議にそのような蒸し風呂体験はなく、短パン・Tシャツスタイルでもあるのでも暑さを感じず、時おり、風下向けの小窓を開けたりして外の様子を伺い、猛烈な風を手のひらに受けたりしながら「涼を求めていた」記憶がある。

何もすることがないと言っても、過行く台風に半分怯え、半分楽しんでいた節があり、オイラは暴風に苛まれる外の風景や雲の流れ、大海の荒波に揉まれる小舟で聴くような轟音にむしろ快感なるものを覚えていた。

何もすることがないときたら、夜間や休日であれば、必然的に緊急物資のようにストックしていた島酒に手が伸び、この島酒の酔いが、さらに嵐を心地よいものとしてくれた。(ドラックではないので念のため。)

また、どういうことか嵐の日には島そば(沖縄そば)が無性に食いたくなり、これも生めんを冷蔵庫にストックしておいて、出来上がったアツアツのどんぶりに、紅ショウガと唐辛子をたっぷりと入れ、どこかの島人(しまんちゅう)がやっていたようにコーレーグース代わりに島酒をたっぷり降り注いでいただいた。

さらに、どういう関係か、普段はシャワーだけの風呂場の湯舟にぬるめのお湯を張って少し長風呂を楽しみながら外の豪風音を聴き流すのがたまらなく好きであった。

島酒・島そば・ぬるめのお風呂、これが「離島」滞在時の台風スタイルであり、もうあの日に還れないと思うとさみしさが募る。

今夜は石垣島のメイン通りである730交差点ライブをときおり目にしながら、ことの様子を案じながらではあるが、あのⅯスタイルと言ってもいい「離島」のときをなつかしもう。

 

 

石垣島730交差点ライブカメラ

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