本日をもって、しばらくつないできた石垣島からの日記は仕舞とする。週の後半からは、あらたな土地からの発信となる。ノートパソコンも、明日の早朝には段ボール箱に納められ、北国に送られることに。この、日記も、思いついたら、旅の途中にスマホから発信することとする。
最後の日曜日、きらクラをイヤホンしながら浜を歩く。アサガオ科、マメ科、ヒルギ・・浜の植物たちが新たな季節を動かし始めている。命のリレーだ。
さよなら、石垣島、皆、命のバトンはしっかり握っているか。
給金とは古い言葉、「上からの指図により働いて給料を貰う」という意味に解しておこう。昨日、40年近く続いた、その給金生活にピリオドを打った。3月末までは組織の一員という身分があるので、正確ではないが、出勤して8時30分から17時15分まで拘束されることは、昨日でおしまいということ。残った年休をすべて出勤予定日にあてて、引っ越し作業を終えたら出立。
さすらいでも、漂泊でもなく、一応の北帰行ルートは定めているが、あくまでもデッサンであり、詳細は行き当たりばったりにまかせての旅となる。
給金生活は終えるが、ささやかな年金をいただいての職業は死ぬまで続くのである。「業」=「ごう」は己の行為、旅を住みかとする旅暮らしという行為が我が職業。何者にも指図されず自由ではあるが、糸が切れた凧のように、どこに落ちていくのか不明といういささかの不安は抱いてはいる。
これから健康年齢とされる10年、3653日、87,672時間。食事と飲食を含め8時間は休息にあてるとして、残る58,448時間、約6万時間のうち3万時間は旅、あとは、旅の記録と読書・学習という生活が理想。3万を24時間で割ると1250日。これだけ、寝ずに旅を続けられたら「もういいだろう。」と安らかに冥界に旅行くのだろう。
さて、どこまでその理想的な生活ができるのか、まずは、1年やってみよう。
午後、バンナ公園に立ち寄って、石垣か西表にしか咲かない満開のセイシカの花【聖紫花】にお別れ。2006年の3月にも公園北口でお別れしている。終の別れなのか…(公園ではなく野生であればどこかで巡り会ううかも)
セイシカ4題 すべてソフトフォーカスモード
月日は百代(はくたい)の過客(くわかく)にして、行きかふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口をとらえて老いを向かふる物は、日々旅にして旅を栖(すみか)とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいずれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ・・・・
芭蕉翁「奥の細道」序文の書き出しである。天体を眺め、時間を思い、無常を感じ、大きな宇宙観を抱きながらの旅立ちの思いが募っており、翁のスケールのでっかさに、あらためて心揺り動かされる。
昨日未明の「名残の浜」を編集しながら、この書き出し文がよぎったものだから、冒頭になぞらえた。
ちょっと、BGMを替えてスピード感を持たせてみた。同じラヴェルの音楽であるが「亡き王女」と「眠りの森の美女」のどちらがふさわしいか。NHKのきらクラでやってるBGM選手権みたいなものだが、おもしろいので、試行錯誤しながら作っていこう。
BGMは、ラヴエル「マ・メール・ロア:眠りの森の美女のパヴァーヌ」のライセンスフリーMIDI
魚眼も、浜全体が映るヴァージョンにしてみた。
今朝は3時に起きたが、星がまだ輝いていたので、浜に降りようとお茶を飲んでいたら、一面の曇り空となった。予報では、来週の引っ越しまで、「快晴」は望めないので、昨日の空で店じまいとし、覚悟を決めてカメラ・レンズの荷造りも始めていこう。
来週からの北帰行には撮影機材としては軽量化のため、p900、w100、スマホだけを旅の友としよう、そして、福井県敦賀にたどり着いたら、「奥の細道」を逆行して宮城まで行こうと思っているので、少し古くなったが20年前に使用したJTB「奥の細道を旅する」をザックに入れていこう。
旅立ちまで、1週間。
3月13日水曜日、午前0時に起きるつもりが、2時に近い目覚め。思ったほどではないが晴れていたため海岸に降りる。2時20分から2時間ほど微速度撮影を試みるが、水平線に雲がかかっていたため、サザンクロスやケンタα・βはほとんど確認できなかった。サソリの赤いアンタレスと金色の木星が大きく輝いて昇ってきただけ。名残の浜辺である。
今度は、MIDIライセンスフリーの「亡き王女のためのパヴァーヌ」を背景音楽としみた。名残の浜辺作品2
ソフトフィルタ使用 https://youtu.be/FAV6EJU2k2g
魚眼レンズによる浜辺、魚眼レンズで微速度やったらプラネタリウムみたいだ。あと1回晴れてくれれば実行しよう。