MACS J0416 と名付けられた二つの銀河団がいままさに衝突しかかっているのだという。その銀河団はエリダヌス座の方角にあって、その距離は、430万年光年、その質量はなんとわが天の川銀河の420倍もあるとのことだが、科学者はまだ衝突には至ってないということを証明している。
といわれても、いったい何が起きているのか想像がつかないけれども、ハップル望遠鏡でとらえられたその映像は、ただただ美しく、それらが、八重山で撮影した長大なエリダヌスのどこいらへんにか漂っているかと思うとそれだけでいい。ワレワレハ、始めと終わりの間を漂っているにすぎない。
2019年に石垣島で撮影したエリダネス座とα星のアケルナル
といっても線を引かないと分からないのがエリダネスの長大な河
日本百名山 MY SONG 42 四阿山(あずまやさん・2354米)
【深田久弥・日本百名山から】
「菅平へスキーに行った人は、正面にそびえた二つの山を覚えているだろう。四阿山と根子岳。あれがなかぅたら菅平の値打ちはなくなる。」
「上信越国境では、浅間を除けば、最高の山である。」
「近頃は四阿山など誰もあまり見向きしなくなったようだが、私たちのような山のオールド・ボーイズにとっては、草鞋や脚絆で山登りをした者にとっては、必ず上るべき山であった。」
「この古くから名高い山を私は久しく登り残していたが、ようやく三月中旬スキーでその頂上に立つことが出来た。」
「風がつめたく、頂上にゆっくりしておられなかった。しかしスキーのシールを剥ぐ間も、私の眼は周囲の大観から離れれなかった。」
四阿の三月の風荒ぶるもオールドボーイズ立ち去りがたし
【深田日本百名山登頂の思い出・再掲】
日本百名山を集中的に登っていた2007年、小石の記録から7月1日に登っている。この山の登山口への道は暗くなっていたので車を走らせていたオイラは迷った。平ヶ岳登山の記録で誤解していたが、沖縄から帰った2006年以降は、オイラはマイカーを持ち合わせていなかったので、レンタカーを利用していた。
何とか辿り着いた菅平の登山口でテントを張り、翌朝まだ暗いうちに根子岳(2207m)経由で頂上をめざし、中四阿、小四阿を周回している。多分、午前中には戻っているのだろう。小石の記録では、その日のうちに霧ヶ峰の車山に登頂しているので、急いでいたのだろう。
レンゲツツジの点在する菅平から根子岳の登りでは、薄明から日の出まで、ひっきりなしにカッコウの鳴き声を聞いていたし、ときおり姿も見つけて、カッコウとの登山を楽しんだ。15年たっても、いまだその時の光景と初夏の高原を気持ちよく登っていたことをよく覚えているのは、カッコウさんのせいだろう。
ただ、山頂でもよく晴れていたと記憶しているが、その日の山岳展望がどうだったのか、まったくと言って頭に残っていないのは残念。それほど、忙しく百名山ハントをしていたのだろう。その余裕のなさには、重ねて残念。
四阿の山路に陽光さしつつもカッコウカッコウまだ霧のなか
根子岳から四阿山スケッチ (2020ヤマケイ新年号写真を編集)