言わなければよかったのに日記

 私が見たこと、聞いたこと、感じたこと、頭にきたこと・・・を(ありのまま)に伝えます。

球磨弁のこと

2020年08月20日 | 球磨弁

    

 カテゴリー「球磨弁」を追加して、このブログでも‘球磨弁’にチャレンジしてみようと思います。私は“球磨弁”をよく使っています。球磨弁しか喋れないのかもしれません。

 もうずいぶん前に(何十年前)、高田素次さんの講演を聞いたことがあります。話の中味は全く覚えていません。しっかり覚えているのは球磨弁で喋られたこと、深田の「内山」は「うっちゃま」と言っているが、「内」は「うっ」か「うっち」と読むのか?と聞かれました。私は頭をひねりながら、球磨弁の面白さを感じて、いまはそのことしか覚えていません。

 もう一つは、東京の私のアパートで長崎の友達が遊びに来ていて、コップか何かを片付けようとしたときに、「もう、なおしていいか」と聞きました。彼は怪訝そうな顔をしました。私が言ったのは(片付けてよいか)、彼は(修理する)意にとらえていました。あとで、「なおす」=片付ける、は球磨弁と知りました。

 いまは、前田一洋さんが球磨弁の第一人者だと思われます。『球磨弁いろはまんだら』という本を書かれた時に高田素次さんが「 “方言な、書くともむつかしかばってん、読むともむつかしかばい。”確かに方言は言葉ですから、口で話すもので、耳で聴くものです、・・・無理は無理です」と序文に書かれています。

 いま、自分で「球磨弁ノート」なるものを作って、前田さんのような球磨弁で喋る文章を綴ってみようと思いたちました。さーて、廃れつつ球磨弁をどれほど綴れるかは心配ですが、このブログでも紹介できるようにカテゴリーまで作ってみました。70才最後のチャレンジです。できるかな?です。

 今日も暑かったです。

 今日の天気(  )