かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

疫病神の居座るところ

2022-12-10 14:28:23 | 日記

日本は惜しくも敗退したが、どういうわけかワールドカップ熱は続く。トーナメントとなってから、携帯のタイマーを0:00にセットしてTVやAbemaの放送視聴となるのだが、その試合が終わっても、4:00に次の試合となるので、結局朝まで起きていることに。

お茶でも飲んで観戦していればいいものの、ストックしていた焼酎やウィスキーがあれば、それらをちびちびいただきながらの観戦となり、寝不足などによる生活リズムの不調と相まって、胃痛、口内炎など身体的異常をもたらしている。

始末の悪いことに、一昨日の夜だったか、(試合はなかったが)突然夜中に目が覚め、暗闇の中、トイレに行こうとフラフラと起きだし、立ち上がり布団から一二歩歩きだそうとしたところ、左足の薬指が何かを強く踏んで激痛が走った。トイレに行ったら、そこから出血していることに気づいた。指の付け根が切れていたのだ。あわててトレぺやウエットティッシュで何度かふき取り、救急セットからテーピングテープを取り出して足先をぐるぐる巻きにして止血。

初動処置が悪かったのか、二日たった今もやや痛みが残り歩行にやや支障があるので、近所の薬局で、あらためてマキロン、化膿止め軟膏、ガーゼなどを買ってきて処置。

今もって、負傷の原因となる「物・ブツ」は特定できないが、ワールドカップは、生活と身体にさまざまな異変をもたらしてくれる。言ってみれば疫病神みたいなもの。はやく、立ち去ってくれればと願う。(でも、明日の0:00と4:00には、またうなされるように起されるのであろう。)

 


 日本百名山 MY SONG   30 谷川岳(1963米)

【深田百名山から抜粋】

・これほど有名になった山はあるまい。しかもそれが「魔の山」という刻印によってである。

・現在の谷川岳は古来「耳二つ」と呼ばれていた。そしてさらに、その「耳二つ」の北峰オキノ耳を谷川冨士、南峰トマノ耳を薬師岳と称していた。そして谷川岳という名は、今の谷川の奥にある俎嵓(マナイタグラ)に付されていたのだという。

・「耳二つ」とはいみじくも付けられた名前で、上越線の上牧(かみもく)あたりから望むと、遠くに猫の耳を立てたようにきちんと二つの耳が並んでいる。その形が実にスッキリして清く鋭く、この山が昔から奥上州の名山とされたわけも納得される。

・(廃道となった清水越えの旧道)現在はその下に、湯檜曽川に沿って小径がついている。この小径を私は数回通ったが、これほどすばらしい景観に恵まれた道も数少なかろう。マチガ沢、一ノ倉沢、幽ノ沢等、凄い岸壁を突き当りに持った沢を、一つ一つのぞいて行くのである。こんな手近に、こんなみごとな岸壁がある以上、岩登りの好きな連中がここに集まるのも無理はない、そして谷川岳の遭難の大半は、この岸壁であった。

    若人を 虜にさせし岸壁は 聳り立つかな 二つ耳まで

 

 

   

      NHKBS グレートトラバース3から オキノ耳・トマノ耳

 

【深田日本百名山登頂の思い出より抜粋】

とにかく、谷川連峰は、昭和54年(1979年)に社会人になってからまったく立ち入っていないことはたしかだ。今年は、再訪の機会を逃した。ゆっくり、気のすむまま歩いて、土合駅にも立ち寄ってみたい。それと、魔の山谷川を象徴する一ノ倉の大岩壁というものも仰いでみたい。

(追記2022.12.10)

深田さんがすばらしい小径といった土合から清水峠への旧道跡の小径。この小径は、わが青春の蓬峠に向かっている。来シーズンにでも、この道を歩いて蓬峠に出て、谷川本峰、仙ノ倉へとたどろうか。欲を言えば、赤湯温泉経由で苗場山まで。錦秋の秋がいいのだろう。

 

   魔の山の 岸壁訪ね 空仰ごう 久弥の小径 秋燃えるころ

 

 

 

 

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