しろつめ・楚々・くちかずこ姫のお部屋 goo

安易に清水の舞台から飛び降りるが、意外に用心深い。極めて自己中心的だが、意識がない部分で情が深かったりもする。

お墓への感慨

2021年08月08日 14時26分07秒 | 両親のこと

昨日は母の命日でした。

21年前に64歳で他界しました。

昨日は朝から、母の為に?

ヨモギ団子を作りました。

ま、サメヨモギを冷凍していたし、

サメ栗入り餡も冷凍していたのでね、

団子の粉は、体操のお母さんからですし・・・

 

   

 

 

くちこは、菩提寺にお盆勤めをお願いしておいたので、お昼からは、

位牌全てをお寺に持参して、毎年ながら、お経をあげて貰ったのでした。

 

   

 

年々・・・

こんなことができるのも、くちこが参拝できる間までなんだなあ・・・と。

菩提寺は、くちこ家から車で1時間。

酷暑の折だと、くちこの体力では運転は無理、サメ氏が必須アイテムに

子供達は揃って東京。

 

その後、お墓参りへ。

いつも、叔父夫婦が綺麗にしてくれているので有難いなあ、と。

ただ、そんな叔父夫婦もすっかり老いていてリミットは近いかと・・・

 

くちこ家のお墓の近くに、

くちこ家分家のお墓があります。

くちこの実家の二軒隣りに家がありました。

くちこの祖父の弟(くちこの大叔父)一家が住んでいて・・・

 

くちこ父は、台湾から志願兵で出兵して敗戦後、日本に引き揚げているくちこ家に帰ったら、

父親も兄も姉も結核で(母親は、早くに台湾にて他界)後は、幼い弟妹だけだったのでした。

くちこ父が二十歳にもならずに大黒柱になり、皆で辛酸を舐めつつ、父親と兄は結核で他界。

姉は、療養病院で療養、その仕送りも塩を舐めるような生活で弟であるくちこ父が仕送りしたとのこと。

 

さて、

二軒隣りの分家は、当時裕福で、たらふく白米を食べる生活だったものの、

くちこ父達には、一粒の米も分けてくれなかったそうで。

その後、くちこ本家の台湾から独身のまま出兵して戦死した、くちこの大叔父の遺族年金の請求が発生。

手続きは、くちこ父がしましたが、結局、この二軒隣りの分家に横取りされたのでした

当時、戦死者から見たら、くちこ父にとっては叔父であり、

二軒隣りの大叔父にとっては弟だったのでね。

葬式も、法事も、位牌も、すべてくちこ家なのですが・・・

 

と言うことで、

くちこ家の人々は、みんなこの分家を恨んで生きてきたんです。

天国で、その様子を見ていた?くちこの祖父はどう思ったのか・・・・

ただ、

極めて愛想のよい赤ん坊だったくちこは、この分家の人が近づくと必ず大泣きしたそうで、

そこの娘が花嫁衣裳を着て歩くのを見たら、急に気分が悪くなり、家の庭で真っ赤なモノを吐いたのを覚えています。

未だ、幼かった頃の事です。

 

くちこ父の遺品を形見分けする時に、

すっかりオバサンになったその花嫁だった人がやってきて、

あれもこれもと欲しがり持って帰るのをその場に居た全員が唖然としたことを覚えています。

それでも、母の意志で呼んだのであり、

母は、貰ってもらえて良かったのだと言っていました。

いつまでも親のしたことで恨まれ続けるのは気の毒だから、と。

 

その分家ね、

親子仲が悪く、

姉弟は、早々に絶縁してしまい、

後継ぎの孫は、刑務所に入り、

借金が嵩んだとかで、分家の家は売られてしまいました。

横取りした大叔父は、結構、長く生きていたみたいでしたが、

晩年はずっと、アルコール依存症で入院したままでした。

 

大叔父が他界した時、

くちこ父は、墓地が無いと泣きつかれて、墓地を一区画、譲ったのでした。

そこは、くちこ父の弟である、

いつも、くちこ墓を掃除してくれている、くちこの叔父に譲られる筈の所でした。

だからね、

くちこ叔父はとても良い人なんだけど、

すぐ近くにある分家のお墓は無視しています。

恨み千万は、死ぬまで続きそうです・・・

 

くちこ母が他界した時、

くちこは、その分家の大叔父の娘さん(と言っても相当年上)を呼んで、

母の形見分けとして、琥珀のネックレスを二本渡しました。

くちこ以外、誰も知りません。

ただね、

くちこ母の遺志を想像すると、分けてあげるべきだなと思ったので。

 

いつもの事ですが、

昨日のお墓参りの時も、

くちこ家のお墓は綺麗で、

分家のお墓は、墓石は立派なのだけど、荒れ果てています。

市内に住まわれているのですが・・・

くちこは、くちこ父がどう思うかは分からないけれど、

お水だけあげることにしています。

 

そうそう、

二十数年前だったか?

くちこ叔父が、年間4万円の戦死者遺族に対する弔慰金をこの分家から、くちこ本家に支給先を変更したんです。

それは、4万円が欲しいのでは無く、

長年の恨みを晴らすべく、烈火となって取り返したみたいです。

既に大叔父は他界した後の事ですから、言ってみれば自分の従姉妹を相手に?

権利のある6人の縁者に放棄の書面を書いて貰うのも大変だったと思いますが、

多分、意地

そして、

その4万円、毎年、くちこに届けてくれていました。

要らないと言っても、ね。

これは、くちこ家本家が貰うべきお金だから、と。

本家に渡すと言う約束で放棄して貰ったのだから、と。

20年位貰って、終わりました。

くちこは、そのお金で、台湾の台中にある日本人の遺骨安置所にお参りに行った訳です。

子供達と二回、サメ氏と一回ね。

 

 

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おまけ

 

 

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まあさあ、

昨日、車中で、そんなこんな、思い出して感慨に耽ったのでした。

 

帰りには、久しぶりに、丸ごと桃のパフェを食べに行きました。

 

   

 

      

 

久しぶりに行ったら、イートスペースがかなり広くなり、

しかも、全部、セルフサービス、容器は使い捨て・・・

なんなら、テーブルの消毒もセルフでした

ビックリ

此処で、初めて丸ごと桃のパフェを食べた時は、総婦長の奢りだったんだけど、

器も豪華、桃も大きく、もっと上品だったのになあ・・・

 

 

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↑恩知らずにならない為に同じ店の豪華だった頃を載せておきます。

と、は、

奮発してくれたサメ氏には言えないので、

※因みに桃1500円、メロン1300円。

「美味しい」と一言。

でもさ、容器もホントは味の内なんだなあと内心思ったのでした。

 

可愛い雑貨とかもあり、久しぶりに楽しみました

 

   

 

 

最近ね、

いつの間にか、凄く長い年月が経過していることをよく痛感します。

くちサメも、結構、新婚扱いされてきたのですが、

数えてみたら、もう出会ってから来月で18年でした。

その内、最初の結婚よりも長くなるかも?

不満タラタラですが、

桃パフェとか買ってくれるので、ね。

そう、全て、物事は天秤ですから。

 

 

 

 


律儀なくちこの父の日特集

2016年06月11日 18時57分46秒 | 両親のこと

19日は、父の日なんだなあ。

 

父ね・・・

困った人だわ

散々、過保護に甘やかして育てておいて、

くちこ、たったの三十歳の時に逝きました

 

散々贅沢三昧に育てておいて、

突然、くちこ、たったの15歳の時から半病人になりました

 

そりゃ無いよね。

どう落とし前を着けてくれるんだよ

 

ああ、甘やかされたツケは大きい。。。

わがまま。

我慢ができない。

神輿は乗る物だと思っている。

経済観念は、植えて貰えなかった

 

そして、母までもが、またしても早々に他界

どうしてくれよう

父と一緒になって甘やかしておいて。

して貰った事は多いけれど、

だからと言って、こんなくちこをこの世に置き去りにするなよな

 

徒然考えるに・・・

母が不妊症で無かったら、

父によく似た兄とか弟とかいたのだろうか?

父に似て、運動神経も良く、勉強家の・・・

そんなのだけでも残しておいてくれたらなあ。

残念至極

 

母のような、姉でも妹でも良い。

姐御肌で、面倒見の良い肝の据わった働き者。

そりゃ、助かるわ

 

そうだった。

母は、50代で半病人になった時に、

「一人しか産めなくて申し訳無いから、

自分が、母の役も、姉の役もするつもりだったのに、できそうになくて済まない」と。

 

そうそう、

父は、死んだ後に、何度も夢枕に立って、

「未だ死にたくなかった。

もっと頑張るつもりだった」と。

 

その時は、15年も闘病したのだから、もう十分と思ったし、

父がやっと楽になったと安堵もしたくちこでしたが・・・

 

やっぱ、無責任だわ

 

あり得ないことを考えても仕方無いのだろうけど、

もし、もう十年でも生きていてくれたら、な。

くちこは、離婚の時、たった一人でどんなに必死で立ち向かったことか・・・

 

まあね、

父の運命。

母の運命。

そして、くちこの運命なんだなあ。

 

それでもね。

くちこは、確かな、くちこの芯を貰ったよ。

ありがとう

それだけは、本当に、ありがとう

 

くちこの芯を証明する写真集をくちこの為に残しておきます

 

                               

 

                                

 

                              

 

                             

 

                                 

 

父はね、

天国から、くちこを護る責務があるので、

くちこが現世に居る間は、来世はありません。

それは、

当たり前のことですから。

 

P.S

誰だったか?

くちこの白衣姿ご所望の方が・・・

此処に残しておきます。

 

                               

 

 

 


叔父さん来たる

2015年07月03日 19時26分53秒 | 両親のこと

血って、有り難いなあ。。。

59歳で他界した父の弟、80歳(^_^)v

夫婦でくちこ宅にやってきました

父が生きていたなら87歳、叔父のようになっていたのかな?

父とよく似た叔父は、くちこのサブ父です。

 

父より口下手だけれど、

くちこ家のお墓の掃除、何十年も続けてくれています。

だから、くちこが何時お墓参りに行っても、お墓もお花も綺麗です

そして、独身のまま、くちこ家から出征して戦死した大叔父に対する国からの弔慰金を

毎年、受け取っては、くちこに渡しにやって来ます。

本来、本家が受け取るモノだから、と。

年間4万円、20年間で、今年が最後でした。

叔父は、勝手に、最後まで受け取ってくちこに渡すことを責務にしていて、

今日は、「これで、やっと死ねる」と笑っていました。

 

叔父は末っ子で、物心つかない内に台湾で母親を亡くし、

台湾から引き揚げ後、数年の内に父親と長兄も結核で亡くし、

志願兵で出兵し敗戦後帰って来たくちこの父に養われたのでした。

結核の姉と、未だ二十歳にもならないくちこの父・・・

泣き言も言えず、みんなで頑張るしか無かったようです

その姉もくちこの父も、とっくにこの世には居なくて・・・

叔父は肉親との縁が薄いんだなあ。

くちこも、一人っ子で、両親はとっくに他界。

くちこと叔父は、心に北風を抱えた者同士だからか、

仲の良い、叔父と姪です

 

くちこの娘が結婚する時、

既に離婚していたくちこは、式に呼ぶ親族が居なくて、

でも、叔父夫婦が立派な後ろ盾として出席してくれたのでした。

遠路遙々。

くちこの自慢の叔父として。

叔父にとっては、くちこの父が恩人だそうです。

くちこは、親の遺徳で甘い汁を吸って生きてきたんだなあ。。。

 

くちこが離婚を決めた時、くちこの両親は既に無く、

あろうことか、くちこは、養子取りの結婚だったばっかりに?

離婚する際に、危うく元夫にくちこの実家を取られそうになりました。

江戸時代からの本家筋で、

台湾引き上げ後も、兄弟姉妹が力を合わせて死守した実家の家と土地。

勝手に元夫が合法的に自分の名義にしていのでした。

くちこの両親と養子縁組をしていて、既に両親が亡くなっていたのでね。

 

くちこは、分家となってずっとくちこ家を支えてくれた叔父に申し訳なくて、

号泣しながら、

「叔父さん、ごめんなさい!

くちこのせいで、家が取られてしまう!

くちこ家が守れない!」

絞り出すような声で叔父に謝ったのでした。

離婚の原因は元夫の浮気だったので、

慰謝料と相殺で名義は取り返したんですけれどね。

それはもう壮絶な闘いを繰り広げました。

くちこは、三人の子供を背負い、

今の家のローンを背負い、

正に背水の陣!

阿修羅の如くに生きていたと思います。

で、思い出しても、してやられたことに腹が立ちます。

あ、また話が脱線。

 

とまあ、そんな叔父夫婦が来てくれて、

今日は楽しかったという話です。

長生きして欲しいなあ。

 

掃除に精進するサメ氏。

      

くちこは、手土産におはぎを作りましたが、失敗。(小豆が固くて)

 

 

叔父が来るので、仏壇の掃除をしていたら、

こんなモノが出てきました。

      

そうだった。。。

くちこは、50歳にして他家に嫁ぐにあたり、

そのことが申し訳なくて、父や父の親兄弟のために授戒会に出席したんだった。

よく解らないんだけれど、

これって、検索してみたら、

師から弟子へと代々仏法を正しく伝えること。

その仏法相承の系譜となるそうです。

ちなみに臨済宗建仁寺派です。

 

「死んだ人が仏になれるように坊さんが書く証文」と。

くちこ的イメージでは、あの世での指定席を確定する切符?

 

すっかり忘れていた、気ままなくちこ。

アホとも言います。

とまあ、叔父が帰った後、徒然物思ったくちこです。

 

孫息子一家は今、シンガポール外遊中。

その前に孫は散髪に行ったらしい。

      

 

誰かに似ている・・・と思ったら、

フィンガー5のボーカルだ。

 


56歳にして思う父

2015年06月21日 08時26分18秒 | 両親のこと

鎌倉旅行記の途中ですが、

くちこは、律儀で健気な質なので、ね。

父の日には、父のこと書かなくっちゃ!

生きていたら86歳、

でも、59歳で死んでしまった父。

今、この世に何人、父のこと覚えている人がいるんだろう。

 

十代にして、志願兵から帰国したら、突如、引き揚げ者一家の大黒柱に。

病身の父、兄、そして弟妹・・・

ありがちだった、あの頃の苦労をね。。。

 

家族の反対を押し切って母と結婚し、

辛うじて、くちこ一人だけ、我が子を得て「父」になった人です。

可愛がっては貰いましたが、

永く代を重ねた家取りとして、くちこが如何なものだったか?

運動神経は皆無で、

成績は、台風の大波のような推移。

なかなかかなり個性派な娘を・・・

当たり前の普通の娘の如くに扱っていたような?

 

人より劣るところを責められた記憶は無いし、

もっと普通にしていなさいと言われたことも無い。

学校の先生から見たら、相当な異端児だったくちこを、

ただ、自分の娘として、全てを肯定して見ていてくれていたような?

 

どんな娘であっても、

自分の娘として常に世間に胸を張っていた父と母でした。

一言でまとめれば、「親ばか」なのだけど、

それが、56年経っても、くちこの大事な「芯」になっている。

「自分に価値があるということ」

その揺るぎない根拠になっている。

どんなくちこも否定しなかったこと。

それが、今のくちこの根拠なのだなあ。

 

くちこは、50歳にして他家に嫁いだけれど(最初の結婚は養子取り)、

くちこは、死んだら両親の眠る墓に入ると決めている。

それは・・・

一度も言われたことは無いけれど、

幼い頃からの父との約束だと思っているし、

くちこは、

最後は両親の元に帰りたいのだ。

あのお墓に入ると思うから、

避けられない死を受け入れることができるんだなあ。

 

自分では、ファザコンでは無いと思っているのだけれど、

自覚のないレベルでファザコンなのかもしれない。

だって、今も尚、父はくちこの側でくちこを見守っていると信じているから。

だから、何か上手くいかないことがあると、

それは、父の力不足だと、

ちょっと父を責めたくなる56歳のくちこです。

 

因みに、去年の父の日の記事です。

http://blog.goo.ne.jp/kazukomtng/e/6fc42d9fa46a4c52de029c9cab31c2bc

 

では・・・

レトロなくちこ写真集。

実家前の浜を泣いているくちこをあやしながら歩いている父から・・・

 

      

 

      

 

      

 

      

 

      

 

さあ、

これから、サメ氏実家に出陣しますっ

行ってきまーす

 

 

 

 

 

 

 


ビバ!従姉妹!!!

2015年03月24日 17時34分08秒 | 両親のこと

昨日は久しぶりに一人で長距離ドライブしてきました。

伯母が脳出血で倒れたと聞いたのでね。

64歳で他界した母の二歳上の姉です。

81歳。

久しぶりに会った伯母は、亡くなった頃の母にそっくりでした。

一時は麻痺も強く、錯乱や認知障害も出て大変だったらしいのですが、

思ったより落ち着いていて、一目でくちこのことも解り、

色々とおしゃべりもできて、

とても安堵しました。

 

くちこの母は、赤ん坊の頃に養女に出され養女先で辛酸を嘗めましたが、

伯母は、結婚する頃には既に父親が亡くなっていて、家も貧乏でした。

長男の嫁として嫁ぎましたが、

その長男(伯母の夫となった人)は、他に意中の人が居ながら、

マザコンで、母親の言いなりに伯母と結婚した人でした。

姑の考えは、貧乏な家の母子家庭から嫁を貰えば、

実家の力が弱く、言いなりに出来、こき使えること。

だから、伯母が中卒だったことも好都合だったようです。

義父母、夫、小姑達の下女として、「おしん」のような生活に甘んじたそうです。

あの・・・

雪の降る中、半纏の中に赤ん坊を背負い、冷たい川で家族全員の洗濯物をするっていう・・・あれ。

 

最初の妊娠。

すぐに妊娠したのでは世間体が悪いから堕ろせと姑に命じられました。

もちろん、結婚後に出来た子供ですが。

伯母は産ませてくれと泣いて懇願。

伯母の母親や、くちこの母も嘆願に出向きました。

それで許可を得たと思ったら、

了承した振りをしただけで、結局、堕ろさせたのでした。

伯母は悲しさのあまり、一日、行方不明になりました。

その中絶が祟ってか、しばらくは不妊症に。

その後、長女が生まれました。

 

そして、その二年後、くちこと同じ歳の次女が生まれました。

田舎だから?

女を産んだというだけで、甚だしく失望され、

産院には、義父母はおろか、夫さへ、一度も来なかったそうです。

そんなことが、まかり通る時代だったんだなあ。。。

 

数年後、待望の男の子が生まれ、

義父母は狂喜乱舞。

伯母もやっと面目が立った?

 

が、

その男の子は22歳で病死。

既に、義父母も他界していました。

 

それから、伯母は人が変わってしまいました。

ついに、堪忍袋の緒が切れたっていう感じ・・・

料理もしない。

掃除もしない。

夫も大事にしない。

ペットと花を愛でつつ、一日中、畑に行ったまま帰ってこない。

その後、夫は失明し、認知症になり他界。

長くなりましたが、ここまでが話の枕です!

 

くちこと同じ歳の従姉妹が、敷地内に自分達の家を建て、

ずっと面倒を見ています。

何十年も。

どんなに大変でも。

従姉妹はずっと余分扱いだったのにね。

学校の成績も悪くて、

周りからの期待も無かったような。

 

今回、従姉妹とくちこは、

長い長ーーーーい、昔話をしました。

一人っ子で両親も早逝したくちこなので、

昔話が出来る相手は、この伯母と従姉妹だけなんです。

これが、どんだけ淋しいことか!

そして、昨日、溢れる程、子供の頃の話ができたこと。

これが、どんだけ嬉しかったか!!!

 

従姉妹の家に、よく遊びに行っていたくちこです。

従姉妹もよく、くちこの家に遊びに来ていました。

従姉妹が一ヶ月遅く産まれましたが、

くちこは早産児なので、本当だったらくちこが後だったんだなあ。。。

 

従姉妹が、ずっといじけて、僻んで生きてきたんだよ、と。

初めて言いました。

それでも、あるとき開き直ったそうです。

それから楽になったし、生きることが楽しくなった、と。

早朝?深夜?から新聞の折り込みを手伝い、

そのまま新聞配達をすること数十年!

たくさんの仕事をしつつ、

たくさんのサークルを楽しみ、

たくさんの役員を引き受け、

がっつり母親を介護しています。

三男を実家の養子に出しています。

凄いでしょ?

産院に見舞いに来なかった人たち!

これを見よ!!!

 

昨日聞いた従姉妹の考えや情報。

凄く刺激になりました。

ウルトラ元気になりました!

ビバ、従姉妹!

ビバ、伯母さん!

何十年経っても、

懐かしい笑顔、

心からの笑顔でくちこを迎えてくれてありがとう!

二人とも、くちこのために、断固、長生きしてもらわなくては!!!

 

お花を買った時に、自宅用にもカーネーションも買いました。

B級品ですが、これだけでなんと50円!

 

 

もう十分だったのに・・・

意気揚々と夕方、サメ氏がバケツに砂利でも放り込んだ如くに、

実家の花を持ち帰りました。

上下さえも揃っていないのがサメ氏らしいところです。

 

で、こんなことになりました・・・

 

クリスマスローズだけでも50本位?

やれやれ・・・・・・・・

 

娘からは、金木犀のジャムや、桃の花や、ラベンダーの花のジャムが届きました。

雑誌で話題になっているらしい。

ゆず茶のようにお湯を入れて飲んでねと言われました。

 

 

お陰で、優雅なひとときを過ごしました。

くちこんちに来られた方はご一緒に(*^_^*)

 


叔母の振袖

2015年01月20日 19時21分30秒 | 両親のこと

先日、ふと和ダンスの整理を試みました。

最近のくちこの常ですが、

ちょっと手掛ける、ちょっとだけ手を付ける、だけです。

とことん、とか、納得できるレベルまで、とか、無しです。

 

ここ数年、めっきりと手入れを怠っていたので、覚悟はしていましたが、

想像以上に着物の状態は悪化していました。

長女が着物好きで自分で着るし、

「残しておいて」と言われていたので聖域にしていましたが、

やはり、聖域なき改革が必要な時期が来たな、と実感。

 

くちこの母は養女で、養母にとても苛められて育ちました。

聞くも涙・・・って感じです。

母を養女にして十年後位に、もう一人養女が迎えられました。

くちこの叔母になります。

叔母は、養父母に大事に育てられました。

美味しいものを食べる時には、一人で玄関の外に立たされていた母とは大違いです。

が、おかげで?母は自由な結婚ができました。

ほぼ、養父母に捨てられていましたから。

叔母は、大事に育てられたのは事実ですが、

思いっきり没落した士族の家で、とても貧困でした。

ガソリンスタンドで働きながら、どうにか定時制高校を卒業しましたが、

生涯、貧しい養父母を背負う人生が待っていました。

※母は中卒で紡績の女工になりましたが、結核になり、その後父と結婚しました。

 

とても、聡明でウルトラ美しい叔母でした。

けれど、好きな人との結婚は出来ず、自殺未遂まで。。。

選択肢の無い結婚に甘んじ、養父母の死後、離婚しました。

その叔母の振袖が入っていました。

くちこの母が、随時経済的には支えてきたので、後々にに貰ったのかも。

ただし、見たからに安物。。。

貧しい養父母がなんとか用意したのでしょうね。

大事にはされてはいましたから。

 

捨てても惜しくないレベルの着物でしたが、

なんだかね。。。

コツコツと解きました。

叔母のこと、祖父母のこと、母のこと、

思い出し、思い出し・・・

母は義父母に捨てられ幸せを手に入れ、

叔母は義父母に可愛がられて不幸な時を過ごしたんだなあ。

 

なんと、ちょうど一年前に母の着物を解いていました。

毎年、同じことを同じ時期にやっているらしい。。。

母の着物を解くにあたり、自分の膝が母の着物で温かいことが、

優しく、有難く、母を想いながら解いた、と。

着物ってそんな力があるのかも。

http://blog.goo.ne.jp/kazukomtng/e/f58a44656878838147ee0bc2b1626b07

 

とにかく、

こうして、

 

こうしました。

帯が合わないので、別の帯を解きました。

 

それにしても、着物が傷んでいました。

くちこの黒の絵羽織も解きました。

母が折角、誂えてくれたのに、一度着ただけです。

額装にしようと思ったくちこです。

ガラスにどうしても他が映り込むのでガラスを外してパチリ。

 

良い絵柄でしょ?

まだ、絵柄部分が残っているので、また何か作ってみようと思います。

暇って凄いよね。

針仕事が嫌いで無縁だったくちこに、ここまでさせるのですから。

 

さて、

先日、ナイキのエアーシューズが届きました。

2014モデルです。

 

なので、午後30分位、歩いています、今日で三日目。。。

でもね、

歩いていると声が掛かる。

あれ持って帰れ、

これ持って帰れ・・・

いつも、家から徒歩2分の波止場を歩いているのですが、

知らない人が、何やら網で何か掬っている。

よーく見たら、ナマコでした!

こんな波止場にナマコいるの?

いるよ。

潮が引いているとき、風が無く海の透明度が高ければ、

海底のナマコ、肉眼で十分確認できるそうです。

灯台、ナマコ下暮らし。。。だったんだ。。。。

 

小さいバケツにいっぱい!

「あげるよ。」

「全部は要らない。」

でも、くちこが要らない分は海に投げてしまうんです。

貧乏性なくちこは、投げるのにびっくりして、

全部貰って帰りました。

最近は、中国人がべったり張り付くようにして採って帰るそうです。

こんなところにまで中国人!

あちらでは高級食材のようですね。

 

ご近所さんに処理に来てもらって、

半分、持ち帰って貰いました。

それにしても変な生き物。。。

知らないオジサンに物を貰って良いのか?

 

 

 


くちこと父

2014年06月12日 20時45分01秒 | 両親のこと

17歳で台湾から出兵して、日本に帰った父です。

引き上げた家族は、父、姉、兄が結核、弟妹は学生でした。

粉骨砕身、一人で家族を養い、病院費を捻出した父。

父親と兄は亡くなりましたが。

 

父が30歳の時に、くちこが産まれました。

早産重症仮死でしたが、辛うじてこの世に命を繋げました。

母は皮膚麻酔だけでの帝王切開でしたが。

 

 

 

このブログの為に久しぶりにアルバムを出してみました。

 

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父のまなざしが自愛に満ちていたんだな。

気がつくのに55年必要でした。。。

基本、自分のアルバムは自分の顔しか見ないのでね。

今更ですが、

お父さん、ありがとう。

 

 

幼少時、父はバスの運転手で、我が家は親戚の借金も背負っていて、貧乏だったそうですが、くちこには記憶無し。

居間に父手作りのブランコがありました。

上には天窓があり光のシャワーが降り注いでいました。

 

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子供部屋には、母が何処からか調達してきた滑り台もあったし、ビニールプールも。

 

産後の肥立ちの悪い母に代わって、父がくちこを背負い井戸水でおむつを洗っていたそうで。

昼間は、会社に連れて行き自分の運転するバスに乗せていたりね。

車掌さん達が面倒を見てくれていたような。

昔って、ゆるいよねえ。

 

何がどうだったのか?

父はどんどん出世しました。

が、

それと共に、接待、付き合い酒が急増し、

仕事面でも常に労使交渉の矢面にいたようです。

タクシー会社を一つ任されていた頃、

くちこ家は、やや金持ちでしたが、

父はアルコール依存症だったと思います。

立場上、出勤時間等も自由でしたが、ストレスも相当だったようで。

 

くちこは、子供の頃から父と料亭に出入りしていました。

女将さん達が我が子のように可愛がってくれて。。。

くちこは、父の名一つで自由にタクシーに乗れたので、

学校帰り(徒歩10分)も事務室からタクシーを呼ぶような、

今思えば、高慢な生徒でした。

自覚は皆無でしたが。

 

父とタンデムで、スケートやアーチェリーを楽しんだり、着物を着て父と出掛けたり。。。

どんどんいろんな体験をさせたかったようでした。

 

ある夜、ふと目を覚ましたら、

両親が真剣にくちこの足に包帯を巻いているんです。

単に、体重が掛かって一時的に赤くなった所があるだけなのに、それを怪我と思ったのか?

あの時は、こんな親で大丈夫かと、くちこは呆れましたが、

今思えば、バカバカしい程大事にされた記憶がくちこの「芯」になっているなあ、と。

 

くちこが15歳の時、父は胃癌になり、

くちこが18歳まで、自宅療養していました。

再びくちこの家はやや貧乏になり、

くちこは大学を断念して、

国費で全て賄って貰える看護学校に入りました。

父は自由に大学に進学するよう言いましたが、

何度も生死をさまよった父を見ていたのでね、

父に負荷を掛ける事も、父から遠く離れる事も出来ないと思ったくちこです。

 

療養中の父とくちこです。

 

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この頃、くちこにはモテ期が到来していて。。。

ああ、諸行無常、盛者必衰、

驕れる者はひさしからずと痛感する昨今ですが。

 

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こんな性格なので隠すこともなく、毎週末、いろんなBFの車で帰省していたくちこでしたが、

どんなBFを連れてきても父は、いつも無言でした。

ところが、そんな父が一度だけ激怒しました。

それは、BFがデート帰りにくちこを家まで送らなかった時。

くちこが自主的に途中で降りたと話してもダメでした。

「どんな事情があろうと、きちんと家まで送り届けない男はダメだ!」と。

 

が?

結婚して夫婦喧嘩し、くちこが怒ってとっとと実家に帰った時、一緒に腹を立ててくれると思った父は、

「別れる気が無いなら、明日は戻りなさい」と。

ちょっと体調が悪いと聞いただけで頼みもしないのに迎えに来てくちこを連れ帰る父だったのにね。

 

くちこが30歳と3日で、父は15年の闘病を終え亡くなりました、59歳と11ヶ月。

これじゃ、可愛がってくれても、有り難みは差し引き0だね。

父は、くちこの夢枕にイヤと言うほど出てきました。

「未だ死にたくなかった、もっと頑張るつもりだった」と。

あれだけ苦しんで、やっと楽になったのに。

15年も闘病したら、もう十分闘ったと感じていたのですが。

今思うと、こんな危ない娘を残して逝くのは不安だったのかな、と。

いろいろ気付くのに人より時間が掛かるくちこです。

 

で、不動の結論は、

「死んでもくちこを守る義務がある」

ということ。

くちこは辛いことがあると、仏壇の前で泣きます。

父へのあてつけです。

 

 

 

 

 

 


くちこの里

2014年03月18日 22時21分07秒 | 両親のこと

今日は、くちこの里へ。

先ず、くちこ家の菩提寺へ。

お布施と年会費を持って。

本堂正面にお膳が三セット。

側の部屋には、永代供養に出された位牌がズラリ!

そこにもお膳が三セット。

良かった(*^_^*)

みんなお腹を空かせていないね。

 

くちこは、昔、子供達に、このお寺で言い聞かせました。

もしも、くちこ亡き後、位牌を誰も見ることができず、粗末にしてしまう位なら、

此処に、永代供養に出すように、と。

百万を添えて、位牌を全て渡しなさい、と。

江戸時代から続いている家なのでね。。。

実際に並んだ位牌を見せて、此処に混ざるのだ、と。

これで捨て転がされる事態は免れるだろうと、安堵しながらお寺の階段を降りていたら、

良い子が一言。

「一人、333000円ね!」

階段から危うく落ちそうになったくちこです。

南無阿弥陀仏・・・

 

あれから十年は経ったかな?

良い子は人の子の親に。

普通の子もその予定。

とにかく、もし永代供養に出されても、

真面目なお寺なので、

毎日、きちんとご飯が貰える(^_^)v

これは、くちこ的に安心。

 

ほぼ、動物的カンで、今日、お寺とお墓に行きましたが、

今!

ネットで調べたら、今日が彼岸の入りでした。

メデタシメデタシ。

 

くちこの実家近くのお墓で、熱心に草取りを夫としていたら、

ばったり叔父夫婦と遭遇!

叔父は、何十年来、自分が入るお墓でも無いのに綺麗に護ってくれています。

花が枯れる暇もないほど。

なのに、国からの弔慰金は、くちこに断固全額(年4万円)渡し続ける人です。

叔父夫婦とくちこ夫婦が居並んで、お墓の中でみんな喜んだかな。

 

来る途中まで雨だったのに、止んでいました。

そう、お墓参りの時は絶対に降らないんです。

どんなに直前まで土砂降りでも。

怖い位に例外の記憶が無い。

神様、仏様、居るのか居ないのか。。。

とりあえず、くちこは、両親が見ていると信じています。

それが、くちこの「芯」だから。

 

さて、くちこ家御用達のレストランへ。

実家から車で数分です。

ランチコースを食べるつもりでしたが、

「今日は、ピザバイキングのみです」と。

前菜四種盛りは、きちんと出てきます。

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セレクトしたパスタもきちんと出てきます。

春野野菜のクリームソースと、桜エビと春キャベツの和風パスタ。

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サラダ、各種ピザ、パン、チョコレートホンディユ、ジュース、ゼリー等はバイキング。

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ドルチェとコーヒー紅茶もきちんと。

苺のタルトと洋梨のキャラメルソース。

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完食です。

え?

ピザ8片(だって8種類あったのでね)と、パン3個もです。

持ってて良かった消化剤(^_^)v

あ、1600円です、どう?

カウンター席でしたが、前には大きなオブジェが。

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その後、近くの梅園へ。

のんき者の梅達が未だ咲き残っていました。

人は人、我は我、されど仲良き。

そんな雰囲気の梅かな?

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ちょっと桃源郷のようにも見えました。

手前の黄色は、なんと蝋梅。

相当、我が道を行くタイプのようです。

可愛い梅。

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曇っているけれど、くちこを育ててくれた海です。

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そうそう、昨夜、これまた動物的カンで、パワーストーンを塩水に漬けて、

バルコニーで月光に当てました。

先ほど、収納、そして・・・

今!

ネットで調べたら、昨夜、満月でした(^_^)v

時々・・・

見えない力で動かされているような気がするくちこです。

 

パワーストーン、

玄関は水晶。

リビングはローズクオーツ。

キッチンは水晶の上にブレスレット。

寝室はアメジスト。

そう、

くちこって、いろいろオタクなんです。

自力でも他力でもなく、

無力だから、かな。

 

お墓参りのお花を買いに寄ったら、チューリップが一本50円でした。

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くちこ的に十三回忌終了

2012年08月06日 16時26分51秒 | 両親のこと




くちこは一人っ子で、万一、逆縁となったら一日たりとも両親は生きていけないと脅されていました。

 

 

くちこが42歳の時、母が他界しました。(父は30歳の時)

亡き母の枕元で、「ああ、これでやっと死ねる」と心から安堵した

親不孝なくちこです。

 

 

その後も、くちこは世にはばかり、

ついには、母の十三回忌となりました。

 

ここまでやった以上、これをもって娘としての職務は終了とします!

 

くちこ53歳、

えらい!

よく頑張った!(自画自賛はくちこの特徴)

 

 

東京から、良い子(長女)、悪い子(長男)、普通の子(次男)も帰省。

くちこの新夫も参列、披露。

母と、縁の深かった人たちも、十年ぶりに、

それぞれのところから、それぞれの想い、思い出を胸に、

くちこ家に来てくれました。

 

 

くちこが、しっかり者のようで未熟者であること。

甘やかされ過ぎて、色々と普通でないこと。

そんなくちこを半ば諦め、亡き母の忘れ形見として、

広い心で見てくれて・・・いる・・・と、いいな。

 

 

人の心の中は推し量る術もないけれど、

母のために集まってくれたことに感謝しています。

無理をして帰省してくれた子供達、

遠い所からきてくださったお坊さん、

人の縁は仏縁、

だとしたら、神仏から戴いたものばかりに囲まれて生きているんだな。

うすらぼんやり考えつつお経を聞いていました。

 

 

 

お経の最中に悪い子の数珠が切れました。

帰省に備えて新しい数珠を用意していたのに、

直前に見当たらなくなった、と。

くちこは腹を立てつつ、仏壇の数珠を渡したのですが・・・

案外、ご先祖様が悪い子の何かを背負ってくれたのかもしれません。

いつも悪い子を案じているくちこの為に、母が守ろうとしたのかもしれません。

 

 

同じ日程で帰省した良い子と悪い子は往復とも新幹線は並び席。

良い子が、仲良く帰る姉弟の姿をくちこが喜ぶことを計算にいれて手配したそうです。

 

 

普通の子は、姉、兄よりも長く逗留して、

PCで新しく家系図を作り直したり、

過去帳の人々をエクセルに入力したり、

くちこのPCやスマフォをいじってアホな母でも使えるようにしたり、

彼的に精進していました。(システムエンジニアなのでね)

 

 

悪い子は、今月引っ越す普通の子のマンションにエアコンをプレゼントするそうです。

取り付け込みで。(電気工事士なのでね)

マンションの保証人は良い子。

 

 

くちこは、もうすっかり弱ったオバサンなので、

子供達が助け合ってくれることが一番うれしいことです。

 

 

そして三人で、くちこを助けてくれることを

とても当たり前に思っている、

高ピーな母親です。

 

 

そんな丸ごとを感謝する十三回忌でした。

 

 

最後に、お墓参りの帰りに子供達と食事をしたお店で見つけて買った仏様です。

 

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合掌した手を開くと・・・ 

 

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こんな感じ↑

なんだかご縁を感じてお連れいたしました。

 

 

 

 

 

 

 

 


十三回忌準備中

2012年07月28日 09時10分35秒 | 両親のこと

自宅で、きちんと法事を出すのは久しぶりだなあ。

 

 

母の十三回忌。

多分、七回忌をお寺で内々でお願いして以来だ。

 

 

母が亡くなって翌々年、くちこは離婚しました。

一人っ子で養子取りだったくちこですが、

23年で終わ、らせました。

 

 

両親亡き後、最大パワーで勝ち取った離婚。

理由は、「生きる物差しの違い」

それぞれにとっての「人の道」が違っていたこと。

 

母の葬儀の後、ソファーでへたれているくちこに、

元夫が「良かったな」と。(死んで良かった?)

「せっかくの忌引きだから旅行に行こう」と。

 

 

後で解ったことですが、

初七日も、四十九日の時も、女とホテルで過ごした元夫です。

母の保険金で、早々に1000ccのバイクを買いました。

 

 

くちこの両親が他界して、

次第に頭角?を現したのかも。

 

 

人生に波風はつきもの。

ありがちな苦労や、

ありがちでない悲しみを経験しつつ、

 

 

ちゃっかり再婚して、

堂々と三人の子供達に君臨して

母の十三回忌に至りました。

 

 

さて、今回の法事。

思い切って、自宅で盛大に???催す理由は、

多分、これが最後だから。

母の位牌を前に母と縁のあった人々が一堂に会するのは。

 

 

十三回忌を大事な法事とする理由は、

死者を知る人々が、生きて集える最後の機会となるから。

昔は、人生五十年だったしね。

 

 

超久しぶりに電話して、

法事開催を告げるにあたり、

来ないと、もう死ぬまで会えないよと言いました。

こんなお招きの言葉、さすが?くちこ。

 

 

母の生い立ちは複雑で、

本当の血縁者は、ごく僅かです。

みんな生活に追われているし、

親戚の範疇とは言いがたいほど遠い縁の人も。

くちこの離婚さえも知らなかったりね。

 

 

八月四日、やっと会えます。

母と一時期、一つ屋根の下に暮らしていた人たちに。

 

 

今回は、母方の親戚しか呼びませんでした。

この法事は・・・

母を喜ばせるための法事だから。

 

 

良い子、悪い子、普通の子も帰省します。

くちこの新夫もお披露目します。

 

 

で・・・

くちこは今、大変忙しいんです!

が・・・

今、開会式の「ヘイジュード」に感動してしまって、

まず、これから、楽譜を探し、ピアノで弾くつもりです。

 

 

忙しいくせに、したいことを優先する、

これまた、いかにもくちこの「生きる物差し」
photo by kazukomtng from OCNフォトフレンド>