上弦の月の日の12月30日20時30分、前後1時間ほど「月面X」が見られる、と「2022年天体観察手帳」が誘ってくれているが、現在南西の月の方向は白い雲に覆われている。とりあえず、このブログを未完成のまま発信し、あと1時間以内に月を観察出来たら、書き換えてみたい。下の、「MYSONG」を描き続けて疲れたので、今日はおしまいにしたい。情けないのだが。
日本百名山 MY SONG
50 薬師岳(やくしだけ・2926米)
51 黒部五郎岳(くろべごろうだけ・2840米)
52 黒岳【水晶岳】(くろだけ・2978米)
53 鷲羽岳(わしばだけ・2924米)
【深田久弥・日本百名山から】
(薬師岳)
「薬師岳は、白馬や槍のような流行の山ではないが、その重量感のあるどっしりとした山容は、北アルプス中随一である。ただのっそりと大きいだけではない。厳とした気品もそなえている。」
山頂に散乱したる宝剣は文鎮となりペンの音聞く
(黒部五郎岳)
「中村(清太郎画伯)さんは、「わが黒部五郎岳」と呼ばれる。初心失わず、今なお老躯をひっさげて山小屋に籠り、愛する山の写生に専念される。貴い気持ちではないか。 私も黒部五郎岳は大好きな山である。これほど独自の個性を持った山も稀である。雲ノ平から眺めた姿が中でも立派で、中村さんの表現を借りれば、「特異な円錐がどっしりと高原を圧し、頂上のカールは大口を開けて、雪の白歯を光らせている。」
「中村清太郎さんは黒部五郎岳を不遇の天才にたとえられた。確かに、世にもてはやされている北アルプスの他の山々と比べ、その独自性において少しも遜色がないこの見事な山が、多くの人に見落とされている。しかし、それでいい、この強烈な個性が世に認められるまでには、まだ年月を必要としよう。黒部五郎岳がto the happy few の山であることは、ますます私には好ましい。」
双六の小屋番部屋より通ひては中村画伯今日も五郎を
(黒岳『水晶岳』)
「(黒岳を立派に眺める二つの場所のうち)もう一つは雲ノ平からで、ここでは黒岳はすぐ目の前に仰ぐ位置にあるので、どっしりとした重量感をもって迫ってくる。雲ノ平は山に包まれた美しい高原であるが、そこから眺めて一番まとまりのある堂々とした山は黒岳である。もしこれがなかったら、高原の値打ちの半分は、減じるだろう。北方に見える薬師岳の長い(長すぎる)頂稜の灰白色に対して、黒岳はその名の如く黒々と男性的な強さを持っている。黒岳の名はそこから来たのであろう。」
黒岳は雲ノ平のひむがしに西日受けてもなほ黒かりし
(鷲羽岳)
「黒部と言えば、その谷の深さと嶮しさと美しさとで有名だが、その黒部川が産声をあげるのが鷲羽岳である。この山の頂に立つと、黒部川の幼年時代の発育ぶりが手に取るようにわかる。源流は一跨ぎ出来るささやかな流れである。その水がやがて切り立った絶壁の間を、潭(たん)となり淵となり滝となって、猛々しく流れていくのである。」
鷲羽岳の朝日をあびた水滴の黒部の川へ旅立ちたるや
【深田日本百名山登頂の思い出・再掲】
2018年8月盆前、トランスジャパンアルプスレースの応援を兼ね、立山室堂~五色ヶ原~スゴ乗越~薬師岳~雲ノ平~水晶岳~三俣蓮華岳~双六岳~新穂高温泉を歩いたが、その行程で43年ぶりに薬師岳の祠のある山頂に立った。スゴ乗越あたりで数人の選手とめぐりあったが、大半は寝ているときに通過したものと思われ、応援とは名ばかりだった。それよりも、2018年は、約20kのザックの重さに60代半ばに差し掛かったオイラの体は軋みを生じていて、ヨレヨレの歩きであり、薬師までの長い長い登り勾配が終わって山頂に立った時には腰が抜けたように座り込んだ。
初登の1975年の夏は、薬師沢キャンプに大きな1個のスイカを運び上げ、夜は大学同好会の数人の男女でワイワイと分け合っていただき、翌日薬師沢からワイワイ・ハツラツとしながら軽装で薬師岳を往復したのであって、当時のことを思い浮かべ、2018年の薬師岳山頂にて弱り切ったひとりぼっちのオイラの頭には「落魄・らくはく」という二文字がよぎった。
深田さんのお気に入りの山、黒部五郎岳と黒岳(水晶岳)には1990年代後半に、職場の後輩Ⅿ君と折立~太郎平~黒部五郎岳~黒部川源流~水晶岳~高天原温泉~雲ノ平~薬師沢小屋~太郎平~折立の山旅で二座登った。黒部五郎岳と黒岳の間に鷲羽岳があって、百名山であるからⅯ君が登りたがっていたのに、オイラは1975年にすでに登っていたことから、黒部源流コースという近道を選んでしまったことに、「自分勝手なやつだ」と反省している。
太郎平小屋、黒部五郎小舎、水晶小屋、高天原山荘利用と豪華な旅で「雲ノ平」までは順調な山旅であったが、薬師沢に下る途中の急な下り坂、野生のブルーベリーであるクロマメノキの実がたくさん生えていて摘み取って食べ歩きしていたことが災いし、オイラは小さな木製のはしごで足を滑らせ、右足首にひびが入るという重傷を負った。Ⅿ君のストックを借りてビッコひきながら、その日は泊まる予定のない薬師沢に泊まった。幸い小屋に看護師さんが常駐していたのでテーピングをしていただき、少しは楽になったが、翌日は太郎平にもう一泊。折立までの下りが途方もなく長かった苦い思い出がある。
黒岳には2018年の上記山旅でも再登しているが、鷲羽にはまたも登らずじまいだった。どちらから見ても鷲羽のどっしりした図体を見ると、登りを躊躇させてしまうなにかしらの威厳のある山ではある。
黒部五郎岳のカール地形とお花畑には、深田さんならずとも魅了されるので、この山と笠ヶ岳を結ぶ稜線の山旅は、遅からず計画したい。
山頂の薬師堂の木目に触れ四十五年の時思いけり
ザックからスケッチブック取り出してクロベゴロウを描いた夏
水晶の二段ベットの天井で夕餉の匂い嗅ぐ家禽みたいに
降りしきる雲ノ平を旅立つも源流跨げず鷲羽のふもと