先週の日曜日に、東彼杵町の蕪池(かぶらいけ)のほとりで約1年8ヶ月寝かせてもらっていた椎茸のホダ木の椎茸が、我家の庭の片隅で、たくさん出始めました。
椎茸の駒打ち体験をさせていただいてから、1年8ヶ月近くの間に原木と駒が一体化して、原木の養分を吸収しながら、膨らむ日をじっと待ち続けていたのだろうなと思うと、感動的ですらあります。
私たちの一生も、80歳まで生かしてもらうと仮定した場合で2万9千2百日。
およそ3万回の朝を迎える程度。
私の場合には、80歳まで生かしてもらうものと楽観的に仮定して、既に4分の3の人生を過ごさせてもらっていることになります。
日数にして2万1千9百日余り。
その日数の内に、どれだけの喜怒哀楽があったことだろうか。
最近では、我が家の仏壇の仏様に、毎朝目が覚めて健康でお参りできることに感謝できるようになりました。
明日の朝にでもたくさん出始めた椎茸を収穫して、家族でおいしくいただくという些細な幸せを満喫したいと思っています。
何気ない平凡で平穏な日常であることに感謝したい。
(満開の椎茸)
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豊田一喜
椎茸の駒打ち体験をさせていただいてから、1年8ヶ月近くの間に原木と駒が一体化して、原木の養分を吸収しながら、膨らむ日をじっと待ち続けていたのだろうなと思うと、感動的ですらあります。
私たちの一生も、80歳まで生かしてもらうと仮定した場合で2万9千2百日。
およそ3万回の朝を迎える程度。
私の場合には、80歳まで生かしてもらうものと楽観的に仮定して、既に4分の3の人生を過ごさせてもらっていることになります。
日数にして2万1千9百日余り。
その日数の内に、どれだけの喜怒哀楽があったことだろうか。
最近では、我が家の仏壇の仏様に、毎朝目が覚めて健康でお参りできることに感謝できるようになりました。
明日の朝にでもたくさん出始めた椎茸を収穫して、家族でおいしくいただくという些細な幸せを満喫したいと思っています。
何気ない平凡で平穏な日常であることに感謝したい。
(満開の椎茸)
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豊田一喜