太宰治の「富嶽百景」の舞台となった天下茶屋の建つ山梨県の御坂峠には、太宰治の「富士には月見草がよく似合う」の文学碑が建っている。
旧御坂トンネルに向かって左、御坂峠への登山道への階段を10数段ほど登り、少し平坦になった富士の良く見えるところにその石碑が建てられているのだが、トンネル入り口や天下茶屋には何等案内板らしきものがないので、太宰に興味のないヒトは知らずに通り過ぎるのだろう。
オイラも、ネットの情報がなければ、危うく見過ごすところであった。
その碑であるが、なりは立派だが、訪れる人も少ないのか、天下茶屋さんや山梨県の公園整備課(そんなところがあるか不明だが)もあまり整備、維持に関心がないのか、苔むしていて、風化も進み、「富士には・・」の刻印も、よく読み取れないというありさまだった。
この太宰碑も、全国にある芭蕉句碑などと同じように時の堆積物に埋められつつあるのだろうか。
碑の裏面(碑陰というのだそうだ)に、この碑の建立の発起人代表だという井伏鱒二さんの銘文が刻まれている。よく読めなかったので、写真を撮ってきて「解読」すると次のような言葉が記されている。
惜しむべき作家太宰君の碑の為に記す
太宰君は昭和十三年秋 偶々この山上風趣の爽快に接し 乃ち 峠の草亭に仮寓して創作に専念
厳冬に至って坂を下り 甲府に僑居を求めて 傑作富嶽百景を脱稿
碑面に刻む筆跡は その自筆稿本より得た
昭和二十八年
井伏鱒二
草亭の「草」など、一部解読困難な文字があるが、概ねこのような内容である。表は、太宰くんの自筆だというが、風化が進んで読みにくいのが哀れでもある。(井伏さんは、天下茶屋を目の前にして草亭などという言葉を用いるのだろうか、まちがったら堪忍)
「なんだ、太宰くん ここから望む富士って なかなかいいじゃないか、とくに雲が切れてちらりと姿を見せ、すぐまた掻き消えるなんてなんて、諸行無常、もののあわれ、いいのではないのか・・」
と 言い残して階段を下りた。もう二度と、ここに立つことはないだろうと思いながら・・。
天下茶屋の周りや、そこに至る道端には、月見草(マツヨイグサの仲間)が全く見られなかったのが残念無念。
だが、道すがら、ヤマハギのうす桃色と、クサボタンのうす紫のつぼみたちが、富士に喜ぶようにつぎつぎと花を咲かせていた。あのとき、バスの中で老婆が「あら、萩」とつぶやいたら、「富士には萩がよく似合う」となったのではないだろうか。