ちょっと樹木の名前を当てきれないが、表面にちょっと毛が生えていて柔らかな葉の上に見慣れないちいさな緑色の昆虫がこちらを見ながらジッとしていた。
はじめ草に住むクモの仲間かと思ってじっと観察したら、足は六本で触覚が長いいきもの。おそらくキリギリスの仲間、クツワムシとかツユムシとかそういった虫たちの幼子ではあるまいか。
お魚に幼魚がいるように卵からかえる虫のなかまは、大人になるまで顔かたちを変えていくのだと思った。昆虫図鑑にそのような幼子図鑑なるものがあったら、きっと分かるのだろうが。
たぶん、日中は生まれ育った木や草の葉にジッとしながら天敵をしのぎ、暗くなったらひそかに揺籃のような木の葉を食べながら次第に大きくなっていくのだろう。ちょと見ただけではわからないほど木の葉の色と同化している。
生まれ育ったこのような子供たちは、果たしてどれぐらいの確率で夏までに親となり、次世代へのリレー選手となるのかは定かではないが、「ガンバレヨー・チバリヨー・ケッパレヨー」と応援したくもなる。
昨日の青葉の森では、何頭かのチョウたちにも出会ったが、考えてみれば、幼虫から親になるまで何度かの蛹になって変態を繰り返すチョウや幼虫の姿を地下で変えながら大きくなるセミたちの親、つまり翅をもって地上に現れる仲間たちは、いわば最終形の「死に装束」の姿で現れ、長くとも数週間のうちに命をリレーして天に召されるグループだ。
秋になって、薄暗い暗がりで恋をささやき合う秋の虫たちも好きだが、かれらは春から夏まで比較的長い季節を生き延びることができるので、まだ「はかなさ度」は少ない方だろうが、このところ「死に装束」のチョウやセミたち(ホタルもいた)に愛着を感じるのはトシのせいというものだろうか。
翅を開いて派手な色彩と紋様を戴くちょうは天敵への「オイラは毒があるよー」というアピールだろうが、森の中のチョウたちは圧倒的に、落ち葉や木の幹に同化したような保護色が多い。短い人生であっても天寿を全うするために神さまがくれた知恵なのだろう。
主たる歩きはバードウォッチングなのだが、足元にとまる物言わぬ静かなチョウやほかの昆虫たちに愛を感じた日。
(その愛を感じたオイラは、数日前台所の床を這っていたコックローチをスプレーで絶命させた。この違いをうまく説明できない。)
ツマグロヒョウモン♂
コミスジかミスジチョウのとじた翅もまた美しい
ヒメウラナミジャノメ♀か 蛇の目模様は天敵対策か
黒いからクロヒカゲ♂♀不明か
目の前にのんびり飛んでき小さな甲虫(2cmくらい)ジョウカイボン。漢字だと浄海坊。誰が名付けたのか昆虫にしてはありがたいお名前(平清盛の名だという説)。清盛入道とはイメージできない。一説には清盛が毒のあるカミキリ虫にかまれて熱を出して死んだからというが、この子は毒はなく優しい生き物らしい。
今日のお花
草むらの小さなニワゼキショウ
ノバラ
ゴマノハグサ科のムラサキサギゴケ 小さくてかわいい