言わなければよかったのに日記

 私が見たこと、聞いたこと、感じたこと、頭にきたこと・・・を(ありのまま)に伝えます。

今日もパソコンと

2018年09月09日 | 歴史探偵
 

 今日もパソコンと睨めっこでした。今日は昨日と違って“相良藩”の歴史書・・・先日は「歴代嗣誠獨集覧」のことを述べましたが、今日は「南藤曼綿録」のことを調べて見ました。相変わらずアチコチなことをしています。
 この二種類の史書は同じ人(梅山無一軒)が書かれたものです。まず、「南藤曼綿録」を書いて、物足りなかったのかさらに資料を重ねて、もっと分厚い「歴代嗣誠獨集覧」を書かれたのだそうです。どちらも現代語に読んであるので私にはとてもよいです。
  山江に関する記録(記事)を斜め読みしながら付箋を貼っています。そしてその部分(箇所)をワープロに打ち直しているのです。同じような内容が書かれているのですが、ちょっと詳しかったり省いたりされています。“山田大王社造営のこと”は「歴代・・・」だけに記されています。ところが”毘沙門堂再興のこと”はどちらにも記載してありました。ほぼ同じ内容です。
 
 斜め読みしていると面白い記事に出くわします。

 『同年(元禄2年1689年)2月3日松鹿野ヨリ異人ヲ捕ヘ来ル』という1行だけ記してあるのを読みました。「異人」って何のことだろう、と思いました。外国人なのでしょうか?「松鹿野」としか書かれていませんが多良木の松ヶ野かな?です。その異人のことは後にも何も書かれていません。したがって何のことかは不明です。
 
 人吉球磨のことばかりでなく全国の大きなニュースも・・・宝永4年(1707年)のことです。
 『同年10月4日未刻大地震、求痲御城ノ護摩堂幷塩蔵所ノ石垣城御門大破・・・神社仏閣在家ノ破損ハ申スニ及ハス誠ニ前代未聞ノ大地震也』、いわゆる宝永地震のことです。南海トラフ巨大地震のことでM8.6だったとのこと、人吉でも被害があったことが記録されています。
 また、『同年11月(宝永4年1707年)11月下旬駿河国富士山焼砂石ヲ飛シ声雷ノ如ク隣国4、5日夜ノ如ク昼夜ヲ知ラス、傍ラニ山出ル、宝永山ト称サル・・・』とあり、この宝永4年は天災の連続であったようです。

 北海道の地震もまだ余震があっているようです。亡くなった方や行方が不明な方もおられるようです、早くの復興を願っています。

 今日の天気(