今日は人吉新聞にほとけ展の紹介記事を書こうと思ってパソコンに向かいました。先日、上村史の‘の廻文控帳’から面白い記録を見つけたのです。廻文というのは藩庁から各村の庄屋さん宛に出された通達書です。例えば、藩庁→山田→深水→四浦→五木→藩庁というように廻るのです、庄屋さんは書き写して次の村へ、したがって書き写したものが上村庄屋さん宅に6年間分の控が残されていたのです。
その中に「此節、近国、暴瀉病流行の段・・・」~暴瀉病(ぼうしゃびょう)とはコレラのこと~近国は肥後藩のことらしい?~流行しているので、願成寺と青井神社で‘病難消除’のために‘祈祷’をするというというお触れ書なのです。安政6年(1859)幕末の頃です。
医師もいない病院もない時代です。神頼みしかなかったようです。
コレラは日本には文政5年(1822)に入ってきた伝染病です、明治終わり頃、コッホや北里柴三郎の努力で予防ができるまでは手の打ちようのない病気だったようです。
たまたまですが、その文政5年に岩ヶ野堂の薬師如来像15体が修復(彩色)されて、‘入仏式’が盛大に?行われたことが(田代家老日記)に書かれてあるのです。‘薬師如来’にお参りして病気やケガが治ること、病気にならないことを祈られたものと思います。その当時、200年ほど前のご苦労を感じました。そのことを新聞に寄稿してほとけ展のことを宣伝しようと思っています。
今日の天気(→ 昼過ぎから雨が降り出して気温も下がりました、台風の動きが心配です)