諫早農業高等学校農業土木科に、昭和44年4月に入学した同窓生は45名いた。
分かっているだけでも、そのうちの5名は既に御浄土へ旅立ってしまっている。
昨年の8月に、諫早市内で同窓会を開いた時には16名の参加があった。
同窓生は、今年から来年の3月までのうちに還暦を迎える。
同窓生の中では一番ひま人で、自由に使える時間が多いということで、同窓会の副幹事(事務局)をやらせてもらっているので、幹事のM君と相談して、来年の1月に還暦記念の同窓会を開こうということになった。
会場の予約等は、幹事のM君がしてくれたので、私の役目はその事を文書にして、住所が分かっている同窓生に送付するということ。
会場は前回と同じ場所にしたので、案内文の内容も、年月日を変更する程度で事足りる。
そのようなことで、同窓生の顔を思い出しながら、同窓会案内文書の封書の宛名書きをのんびりとさせてもらった、小雨が時々ぱらついた一日だった。
豊田一喜
分かっているだけでも、そのうちの5名は既に御浄土へ旅立ってしまっている。
昨年の8月に、諫早市内で同窓会を開いた時には16名の参加があった。
同窓生は、今年から来年の3月までのうちに還暦を迎える。
同窓生の中では一番ひま人で、自由に使える時間が多いということで、同窓会の副幹事(事務局)をやらせてもらっているので、幹事のM君と相談して、来年の1月に還暦記念の同窓会を開こうということになった。
会場の予約等は、幹事のM君がしてくれたので、私の役目はその事を文書にして、住所が分かっている同窓生に送付するということ。
会場は前回と同じ場所にしたので、案内文の内容も、年月日を変更する程度で事足りる。
そのようなことで、同窓生の顔を思い出しながら、同窓会案内文書の封書の宛名書きをのんびりとさせてもらった、小雨が時々ぱらついた一日だった。
豊田一喜