いやあ、こないだはサッカー勝利の熱狂と日露戦争祝勝のちょうちん行列との「熱狂」を同列なものと危惧したが、戦争と平和は根本的に異なる。サッカーは、あくまで「ゲーム」、「PLAY A GAME」なのだ。
二国間の戦士たちが相手の命を奪ったり傷つけるために冷たい兵器に身をゆだねるという戦争とは異なり、サッカーは二国間の戦士たちが相手ゴールにいくつボールを撃ち入れるかという平和世界における「たわいのない」ゲームなのだ。平和の味をかみしめながらとことん「熱狂」していいのだ。
と、朝から「グッドモーニング」、「モーニングショー」、(クロアチアVSベルギー戦から酒入りで見続けていたため途中仮眠)、「ひるおび」、「ゴゴスマ」=「ミヤネ屋」と続けさまに森保ジャパンの勝利リフレインを見続けている。つくづく、勤めがなくてよかったと無職に感謝している。
ネットの報道で、ロシアでもワールドカップが放映されていて、スポーツ番組が日本勝利を賞賛しているとのことである。ウクライナ侵攻によってカップからパージされたロシア国民が、つくづく戦争と平和は真逆なものと感じ入って、早々にに血なまぐさくバカバカしい戦いから手を引くよう為政者に叫び声をあげるような「熱狂」に駆られんことを願ってやまない。
この幸福感の余韻、すくなくとも来週の火曜までは続いてくれるのだろう。(非国民の手のひら返し)
日本百名山MYSONG 24 那須岳(1917米)
【深田百名山を読んで】
(日本百名山抜粋)
「 東北本線の西那須野から黒磯あたりまで、その広漠たる原が続く。山の好きな者にとっては、その果てに並び立った山の姿から目が離せない。(中略)その中枢部の茶臼、朝日、三本槍を、いわゆる那須岳と見なしていいだろう。
(中略)
那須温泉郷とはいうものの、湯本のような高級ホテルが並ぶのから、三斗小屋のように今でもランプで粗末な宿が二軒きりというものもある。そしてそれらの温泉を根拠として登山の出来ることが、那須岳の大きな特典であろう。」
那須岳の 七湯はいまや十一湯 どの湯宿から 登り始むる
【深田日本百名山登頂の思い出再掲】
那須岳という山は存在せず、那須連峰という名もあまり聞かない。那須連山というのが一般的か。最高峰は、1917mの三本槍岳だ。オイラのメモによると、昭和54年5月に登ったとあり、記憶では、白河からバスで甲子温泉(かしおんせん)に行って北から縦走したのだと思う。那須を代表する茶臼岳まで行ったのかは、記憶が怪しい。茶臼岳へは、最初の沖縄勤務から戻った2006年以降の、いつだったか秋のまっさかりに、湯元から登って中ノ大倉尾根を下って北温泉に下った記憶がある。とにかく、紅葉が鮮烈に朱かった日だ。
トレランに夢中だったころ、2011年以降だったと思うが、那須連山を舞台にした長大なトレランが1回限り企画されたことがあり(レースの名を忘れた)、エントリーしたが完走はかなわないと思ったオイラは、数週間前、後半コースとなっていた沼の原から茶臼岳に登り、三斗小屋温泉を経由して沼の原に戻り、このレースのゴール地点の板室温泉まで駆け下りた。
その後開かれたレースは、大雨の日で、福島の二岐山から那須の甲子山に泥んこで走り込んだオイラは、大勢の遅いランナーと同じように第2関門の甲子温泉で制限時間に捕まった。その後も一日中雨で、大勢がリタイアした散々な大会だったという。沼の原を歩いていてよかったと思う。
まだ歩きたいのは、三本槍から大倉、三倉の尾根を経由し、会津側に下るコース。初夏ならばニッコウキスゲが風に揺られている気持ちのいい草原だとか。
那須岳の 三倉山の尾根道の キスゲの花に 抱かれ歩まむ