かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

富士に佇むマリア様は怖い顔なんかしていませんよ

2018-07-07 11:11:29 | 日記

富士山精進口から富士山を登る途次、仲間の了解を得て、三合目付近からスカイラインに出て、500メートルぐらい下ったところにあると山と高原地図に印されている富士聖母像に立ち寄った。

4月末のSTY合宿時、文学散歩の対象ルートにしていたのだが、あいにく「雪崩の危険」のためスカイラインは一合目までしか通してくれなかったから、今回の登山中にはぜひ立ち寄りたいと思っていた。

武田百合子さんの富士日記に、何度か出てきた(ああ、もう忘れている、1度だったかもしれない。)マリア像。百合子さんと一人娘の花さんが、このマリア像を訪ね、花さんが「怖い顔している」と言っていたので、ぜひそんなに怖い顔のマリア様ってどんなもんか見てみたかった。何か、人類の悪行に怒りをこめた表情をしておいでなのだろうか。

富士聖母像の入口の看板はすぐ目に付いた。樹海台の展望台の道路を挟んだ山側に「こっちだよ」と→。「OurLady Of Mt.Fuji」

整備された急坂を登ること3分、純白のマリア様は幼子を抱きかかえられ原生林にひっそりと佇んでおられた。このあたりは、もう溶岩の樹海を抜けた原生林。まるっきり展望もなく、曇ったら薄暗いこの場所に、誰がどういう目的でたてたというのか。(?) 富士山を背にしていることは方向から分かるのだが、富士山も見えないし、樹海台のような展望も開けていないこのような場所に、なぜ?(再び問い)

恐る恐る怖い顔立ちを眺めたが、あまりに背が高く顔が小さいので(西洋人だ)よくよくは拝めなかったが、確かに、ほりが深いためまなじりがいやに光を反射して、何かしらの畏怖を感じるのかもしれないが、よおくみてごらん花ちゃん!お優しい表情を見せているではないか。御子を抱えられ幸福にあふれたまなざしだ。思わず、カトリック幼稚園で習ったお祈り「父と子と精霊の御名によりアーメン」を内心つぶやき、手を組む。

背後には世界中から集められた小石が埋め込まれており、看板には世界平和を祈って建てられたとは記されているが、誰が何のために・・・(みたび疑問)

1964年10月に建てられたというが、あまりに純白清潔なので、これも疑問だったが「サレジアン シスターズ」のホームページ昨年改装されていることが分かり、これは氷解。

http://salesian-sisters.jp/information/5818/

 

1964年というと富士日記が始まった年。昭和39年、東京オリンピックの年だ。ふもとの別荘に武田親子がやってきて近所で話題にもなっていたので、何度かやってきたのだろうが、当時中学生だった花さんには暗い森の中の純白の聖母は何かしらの不安をあたえたのだろう、高すぎて白すぎて真の面立ちは、よく見えなかっただろうから。

 

で、マリア様はあの宗教法人の富士山麓での所業や盛衰もじっと見つめてきたというわけか。「カミクイシキムラ」の方角をみつめているようでもある。恐ろしい形相で…。アーメン。

 

 

 

 

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精進湖から登る富士山

2018-07-02 15:51:32 | 日記
2018年山開きの翌日は、飛行機の時間に間があったので話題の「万引家族」を観て
、目頭を熱くした。子供の絵がいいのと貧しさの絵がいい、ヒトの生活の貧しさであって、人格の低劣ではない。ソーメンちらして、背中にネギこぼしてやるシーンや音だけで家とビルの隙から皆で花火を仰ぐシーンなんか演出の妙である。ラスト15分に泣いた。映画館を出て、物狂ほしいまでの暑さと小金持が小走りで歩み散らばる都会からいつものように逃げ帰るように空港へ。台風7号のおかげで1時間遅れ。

富士山山開きを、麓の精進湖から登って体験したいという企画に乗ってくれた二人の友人とともに朝7時前に標高1000に満たない宿を出発して標高3000の宿に着いたのは、10時間後の午後5時すぎ。その宿を1時に出発し登頂とお鉢巡りを終えて、五合目のバスターミナルに降りたのが11時、両日とも10時間の行動ではあったが、おいら以外タフネスであった。思いがけず梅雨晴れとなって、御来光も仰げたし、長く深い裾野の森林浴を体験できて正解の企画であった。私も体験したいという奇特なヒトがあれば、また、山開きの日に出かけたい。一人でもいいな、迷うことのない広く柔らかな道。一日早く出かけて奥庭の小屋に泊まり、大沢崩れまでの御中道を辿るのもいいだろう。山麓は、野鳥や春ゼミの華やかな季節でもあった。愛しのルリビタキに沸き立つ五合目あたりだったな。
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