くちこを育てるにあたり・・・
諸々、失敗の多い両親でしたが、
くちこにピアノを与えたのは正解だったわ。
何を着て育とうと、
何を食べて育とうと、
そんなもん、57年も生きたら、関係無い
でもさ、「楠木は残った」じゃないけど、
「ピアノは残った」
くちこの家にも、
くちこの心にも、ね。
中卒であることを、常々卑下していた母でしたが、
「あんたは、偉かった」
くちこと言う人物の一部はピアノに育てられたよ。
六歳の誕生日プレゼントはピアノでした
くちこは、何を貰っても嬉しくない子供でしたが・・・
まあ、これは弾くしか無いなあ・・・と
母の目的は、
くちこが辛い時、寂しい時、
ピアノがそれを慰めてくれれば良いと思ったそうで。
で、結構、そんな時もありました。
多分、信じて貰えないと思うのですが、
子供の頃、くちこの中には、別の人?が居て、
その人のピアノの上手いことと言ったら
弾いているうちに、無意識になっていて、
ふと気が付くと、自分の知らない難解な曲をすらすら弾いているってことが時々ありました。
くちこは、うすらぼんやりした子供だったので、それをたいして変とも思わずにいたのでした。
中学の時に習っていた先生はとても著名な先生で、
音大受験生が押し寄せている中、
何故か、何の欲も持たないくちこが混ざっていたんです。
一分でも長く習おうと必死な生徒さん達の中で、
一人、何度も脱走したり、わざと楽譜を忘れて行ったり、
いかにも、たこにも、くちこでした。
が、先生が、
「天才の手だ」と言うんです
ほう・・・
親に報告したら、両親が先生に会いに行きました。
音大を目指すべきだが、如何せん、欲が無い、と
後で思えば、天才だったのは、
くちこではなく、くちこの中に居る人だったんだなあ。。。
結構、大人になるまで居ましたが、
今は出て行ったみたいです。
くちこを見捨てたのでしょうね
結局、父の転勤もあり、
新しい先生に反発してくちこはピアノを辞めました。
高一の春に。
なのに、妙にピアノとの縁が切れなくて、
音大にも行ってもいないのに、20年もピアノ教室をする人生でした。
病院でも、代打でコンサートをすることになったり、
多分・・・
あの人の仕事でしょうね。。。
今は無き・・・
ピアノを買ってくれた両親の為にも、
心血を注いでレッスンしてくれた先生の為にも、
ピアノは弾き続けるべきでした、が、
弾かなくなって久しいです。
あの人にも出て行かれたしね
去年は、ついに?調律の案内まで来なくて、
人生初、調律をしなかったのですが、
先日電話があり、調律師さんがご病気だったそうで、
また、今年は、調律をしてもらったのでした。
くちこ的には、
貧乏だし、
もう弾かないし、
断ろうかと、かなり迷ったのですが、
今回を最後のつもりでお願いしました。
ああ、一万六千円
長いお付き合いの調律師さんも察してくださって、
今度は必要な時に、くちこの方からお願いすることになったのでした。
ご高齢の調律師さんと、玄関で互いに長くお辞儀をしました。
今生の別れ・・・となる予感がしたのでした
今のピアノは二台目で、平成元年に購入しました。
母のお金で。
七台程、これかなと思うピアノを倉庫に揃えて貰って、(浜松からも)
弾き比べて、音色で選んだピアノです。
調律師さんによると、ハンマーもフェルトを良い物が使われていて
今では、手に入らないピアノだそうです。
ああ、不孝者なくちこ。
ワインレッドのピアノ、ちょっと珍しい重厚だけど派手でもある・・・
一体、何十人の人がこのピアノを楽しんだだろう?
くちこも、生徒さん達も大好きなピアノでした。
くちこの子供達も弾いたしね。
そして、くちこ家の収入源にもなった訳です。
大活躍に感謝だなあ
在りし日の発表会風景。
この会場、ピアノの後ろは、フルで透明ガラスなんです。
山の中、霧が風に靡く風景をバックにピアノって良いでしょう?
くちこの発表会は両親も参加。
キーボード、エレクトーン、ベル等々、賑やかで楽しいコンサートなんです
下手、でも。
そして、この会場の時は一泊二日でした。
一日目は、生徒さん達を連れてリハーサルして泊まっていましたよ。
みんな、仲良しでした。
今も、みたいです。
懐かしいなあ。。。
ずっと、看護師と二足草鞋でした。
で、婦長になってしばらくして教室を閉じました。
二十年でした。
先ほど。
今年初めて、弾いてみました。
無謀にも、
ショパンの子犬のワルツを。
想像通りでした・・・
それでもね、
生きている間は、手放さないつもりです。
せめてもの亡き母へのお詫びに。
と言うか、今や、あるだけでほっとする旧友かな
先月、孫王子が弾いていました
勿論、でたらめ。
でも、楽しそうでした。
案外、このピアノ、出番はこれからかも
最後に、涼しい写真を。
くちこ的題名は「天使の羽」