しろつめ・楚々・くちかずこ姫のお部屋 goo

安易に清水の舞台から飛び降りるが、意外に用心深い。極めて自己中心的だが、意識がない部分で情が深かったりもする。

墓参り

2012年06月24日 12時01分48秒 | 子供達のこと

ただいま、普通の子(次男、26歳)帰省中。

 

八月にも法事で帰省するのになぜ?

年末に帰省できないので帳尻合わせだと。

ほう・・・

これが、理系の思考回路か・・・

 

 

しばし、談笑。

と・・・

「お願いがある」by普

「ふむ」byくち

(きたか!きたな?)

「墓参りに連れて行って欲しい」by普

「・・・?」byくち

※くちこんちのお墓は車で1時間のところにあります。

「無理なら、自分で電車と徒歩で行くから」by普

「では行きましょう」byくち

本当は来週も墓参りに行く用事があるくちこなのですが・・・

 

 

今回の不自然な?帰省について、

くちこは、5種類の仮定を立てていました。

(墓参りは無し)

その仮定も3つ当たっていました。

 

 

引っ越す。

結婚する。

相手宅にご挨拶を。

上記3件は、一連とも言えますが。

 

 

お相手は、中学時代から続いている初彼女。

中3(息子)と中2(彼女)でした。

大学、就職、各種遠距離をさして苦にする風でもなく、

淡きこと水の如し的な風景。

凪いだ湖のような二人でしたが、

そこはそれ?

やはり波立つ日々もあり、

波が届かぬ日々もあり、

凪いだ水面下には、呑み込んだ思いが積もっていたりもする。

 

 

生真面目な二人は、

生真面目に向き合い、

微風の中でも、

それなりに乗り越えた日々もある、らしい。

 

 

あ、そうそう、墓参り。

普通の子にとって唯一無二の彼女に、

命の危機があったそうで

その安否もろくに確認できないまま現地に向かうに当たり、

生きた心地のしなかった息子は、

心の中で、亡き祖父母に祈ったそうです。

「なんとしても守ってください!」と。

「向こう三年、自分には何一つ良いことは無くてかまわないから」と。

 

 

自分の命だとか、寿命だとかは差し出さなかったんだなあ・・・byくち

 

 

彼女は軽傷で済み、

今では、元通りの生活に

 

そう、息子は、ご先祖各位にお礼を言いに帰ってきたのでした。

そういえば、帰宅早々、仏壇にお菓子が。

 

 

二人で、いつも以上に長時間、お墓の側にいました。

草取りをしながら、いろんな四方山話をしました。

暇な?ご先祖さまも、きっと一緒に聞いていたと思われます。

 

 

以上、くちこ家の小栗旬の経過をここに報告しました。

 

 

こんなに幼かった息子だったのですが・・・ 

 


photo by kazukomtng from OCNフォトフレンド


父の日に思うこと

2012年06月17日 11時05分16秒 | 両親のこと

本当は、父の日まで、前述の日記を残すつもりでしたが、

毎年の消化できない疑問について、ここに記すことにしました。

 

 

くちこにとって、父の日とは、亡き父を偲ぶ日であり、

元夫について、多分一生理解できない疑問について考えを巡らす日でもあります。

 

 

元夫は、当たり前ですが、良い子、悪い子、普通の子の父です。

くちこは、10年前、子供達を「父親の欠けた家庭の子」にしていまったことを、

自分の罪の一つにカウントしています。

 

 

さて、理解できない疑問とは・・・

20年前後、一つ屋根の下で育て続けた我が子三人を失うに値する「物」とは

何だったのか?

 

 

女遊び歴、浮気歴が長く、

※何事も気付くのが遅いくちこは知りませんでしたが・・・

そのうちに、我が子の運動会や誕生日、クリスマスよりも

浮気相手を選ぶようになりました。

次第に、自分から子供達に背を向けていったようにも思います。

バカな人ではないので、子供達を失うリスクは解っていた筈。

そして、ちゃんと子供達を愛していたことも事実です。

 

 

枝葉の部分については長くなるので省略。

 

 

どんな親に育てられても、

どんな環境に育っても、

それが理由になるだろうか?

 

 

本当に、子供より、「女」のほうが大事だったのだろうか?

最後は、それも捨てて、自分だけを守ろうとしたこと・・・

せめて、最後まで、子供より大事とした「女」を守って欲しかった。

あ、話がそれました

 

その女達ともとっくに別れ、

新しい遍歴を重ね、

今は別の女性と再婚して

とても幸せだそうです。

 

 

くちこも、

今は別の男性と再婚して

とても幸せです。

 

 

ですが・・・

もしも、三人の子供を失っていたら、

幸せになれただろうか?

そして、「母の日」はとても辛い日となった筈。

 

「父の日」

平気なのだろうか?

くちこ、一生の疑問です。

 

 

そして、くちこの父のような存在を

子供達に残してやれなかったこと、

くちこ、一生の不覚です

 

 

 

 

お口直しに・・・

山紫陽花の「紅」です。

純白に咲いて、

次第に薄桃色に・・・

最後は、紅に染まります。

人生、かくありたいですね

 

 


photo by kazukomtng from OCNフォトフレンド


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父への想い

2012年06月04日 22時34分10秒 | 両親のこと

概ねくちこは、

誰もが早々に理解していることを、

相当遅れて気付く特性あり。

 

 

切れ味シャープで、

肩で風を切り、

いつも真っ向勝負をするくせに、

かなり、間抜けです。

 

 

53年生きて、

この最近、物思いに耽るにあたり、

ファザコンであることに思い当たりました。

 

 

ちょうちょ結びを理解したのは小六だったし、

田植えではスコップを使わないことを知ったのは高二。

 

 

あ、そうそう、父への想い。

 

くちこは、危ないとき、困ったとき、怖いとき、

「お父さん!」と、

心の中で言います。

今でも。

それは、すごくの時も、ちょっとの時もです。

 

 

どんな時も、間違いなく、

父はくちこを助ける筈、と信じているから。

そして、実感しているから。

 

 

笑われそうですが、

くちこは、歯医者で歯を削られる時も

「おとうさーん!」と心の中で言います。

 

 

 

宗教心とか、

もちろん、理論でもなく、

これは、くちこの「芯」なのです。

 

 

父が30歳の時、くちこが産まれ、

くちこが30歳の時、父は他界しました。

何度でも夢枕に立ちました。

未だ死にたくなかった、と。

もっと頑張りたかった、と。

15年も病と闘ったのにね・・・

 

 

無理をして産んだ母の代わりに、

赤ん坊のくちこを背負って井戸でおむつを洗った父です。

小学校時代から、父と料亭に出入りしていました。

着物だと夫婦に間違われたことも!

小学生で161cmもあったから?

 

 

中学時代は、父のバイクで、

アーチェリー、ボーリング、スケート・・・

父は次々に新しい物をくちこに見せたがりました。

 

 

財布の中は、父とくちこが並んだ写真が入っていました。

夫婦にように・・・

高校時代、父は既に闘病中でした。

 

 

今、くちこんちの和室のこたつは、

父が入院中、無理に外出して手配したこたつです。

子供が三人だと大きいこたつが必要だから、と。

 

 

くちこは離婚騒動で、とても辛かった頃、

よく、仏壇の前で号泣していました。

悲しいから泣いていたと思っていましたが、

よーく考えてみると、

こんなに苦しんでいるのに助けてくれない父に腹を立てて、

あてつけに、わざわざ仏壇に前で泣いていたんだなあ。。。

 

 

そう、くちこにとって父は、

くちこが死ぬまで、くちこを助けて当然の、

助ける義務と責任のある人と思っているから。

 

 

父は、成仏できただろうか???

 

 


photo by kazukomtng from OCNフォトフレンド
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