山と渓谷・新年特別号「日本百名山・最新案内」を読み進めれば、深田久弥さんの日本百名山だが、かつてオイラが踏むことが出来た山頂が、いまは火山のせいで立ち入り禁止となっている山になっていることが分かる。御嶽山と草津白根山だ。ただし、御嶽山は、2019年は再訪できたので、噴火レベルによって流動的だ。阿蘇山もあやしい。
そして、本日、下の「日本百名山MAY SONG」に取り上げた足尾の皇海山(すかいさん)は、2019年の台風により最短ルートとなっていた栗原沢林道が崩壊したため、現在この道が通行止めとなっており、この山に登るためには、栃木県日光市側の銀山平方面から登らざるを得ないのだということが、ルポ記事で紹介されている。記事の表題は「登山者を試す百名山最難級のロングルート」なのだ。おそろしや。
このルートは、深田さんも歩いたし、オイラも往路として歩いたのだが、庚申山~鋸山はロープやクサリがあちこち張り巡らされた難ルートであり、往復すると12時間もかかるのだという。したがって、皇海山登山は、いまや北アルプスの剱岳をもしのぐ難コースなのだという。夏場の日が長い時季、若者や、健脚な方は問題なかろうが、百名山チャレンジャーには高齢者やご婦人の方も多く、あのルートを往復してくるのはかなり厳しいなと感じる。庚申山荘からの軽装往復がぎりぎりというところかか。
今日登れた山が明日は登れず、今年登れた山が来年は登れずなんてことは、自然を相手にしている以上やむを得ないことなのだろう。山に登る者、自己や自然は「諸行無常」であることを念頭に、ケセラセラの気持ちで山に相対するしかないのであろう。
ゆく年や この道行けど 明日はなし
日本百名山 MY SONG 38 皇海山(すかいさん・2144米)
(深田久弥・日本百名山から)
「私はつむじ曲がりの精神からこの山を取り上げるのではない。立派な風格を持った山だからである。東京からの見取り図では横背の長い山であったが、初めて近くから眺めた時、その横がつまって、颯爽と峰頭をもたげ、一気に下の沢まで落ちている姿は、思わず脱帽したいほどの気品をそなえていた。」
最短の林道(みち)閉ざされて幸なるや深田と歩む皇海のルート
【深田日本百名山登頂の思い出】
皇海山も深田さんお気に入りの深奥の静かな山で、まさに深田百名山の一つだろう。この山には2004年か5年の石垣島在住時、ツェルトかアライの軽量テント持参と荷物をなるべく軽量化して赤城山~皇海山~至仏山~武尊山と百名山4座を繋いだ徒歩旅行(一部わたらせ渓谷鉄道乗車)で登っている。銀山平にテントで一泊。翌朝、修験道の庚申山~鋸尾根ルートで歩いており、鋸尾根の末端の鋸山山頂からやっと海坊主のようなどっしりした山容と対面できたと記憶している。
このルートで忘れられないのは、鋸山には手前の蔵王岳のほぼ垂直な岩場をいったん下ってから登るのだが、下りに架けられたロープを頼りに下っていたところロープの末端が切れており、観念して必死の覚悟で2~3メート最下点にむけて飛び降りたこと。あれが、あと5~10Ⅿの高さだったら骨の一本や二本折れていたかもしれない。今でもあの時のことを思い出すと背筋が凍る思いだ。
事なきを得て、鋸山から1時間30分、展望のない山頂に一人立ち尽くしてから、吹割の滝方面の15キロ以上はありそうな栗原川林道を下り始めていたところ、皇海山登山に来ていて頂上直下ですれ違った若いご夫婦が車で拾ってくれて、吹割の滝まで乗せてくれた。車に乗せてくれなければ、吹割の滝へはヘッドランプをつけての歩行だったろう。当時出会った登山者はこの方々だけで、幸運だった。ありがたいことではないか。(ちなみに、いまはコロナがあって、親切な方でも乗せてはくれまい。)
実はこの林道からの不動沢コースというのは、当時の皇海山登山の最短ルートで駐車スペースから3時間、マイカー派ならほとんどがこのルートを利用したのだと思うが、最近の昭文社「山と高原地図 赤城・皇海・筑波」を閲覧すると、この長い林道は現在落石の増加による危険から閉鎖されているということで、不動沢コースは破線となっており、ほとんど登られていないようだ。このルートから次の至仏山めがけて尾瀬に向かったことを考えると、ゆめまぼろしの無常観を覚える。
現在皇海山に登ろうとすれば、あの危険な庚申山の迂回ルートが一般的だろうが、地図を見ると片道7時間もかかり、深田さん当時のように奥深く静かな山となっているのかもしれない。蔵王岳のあのロープは今どうなっているんだろう。もう二度と辿りたくはないルートではあるが。
皇海から車に誘いし男女(ひとびと)の顔は忘れき忘れ得ぬ山
最短のコース閉鎖となり果てて皇海山いま遥かなるやま
2020年 奥白根の登りで、皇海山の向こうに富士山が望めた