茂吉記念館で、茂吉の肉声を聞いた。昭和13年、茂吉56才の時の録音だそうだ。ラジオか何かだろうが、はっきりとした声である。彼の歌10首を連続して朗詠している。明治生まれのの歌人たちはこのような抑揚とスピードで朗詠したのだろうか。あの「歌会始」のスピードの倍もありそうだ。きっと、アララギなどの同人が集まった席で、このようにして詠みあったのだろう。貴重な録音だ。
やはり、短歌は「歌」であって、朗詠という行為によって良くも悪くも感じるのだろうか。茂吉の万葉調の文語で歌われた歌は、やはり詠いやすいと思う。学んでいこう。そして、現代にあっては恥ずかしいから、オイラは「クマ除け」を兼ねて、一人歩きの山で詠おう。茂吉を真似て。
ちょうど、YouTubeにDIY123がアップしてくれていたので、思い出に貼り付けておこう。じつはオイラもスマホに録画してきたのだが、はずかしながら容量の圧縮方法不明で、オイラがYoutubeに編集しているノートパソコンに転送できないのだ。学習しておこう。
① ゆふされば大根の葉にふる時雨
いたく寂しく降りにけるかも
② 朝あけて船より鳴れる太笛の
こだまはながし並みよろふ山
③ 草づたふ朝の蛍よみじかかる
われのいのちを死なしむなゆめ
など10首を朗詠している。昭和13年9月29日(茂吉56才)に録音されたもの。
【日本百名山MY SONG】 28 燧岳(ひうちだけ・2356米) 29 至仏山(2228米)
(深田百名山から抜粋)
(燧岳)
「広大な尾瀬ヶ原を差し挟んで東西に対立している燧岳と至仏山。燧の颯爽として威厳のある形を厳父とすれば、至仏の悠揚とした軟らかみのある姿は、慈母にたとえられようか。腹の中央に立ってかれを仰ぎ、これを眺めると、対照の妙を得た造化に感嘆せざるを得ない。
尾瀬沼から燧岳をなくしたら、山中の平凡な一小湖に化してしまうだろう。
(中略)
この山を開いたのは、桧枝岐村の平野長蔵氏で、ニ十歳の明治二十二年(一八八九年)八月二十九日燧岳に登り、さらに九月二十四にち頂上に石祠を建設した。その後沼畔に長蔵小屋を建て、尾瀬沼山人と名乗ってその一生を尾瀬の開発と擁護に捧げた。
(中略)
長蔵翁の後は、御子息の長英さんが継ぎ、尾瀬のために尽くしている。長英さん夫妻は短歌をよくし、左のような作品がある。
この朝も燧の高嶺雪降りぬ
いよいよみ冬近づきにけり 平野長英
燧岳の祭りを客もうべないて
赤の飯を食(お)すけさの安けさ 平野靖子
」
厳めしき 燧のやまの みふもとに 平野家眠ぶる 歌ひ集ひて
(至仏山)
「尾瀬沼を引き立てるものが燧岳とすれば、尾瀬ヶ原のそれは至仏山であろう。まだ尾瀬が近年のように繁盛しない戦前のある六月、原の一端にある桧枝岐小屋に泊まって、そこから見た至仏山が忘れられない。広漠とした湿原の彼方に遠く白樺の混じった木立が並んで、その上に、悠揚迫らずといった感じで至仏山が立っていた。そしてその山肌の残雪が、小屋の前に散在した池塘に明るい影を落としていた。
夕方、近くで摘んできた行者ニンニクを腹いっぱい食べて、戸外の据え風呂に浸かり、素っ裸のまま,長い黄昏を蒼茫と暮れて行く山の姿をいつまでも眺めていた.大らかな感動であった。 」
尾瀬ヶ原 その西端の据え風呂の 裸男(はだかおのこ)に 至仏暮れゆく
【深田日本百名山登頂の思い出・抜粋】
燧岳には学生時代の昭和53年(1978年)8月に登っている。
日光沢温泉~鬼怒沼~尾瀬沼と長大な道をテントを担いで歩き、尾瀬沼と見晴にテント場を求め、見晴から燧岳の最高点柴安嵓(しばやすくら)を往復しているが、双耳峰もう一方の俎嵓(まないたくら)まで行ってきたか記憶がない。翌日、三条の滝を見物して御池に回った。今年、43年ぶりに尾瀬沼のテント場から俎嵓と柴安嵓に登って、尾瀬沼と至仏山を懐かしく眺めて飽きなかった。今年は、長英新道を往復したが、燧岳から熊沢田代を経由し御池に到るコースが最も変化に富んで花が多いのだと聞く。近いうちに、このコースをたどり、この山にはもう一度登るのだろう。
尾瀬ヶ原の西端に聳える至仏山には、本格的に百名山完踏をめざしていた2004年ころ、そのころ住んでいた石垣島からやってきて、赤城山~皇海山~至仏山~武尊山の四山登頂の徒歩旅行で登っている。9月初めころだったと記憶している。テントは持参していたが、雨模様だったので山の鼻の小屋に一泊して、晴れた翌日、蛇紋岩のすべりやすい登山道を登り、尾瀬ヶ原の風景を楽しんだ後、笠ヶ岳を経由し、次の武尊山に向かっている。花の百名山なのであり、この山には次の機会、6月~7月初めに尾瀬に数日滞在したおりに再度登って、ゆっくりとした時間の中で咲き誇る花々との出会いを求めたい。
(2022.12.08追記)
今年の夏、富士山に向かうために朝早く「新宿バスタ」に仙台からの夜行バスで降り立つと、御殿場行きのバス乗り場の隣に「尾瀬行き」と書かれた乗り場を見つけた。「尾瀬行き」のバスは、朝の6時台にはやってきた。5時間近くで、尾瀬の南側の登山口大清水まで乗りつけてくれるようだ。これまでの会津経由よりも時間と交通費を節約できそうなので、次回はこれを利用してみよう。
尾瀬沼のテント場、尾瀬ヶ原のテント場に何日か逗留して、花と星の撮影にのんびり過ごすのがいいのだろう。秋の尾瀬も魅力だが、やはりヤナギランとニッコウキスゲの頃がいいな。
トランクに 1週間を積み込んで 新宿バスタ 「尾瀬行き」に乗る