しろつめ・楚々・くちかずこ姫のお部屋 goo

安易に清水の舞台から飛び降りるが、意外に用心深い。極めて自己中心的だが、意識がない部分で情が深かったりもする。

海軍兵学校に行って来ました。

2015年03月30日 09時40分21秒 | 旅行記

広島県の呉にあります。

正確には江田島市。

 

司馬遼太郎の書いた「坂の上の雲」に出てくるし、

ドラマ化された時の撮影現場にもなっています。

快晴。

本日天気晴朗ナレドモ・・・・

波低し。

瀬戸内の凪いだ海に沿った風光明媚な所にあり、

現在は、海上自衛隊があり、

呉総監部として中四国の要的存在らしいです。

 

時が、東郷平八郎、秋山真之の頃のまま止まっている気がします。

戦争を肯定する気は全く無いし、

これからも断固、戦争は放棄すべしと思うけれど、

此処で感じる息吹のようなモノ、

なんだろう。。。

 

大講堂です。

あの頃の日本の建築と、あの頃から咲く桜。

 

 

↓は坂の上の雲を撮影中時の内部です。

 

 

      

 

↑悲しい位ふくよかなくちこと桜。

 

未だ、赤煉瓦の建物が、幹部候補生学校として現役でした。

絵になるし、味があるんだなあ。。。

 

 

  

 

防衛大卒の幹部候補生達が入校の為に着任している所に遭遇しました。

エリートですが、力量は?現場期間が短いまま上官としてスタートするのですからね。

 

背中に背負ったデッカイ軍隊用のリュックを見ると、ああ・・・軍人なんだあ・・・って。

 

↓第一術科学校と校長挨拶です。

 

      

 

素人が一目で、その階級を推し量るには、この袖のラインが便利です。

両肩の階級章って遠目にはよく見えないしね。

で、参考までに、左の人は海将補、敬礼している人は二佐ですね。

http://www.mod.go.jp/j/profile/mod_sdf/class/

基本、幅広のラインがあったら、それはナカナカ凄いってイメージかな。

 

海軍と言えば、カッター訓練ですよね。

 

 

唐突ですが・・・

サメ氏、海上自衛隊生徒出身なんです。

今は無い制度ですが、15歳で入隊、55歳まで自衛官でした。

勤続40年・・・

信じられない長さです。

 

くちこは、ブログに政治色も宗教色の出さないようにしているのですが、ね。

大体、不勉強で語る資格も無い。

だから、淡々と報告に徹するつもりですが・・・

 

今から50年前の自衛隊。

相当、軍隊色が強かったようです。

理不尽な罰や暴力も横行していることが当たり前である所。

そして、その頃の生徒としての入隊は、全国から「神童」が集まったんだそうです。

サメ氏はよく「僕は昔は神童と呼ばれていた」と言っているのを鼻で笑っていたくちこですが。

そこそこ優秀でありながら、経済的に進学が困難である場合、こんな選択があったという感じなのかな?

地域によっては、プラットホームで地域の人や学校長などから万歳三唱されて栄誉な事として扱われたらしい。

 

戦争や軍隊を否定することで日本の戦後はスタートしたのだし、

なんだか半端な矛盾する組織として扱われている自衛隊。

サメ氏も、色々と辛かったみたいです。

自衛隊の中で働きながら高校卒となり、大学卒となり、

教官になったり、事務官になったり、サメ氏なりに頑張って生きてきたスタート地点なんです。

 

とにかく。

入隊50周年の記念行事として植樹祭がありました。

訓練中に亡くなった同期の追悼式も。

 

植樹するサメ氏と、同期の肩を抱いて嬉しそうなサメ氏です。

正しく同じ釜の飯を食って、苦楽を共にした、とても結束している仲間・・・

仲間の孤独死を知った時に、役場で遺骨を引き取り、戒名を付け、お寺に納めて弔った同期生達。

 

      

 

校内見学では、食堂や、居室、娯楽室等を案内して貰いましたが、

当然、50年前とは大違いのようです。

なんと、サメ氏達は、二段のパイプベッドで一部屋、50人!!!だったそうですから。。。

 

    

 

この居室、とても人が住んでいるとは思えない程、きちんと片付いていますが、

サメ氏達に言わせると、この毛布の畳み方は、未だ未だ失格だそうで。。。

畳み方が少しでも悪いと、窓から毛布を捨てられていたそうです。

 

広い食堂もキチンと感が。

 

      

 

      

 

武道場、みんな懐かしそうでした。

 

      

 

戦艦大和や三笠の母港でもあったので、いろんな物が残っていました。

 

      

 

くちこは無関心に生きてきたし、ふうんって感じですが、

これは遺物であって、これらがまた飛び交うことは、あってはいけないモノだよなって。

 

なんだか、きな臭くなってきた昨今にこんなことを言うのもですが、

やはり、日本を防衛してきたこと。

影ながら護ってきたこと。

それを誇りに思わないと、とても耐えられない人生だったみたいです。

どんなに厳しい訓練に耐えても、引っ越し貧乏に喘ぎ、子供達は転校しすぎで躓き、

妻子と共に苦労を重ねていても、

面と向かって「税金泥棒」と言われて肩身の狭い思いをしつつ生きてきたそうです。

くちこは、退官してからの再婚だったので、

苦楽は一切共にしていませんけれどね。

 

夜は、いつも宴会。

くちこは二次会まで参加。

サメ氏は三次会まで参加。

転勤族だったせいか、妻陣の結束も固く仲良しです。

くちこは、同期会で再婚を花束贈呈で祝われて以来、

まるで昔からのお付き合いのように仲良くして貰っています。

 

さて帰り道。

↓の写真のフェンスの上にある白い物体は野積みされた工業用の塩です、それと戦艦大和を作った造船所。

 

      

 

新しい音戸大橋を通って錦帯橋を目指したのでした。

 

      

 

長くなるので、続きは次回にします。

とりあえず、ただいまあーーーっ(^_^)v

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

 

 


ビバ!従姉妹!!!

2015年03月24日 17時34分08秒 | 両親のこと

昨日は久しぶりに一人で長距離ドライブしてきました。

伯母が脳出血で倒れたと聞いたのでね。

64歳で他界した母の二歳上の姉です。

81歳。

久しぶりに会った伯母は、亡くなった頃の母にそっくりでした。

一時は麻痺も強く、錯乱や認知障害も出て大変だったらしいのですが、

思ったより落ち着いていて、一目でくちこのことも解り、

色々とおしゃべりもできて、

とても安堵しました。

 

くちこの母は、赤ん坊の頃に養女に出され養女先で辛酸を嘗めましたが、

伯母は、結婚する頃には既に父親が亡くなっていて、家も貧乏でした。

長男の嫁として嫁ぎましたが、

その長男(伯母の夫となった人)は、他に意中の人が居ながら、

マザコンで、母親の言いなりに伯母と結婚した人でした。

姑の考えは、貧乏な家の母子家庭から嫁を貰えば、

実家の力が弱く、言いなりに出来、こき使えること。

だから、伯母が中卒だったことも好都合だったようです。

義父母、夫、小姑達の下女として、「おしん」のような生活に甘んじたそうです。

あの・・・

雪の降る中、半纏の中に赤ん坊を背負い、冷たい川で家族全員の洗濯物をするっていう・・・あれ。

 

最初の妊娠。

すぐに妊娠したのでは世間体が悪いから堕ろせと姑に命じられました。

もちろん、結婚後に出来た子供ですが。

伯母は産ませてくれと泣いて懇願。

伯母の母親や、くちこの母も嘆願に出向きました。

それで許可を得たと思ったら、

了承した振りをしただけで、結局、堕ろさせたのでした。

伯母は悲しさのあまり、一日、行方不明になりました。

その中絶が祟ってか、しばらくは不妊症に。

その後、長女が生まれました。

 

そして、その二年後、くちこと同じ歳の次女が生まれました。

田舎だから?

女を産んだというだけで、甚だしく失望され、

産院には、義父母はおろか、夫さへ、一度も来なかったそうです。

そんなことが、まかり通る時代だったんだなあ。。。

 

数年後、待望の男の子が生まれ、

義父母は狂喜乱舞。

伯母もやっと面目が立った?

 

が、

その男の子は22歳で病死。

既に、義父母も他界していました。

 

それから、伯母は人が変わってしまいました。

ついに、堪忍袋の緒が切れたっていう感じ・・・

料理もしない。

掃除もしない。

夫も大事にしない。

ペットと花を愛でつつ、一日中、畑に行ったまま帰ってこない。

その後、夫は失明し、認知症になり他界。

長くなりましたが、ここまでが話の枕です!

 

くちこと同じ歳の従姉妹が、敷地内に自分達の家を建て、

ずっと面倒を見ています。

何十年も。

どんなに大変でも。

従姉妹はずっと余分扱いだったのにね。

学校の成績も悪くて、

周りからの期待も無かったような。

 

今回、従姉妹とくちこは、

長い長ーーーーい、昔話をしました。

一人っ子で両親も早逝したくちこなので、

昔話が出来る相手は、この伯母と従姉妹だけなんです。

これが、どんだけ淋しいことか!

そして、昨日、溢れる程、子供の頃の話ができたこと。

これが、どんだけ嬉しかったか!!!

 

従姉妹の家に、よく遊びに行っていたくちこです。

従姉妹もよく、くちこの家に遊びに来ていました。

従姉妹が一ヶ月遅く産まれましたが、

くちこは早産児なので、本当だったらくちこが後だったんだなあ。。。

 

従姉妹が、ずっといじけて、僻んで生きてきたんだよ、と。

初めて言いました。

それでも、あるとき開き直ったそうです。

それから楽になったし、生きることが楽しくなった、と。

早朝?深夜?から新聞の折り込みを手伝い、

そのまま新聞配達をすること数十年!

たくさんの仕事をしつつ、

たくさんのサークルを楽しみ、

たくさんの役員を引き受け、

がっつり母親を介護しています。

三男を実家の養子に出しています。

凄いでしょ?

産院に見舞いに来なかった人たち!

これを見よ!!!

 

昨日聞いた従姉妹の考えや情報。

凄く刺激になりました。

ウルトラ元気になりました!

ビバ、従姉妹!

ビバ、伯母さん!

何十年経っても、

懐かしい笑顔、

心からの笑顔でくちこを迎えてくれてありがとう!

二人とも、くちこのために、断固、長生きしてもらわなくては!!!

 

お花を買った時に、自宅用にもカーネーションも買いました。

B級品ですが、これだけでなんと50円!

 

 

もう十分だったのに・・・

意気揚々と夕方、サメ氏がバケツに砂利でも放り込んだ如くに、

実家の花を持ち帰りました。

上下さえも揃っていないのがサメ氏らしいところです。

 

で、こんなことになりました・・・

 

クリスマスローズだけでも50本位?

やれやれ・・・・・・・・

 

娘からは、金木犀のジャムや、桃の花や、ラベンダーの花のジャムが届きました。

雑誌で話題になっているらしい。

ゆず茶のようにお湯を入れて飲んでねと言われました。

 

 

お陰で、優雅なひとときを過ごしました。

くちこんちに来られた方はご一緒に(*^_^*)

 


口腔心身症の顛末  と不要な着物の送り先

2015年03月22日 09時08分16秒 | 健康・病気

口腔心身症って、結構新しい病名のようです。

で、くちこは、二年前、膵頭十二指腸切除術後退院して間もなく発症しました。

以下、当時のブログより抜粋・・・

 

退院後、

自分が殆ど噛めなくなっていることが発覚!

全く、かみ合わせが出来ていない、

何故?

入院中は感じなかったのに!

 

噛めないだけでも、消化器のオペ後としては不都合だけれど、

喋りにくいし、口を閉じにくい(^_^;)

最大の難点は、常に、頭、首、肩が痛いこと

 

ひえーーーーっと、かかりつけの歯科を予約。

5/21の歯科受診を指折り数えて待つ、半べそのくちこでした。

さて、やっと5/21、長々くちこが説明、レントゲン・・・

歯は動いていませんでした

歯科医が、長々と説明。

本来の正しい噛み合わせは、顎関節が正しく上下する「関節位」

顎関節症や、歯並びが悪い為に関節位が成立せず、ずれた状態で成立しているのが「筋肉位」

くちこは、本来、顎関節症があり、歯並びも悪いので筋肉位だった。(以前から)

長い絶食の間に?

くちこの体と脳ミソが、自分の筋肉位を忘れてしまい

本能的に?

関節位で噛もうとしているので噛めないのです、と。

治るまでには相当時間が掛かると思います、と。

 

唄を忘れたカナリアと、

噛み方を忘れたくちこ。

どちらが哀しいか・・・・

くちこは、超ウルトラ悲しかったです!

 

※が、これも違っていて、結局は口腔心身症でした・・・

先ずは、何もしないのに、一晩で劇的に症状の8割は消失し、

残り2割の症状には二年近く付き合っています。

 

 

くちこが、主治医に

「口腔心身症になった」と報告しても、

「最近は、なんでもかんでもすぐに、心身症って付けて病気にしていまうんだ」と苦笑して終わり。

彼のくちこに対する評価は、

「首から下は元気だが、首から上が問題」とのこと。

これは、くちこのメンタルの弱さがネックだと見抜いてのこと。

が、如何せん彼は外科の専門医、認定医、指導医にて、メンタル治療には手を出さない。

彼の考えは、こんな面倒な奴は、とっとと復職して夜は疲れて寝るだけの生活に戻るべし、と。

 

偏頭痛で受診している開業医は、神経内科的な色彩が濃い医院なのに、

「はい、はい・・・ふーん」と、不定愁訴が増えた扱いで終わり。

まあ、抗不安薬を出してくれて、それで軽減したのだから良いのですが。

くちこが発見した確信犯的な病名に対しての反応と興味は希薄でした。

 

 

口の中に症状が出る自律神経失調症。

その予後について此所に抜粋しておきます。

http://kokushinshinsho.com/index.html#id12

本症の発症には,その根底において,人生観,価値観や死生観などが関わっていることが少なくないのではないかと考えています。


そういった意味では根本的治癒のためには患者さんと治療者双方におけるそれ相応の努力と忍辱の期間が必要になるかもしれません.

しかし,患者さんと治療者がそのような努力と忍辱の期間をなんとか通過し,

症状を含め諸々の事象の完全癖的な解決への「とらわれ」から脱皮して,

各々事象の部分的な寛解に足ることを知り,「与えられる人生」から「与える人生」への人生観の転換がなされ,


軽減された症状(軽くなった荷物)を背負いながらも何とか生きていこうという認知・思考・行動様式の変容が起これば,

そのような方においては患者さんと治療者の人間的関係性のもとで根本的治癒への活路が開かれ予後良好化したといえるのではないかと考えています.

 

 

上記を肝に銘じるために、此所に勝手に転載しました。

一時期の喋るのが億劫になるほどのドライマウスや、口の中や舌の痛み、変な味、ひりひり感は、

一年過ぎて次第に軽減し、今は、口を閉じた時の違和感、噛む時の不自然な感じが少し残っている程度です。

恐るべし、メンタル疾患!

乗り越えても乗り越えても、乗り越えたつもりでも、

こうして突きつけられるんだなあ。。。

でも、もちろん、ほぼ消失したことを有り難いこととし、

軽くなって荷物を背負って、楽しく生きていく所存です!

こーんな感じで(*^_^*)

 

時にはうなだれてしまっても、   すっくと顔を上げ、   ガシガシ食べます!

 

  

 

と、

孫息子の写真で表現してみました。

 

それと、これも備忘録的に残しておくことですが、

不要な着物、↓に送ることにしました。

http://www.tumiki.jp/bazar.html

関口さん、ご紹介ありがとうございました。

此所に送ることで、不要な着物を捨てることなく、人様のお役に立てるのであれば、と。

震災被災者の方への援助にも繋がるようです。

皆様も、不要な着物の処遇についてお困りでしたら、いかがでしょうか?

 

 


簡単パンプティング作りました、と、パンの耳ラスク

2015年03月17日 21時29分54秒 | 食・レシピ

 

炊飯器で、結構美味しいリンゴケーキが焼けたことに味をしめて、パンプティングも作って見ました。

 

1 卵二個に牛乳200cc、生クリーム大さじ3、砂糖2分の1カップで卵液を作る。

2 これに刻んだ食パン(一斤弱)を浸して炊飯器に入れて炊飯。

終わり。

 

で、

いい加減な上に冒険家?のくちこは、

生クリームの代わりに小さいポーションタイプのコーヒーミルクを6個と、

バターを少し入れました。

で、干しぶどうも混ぜ込みました。

パンはね、普段は自家製なんだけれど、

今回は、本日が賞味期限のおつとめ品一斤80円を耳を落として全部入れました。

耳も入れて良いのですが、他に使いたかったのでね。

 

      

 

 

すべての材料、適当で良いと思います。

最後にシナモンパウダーを振っても良いかも。

卵液に、バニラオイルやビーンズを入れても良いかも。

浸りきらなかったパンの部分もそれはそれで変化があって良かった(負け惜しみでは無い!)

干しぶどうを入れたのは正解でした。

スライスバナナでも良かったかな?

※今日、くちこはガラポンでバナナ一房当たったんです(^o^)

 

さて、パンの耳ラスク。

これ、油で揚げません。

カリカリにまったくべたつかない仕上がりになります。

 

パンの耳をスティック状にカット。

ボールに溶かしバターを30g入れてパンと絡める。

グラニュー糖30g、シナモン適量も振り込んで絡める。

クッキングシートの敷いた天板の上に並べる。

オーブン160度で、20~30分焼く。

そのまま冷ます。

 

くちこの友達のレシピです(*^_^*)

 

 

明日は我が家で女子会なので・・・

更に!

我が家を可愛くしましたよ。

 

      

 

      

 

電波時計は、写真立て部分に古いカレンダーをカットして入れました。

入れ替えようのカードをたくさん用意しました(*^_^*)

ちなみに、これは・・・トイレの棚です。

 

※豚の写真はオマケ、これは寝室のドアに貼っています。

豚が二頭寝ています。。。。

くちこがカードをカットして、ちょっと折り目も入れて貼りました。

GOOD JOB!

 

そうそう・・・

ホワイトデーの報告も。

サメ氏からは、コレ。

サメ氏の名誉のために?言っておきますが、選んだのはくちこ。

ATAOと言う知らないブランドでしたが、ステンドガラス風なのと、小銭部分が使いやすそうなので・・・

外ファスナーを開けるだけで小銭が出せるんです。

収納力も抜群ですよ。

 http://atao-shop.jp/ataoshop/7.1/355-1087/

      

 

 

息子達からは・・・

 

      

 

      

 

小さいケースの中は、GODIVAのチョコ、三種です。

ちゃんと、母のツボを押さえています(^o^)

 

 


膵臓頭部に巨大腫瘍が見つかって今日でちょうど二年です

2015年03月15日 17時06分38秒 | 膵神経内分泌腫瘍 p...

ふと、気づいてブログを辿ってみたら、やはりそうでした。

http://blog.goo.ne.jp/kazukomtng/e/e9589994eb99233c306dc46968b8f6ae

軽い気持ちで受けた腹部CTに写ったモノは、6.5cmの見事な腫瘍でした。

くちこは、その病院に勤務する看護師でもあり、各科の先生が驚き、また考えてくれましたが、

造影CT、MRI、何を持ってしても確定できない。

組織診の結果、p-NET(膵神経内分泌腫瘍)という、十万人に一人か二人の希有な癌と判明しました。

 

久しぶりに、当時のブログを読み返しました。

いろんな想いや覚悟を持って頑張ろうとしたくちこが、そこにいました。

 

PD(膵頭十二指腸切除術)というのは、消化器最大の手術で、

胆嚢や十二指腸は無くなり、膵臓も半分に切除、胆管や胃も一部切除。

未だに本人には理解できない迷路のような内臓が作られています。

自分の両親のように、術後、元気になること無く、半病人のように生きる選択はしたくなくて、

一旦、手術を断ったくちこです。

院長に「この手術、止めてくれ」と、直談判の電話まで入れました。

結局は説得され、渋々承諾した手術です。

 

術後、自分の姿を自覚するや、

「オノレ、タバカリオッタナ!」

と、手術を後悔し、

七階の窓からできることなら飛び降りたかったくちこです。

http://blog.goo.ne.jp/kazukomtng/e/73a5c0fb2c4c9c507479a900e3964ce0

 

人生は苦なり。

正しく正しく!

達磨大師さん、貴方の喝破は正しい!

 

それから、弱音を吐きまくり、

サメ氏をいたぶり尽くし、

どうやら腫瘍発見から二年たちました。

最終的には8.5cmもあったのだから、

物理的に考えたら、それだけでもウエストは細くなる筈でした。

なりましたよ、もちろん。

でも、復活して余りあるウエストとなりました。

くそっ!

 

くちこは、わがままで完璧主義なところもあるので、

元気で無い自分に毎度失望し、

そんな自分の体が気に入らなくて落ち込むことも多々。

性懲りも無く、元気な気分で動いては寝込むことも、多々。

気分不良、胃重感、食欲不振、下痢、不眠、疲労感・・・

挙げたらキリが無いんだな。。。

 

それでもね、

3.11で犠牲になられた方、被害に遭われた方のことを思えば、

こんなことで文句は言えないことは百も承知。。。

なかなか、今を有り難いと思わずに、

足らざる部分の不平ばかりを口にする凡夫くちこです。

 

実際に手術したのは4/9だし、

オペ後二年の診察も4/13なので、詳細はまた今度。

 

先日、載せ忘れた、ブロ友さんの記事を見て取り寄せた成田山新勝寺、なごみの米屋さんの春の詰め合わせです。

期間限定に弱いのでね・・・

ぴーなっつ最中だけにしようかとも思ったのですが。

 

 

また、長崎のブロ友さんから教えて貰った桃カステラも取り寄せました。

長崎では、初節句の内祝いとして配るそうで・・・

松翁軒の桃カステラ、三個箱入りで2959円!

一箱で足りる訳も無く・・・

甘い桃カステラ、これも思い出です。

 

今日は、特養に入所している義母の所に行ってきました。

ずっと気になっていたのですが、施設全体が昨年末から感染予防で面会禁止だったんです。

やっと面会できる旨の知らせが届き、市販品の差し入れも可とのことで、義母のすきな饅頭を持って。

 

昨夜、経費節減のため、自分で前髪を切ったくちこですT_T)

来月で87歳、女子挺身隊の生き残りです。

写真のお饅頭、義母は四個食べました!

ひなあられもパクパク!

お昼ご飯、大丈夫だったかなあ?

 


飛行機に向かって万歳三唱!

2015年03月12日 11時49分10秒 | 孫達

次男夫婦の帰省した五日間をどうにか乗り越え!

空港まで一家を運び、どれだけ安堵したか!

東京に向かう飛行機に向かってバンザーイ!!!

 

くちこは、生まれつき、鬼姑の才能に溢れているので、

それを封じるのは至難。

一般の人でも、くちこが怖いのに、

万事控えめな嫁、どれほど、くちこが怖いか?

 

気を遣い合うこと。

言いたいことも、言葉を選びつつ最小限に。

息子は親孝行した気、満々でしょうが・・・

くちこは、疲れ果てました。

いつも、

言いたい放題。

したい放題。

わがままに暮らしているツケは大きい。

 

とにかく、

初節句の会、無事、執り行いました。

栗入り玄米お赤飯や、くちこ流詐欺押し寿司とか、

あちらのご両親や、ご近所へも。

 

 

孫姫用のちゃんちゃんこと、昔、くちこの娘が来た着物、両方着せましたよ。

帯は、小さい帯をくちこ流に詐欺のような帯を手作りしました。

         

 

安産祈願のお礼参りにも行きました。

真言密教のお寺、菩提寺、くちこ家お墓、ついでに梅園も。

次男夫婦は、生真面目なので、お寺では、ご真言や、般若心経も唱えていました。

 

孫姫の小さな足も見えていますね。

前回は、お腹の中からご挨拶したのですが・・・

 

梅園の露店では、孫娘の記念樹として梅の苗を買い、

息子がくちこ家の庭に植えました。

孫姫も白梅も、無事、大きくなりますように。

梅園の梅は、先日、くちこ夫婦が来た時よりも咲いていました。

 

      

 

とにかく、ひたすら泣く孫姫でしたので、

居なくなると、泣き声が聞こえないのを不思議に感じます。

その後も雑務や来客に追われ、ブログ更新が滞ってしまいました。

後30分で、シャドーボックス教室なので、これから準備。

疲労は日薬で収まるでしょう。

先ずは、韓国ドラマで、くちこの心をなだめなくては!

 

以上、簡単ながら、怒濤の五日間が終了したことを安堵とともに報告いたしました。

 

 

 

 


簡単料理と、くちこの読書生活

2015年03月04日 21時24分48秒 | 食・レシピ

カテゴリーを、食・レシピにするのは如何なものかと思いますが・・・

ま、これも料理のハシクレ(^_^;)

 

HBの自動コースで、スコーンを焼いて見ました。

前回は、なんと、砂糖と塩を間違えるというアホぶり!

今回は、ちゃんと砂糖を入れました。

自動ですから、あの二斤タイプの型にデッカク一個!

 

切り分けて、三日がかりでサメ氏と食べました!

もう一度トーストしてジャムやココナッツオイルを付けたらGoodでした(^_^)v

胡桃(自家製)と干しぶどうを入れました。

 

あまおうのドレッシングで、切り干し大根(自家製)のサラダを作ってみました。

イタリアンパセリ(自家製)と、本物の苺も足してみました。

      

 

 

お洒落なパンケーキをお洒落に食べたかったくちこですが、

田舎暮らしの哀しさ・・・自分で作りましたが、小学生レベル(T_T)

キウイは自家製、31のベリーアイスがあったので載せてみました。。。

カナダで買ったアイスワインシロップを添えて。

 

      

 

先日、始めて炊飯器でりんごケーキを焼いたら、まずまずの美味しさだったのでリピ。

が、面倒臭がりやのくちこ。

リンゴを事前にバターで炒めるのを省略。

生のままのりんごと、これまた切っただけのバナナを敷いて炊飯!してみました。

 

      

 

内釜に最初にバターをたっぷり塗ったら・・・単に焦げました(T_T)

リンゴとバナナは、ちょっと内側に勝手に移動していました。

ホットケーキミックスも適当に計量も一切せずに牛乳と卵一個で混ぜただけです。

まあまあ、簡単な割には美味しい。

 

 

信じられない料理はコレ!

シャドーボックス教室の生徒さんが作って来てくれました。

餅米を炊いて、甘納豆と混ぜて、きなこをまぶしただけの、「簡単おはぎ」???

ほんのり甘い程度で、おはぎとは言えないけれど、食べやすい。

 

 

後ね、可愛いマヨネーズが出番を待っているのですが・・・

なかなか使いかけが無くならない(^_^;)

      

 

 

 

閑話休題!

くちこの読みかけの本達。

 

 

↑話題の遺伝子医療について。

ここまで進歩したんだあ。。。

そして、猛スピードで進歩中なんだなあ。。。

未だ、百ページちょっとしか読んでいないけれど、

本当に、医療は大きく変換される予感!

リスクを調べる。

リスクを知るリスク。

リスクをどう捉えて、どう扱うか。

そこまで考えが及ばないとね、

振り回されます。

それでも、知るべき、勿論。

的確で無駄のない医療の為に。

 

 

 

↑信じる者は救われる、的、本。

で、一応、信じて、マッサージ棒でトントン中のくちこです。

信じるくちこは救われる、筈。

 

 

 

ガンコロリンは小編集。

ほぼ、読了。

海棠氏らしい医療に対する皮肉がチラホラ。

アクアマリンの神殿は、サメ氏が先行していますので。。。

 

 

 

先日、HTBでこの人のガラス工芸に感動したので購入しました。

作品集、写真集等ではなく、この本を選んだのは、

どんな生き方をして、

どんな心をもってしたら、

こんな、世界に通用するヴェネチアガラスの作品を堂々と日本的に作るに至れたのか?

それが知りたかったから。

凄い人だし、自分の立ち位置も日本の立ち位置も良く解っっている人でした。

今から子供を育てる人に読んで欲しいなあ。。。

 

 

兎にも角にも、

やるべき事や、

やってみたい事が多くて、

なのに、昼寝も必須で、

韓国ドラマも三度の飯と同等で、

な・の・に・

明後日から、次男一家が帰省します。

自分から忙しい道を選択する癖のあるくちこ。

先日来、着物の整理を再開、畳紙を新しくしながら、

畳紙一つずつにテプラで中の着物の説明貼付しました。

結構、着物、多いので、未だ四分の一で頓挫中。

この着物、どうしたものかも・・・思案中。

 

ああ、くちこくのいち、今日も行く。。。

 

 

 

 


初孫姫の為に待機させているお雛連

2015年03月01日 09時18分01秒 | 孫達

今年は、初孫姫の初節句。

息子夫婦の帰省に備えて、

旧顔や新顔、あれこれ並べました。

お嫁さん家からの人形は東京の息子宅に飾られているのでね。

此処は、サブ。

ひな人形なんて、皆さん、目にタコでしょうが。。。

 

まんず・・・

なんと、ブロ友のお福さんから届いた木目込みの羽子板!

くちこはウルトラびっくりしました。

世の中には、このような物を作って人に贈られる人も居るんだなあ・・・と。

お福さん、ありがとう(*^_^*)

↓は古顔達・・・

ヒヨドリに全部食べられてしまうっと、急いで取り込んだ金柑が投げてあるのが、いかにもくちこ。

 

 

 

↑の豆皿と、↓の石ころ雛人形は、昨年秋に日田へ行った時に孫娘を祝う為に買い足したものです。

このお顔、似ているって思って(*^_^*)

 

 

くちこ夫婦からの初節句のお祝いは、ちょっと早いけれど、「実印」なんです。

これは、どの孫の時も同じです。

象牙や黒水牛で、吉相印を彫って貰います。

一生物として。

 

さて、先日、くちこ家の墓参りに行ってきました。

近くに大きな梅園があるので梅見にも。

未だ五分咲きで、曇りでしたが・・・

くちこね、固い蕾みを見ると元気が出るんです。

「決意」「決心」

何があっても咲く!

誰が何時咲こうと、

自分の時に咲く!

雨にも雪にも風にも、

負けずに咲く!

ふんっ!!!

って感じがキリリと勇ましく可愛くて。

 

 

      

 

曇っているけれど、くちこの故郷の海です。

此処で生まれて育って・・・くちこになりました。

とても綺麗なくちこ自慢の海です。

 

      

 

久しぶりに、大好きなお饅頭も買いにいきました。

とても小さくて古くて、いつも誰も居ない、見落とされそうなお店です。

でもね、賞状が・・・

 

      

 

      

 

肉桂がスパイシーな?ちょっと他に無いお饅頭ですが、日持ちがあまりしなくて・・・

 

いつものお店でランチです。

      

 

      

 

      

 

旧家の古びたお店で、雑貨を見るのも、くちこ夫婦の楽しみなんです。

 

      

 

      

 

      

 

      

 

 

貝合わせのような雛人形、欲しかったなあ。。。

くちこは、我慢したんです!

働いていたら買ったのにな。。。。くそっ。。。。。。。。

 

物事全ては、天秤。

どちらのお皿が重いか・・・ですよね。

のんびり暮らす今を選んだんですから、ね。

買えなくてもイイモン!