川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

脱原発への提案  自民党エネルギー政策議連

2012-02-09 21:09:56 | 自然と人間(震災・津波・原発事故)

2月9日(木)☼

 川越公園の落ち葉の道を歩きました。久しぶりなのでいつもよりいっそうよたよたです。「ケイスケ殺すにゃ刃物はいらぬ。寒さの3日も続きゃあいい」。

日当たりの良い広場にはイヌノフグリがかわいい花を咲かせています。

    

 

福島第二原発もメルトダウン寸前だったことが所長の記者会見でわかりました。

    ●http://www.j-cast.com/2012/02/09121688.html?p=1

恐ろしい話です。

近くすべての原発が定期検査などのために停止するということです。この際、数年間は原発の再稼働はやめ、国会をはじめ、全社会でエネルギー政策について議論する機会にすべきです。

 自民党の河野太郎議員たちのグループがエネルギー政策の提言をまとめたとのことです。

 

    電力の5割、再生可能エネルギーに…自民議連

 自民党の河野太郎衆院議員らがつくる「エネルギー政策議員連盟」は9日、〈1〉2050年までに現在の電力需要量の50%を再生可能エネルギーとする〈2〉青森県六ヶ所村の使用済み核燃料再処理工場の廃止〈3〉高速増殖炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)の廃炉――などを柱とする提言をまとめた。

 党の「総合エネルギー政策特命委員会」(山本一太委員長)に提出し、同委が近く公表する「中間とりまとめ」に反映するよう求めた。(2012年2月9日17時42分  読売新聞)

 

河野太郎議員のブログに全文が掲載されています。これが自民党でどれだけの支持を集められるのか?

11日には反原発の大きな集会が予定されているようです。右派の陣営の人たちのなかにも反原発を闡明した人もいるようです。

人類だけでは無く、いきとし生きるもののための地球です。各党各派はもとよりすべての私たちが議論に参加し、当面のエネルギー政策を確立しなければなりません。


民党エネルギー政策議連提案

2012年02月09日 18:14

自由民主党エネルギー政策議員連盟の提案です。

この提案にご賛同いただける自由民主党の国会議員、都道府県会議員、および自民党籍をもつ市町村議員を募っています。

どうぞ、ご連絡ください。

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新しい日本のエネルギー政策の提案

自由民主党エネルギー政策議連

大きな方針

原子力ムラを解体し、現実的な脱原発を実現する。

エネルギー分野で多様な主体による分散型技術革新を実現する。

将来の化石燃料の価格高騰にも対応できる、世界に先駆けた再生エネルギービジョンを実現する。


原子力の規制に関して

原子力規制庁は三条委員会として新設し、原子力安全基盤機構および中央官庁の核、放射能関連部門を原子力規制庁に統合する。

原子力関連予算を組み替え、再生可能エネルギーやスマートグリッドの普及拡大、シビアアクシデント対応および高レベル放射性廃棄物と使用済み核燃料の中間貯蔵と最終処分等に予算に集中する。

環境関連法令の適用除外を削除し、原子炉由来の環境汚染について環境省も所管する。


原発再稼働に関して

再稼働は、政府・国会の事故調査委員会の結論を待って、原子力規制庁の下で行う。

再稼働は、安全性の高い原子炉のみを対象とし、電力の安定供給のために最低限必要な数までに限る。

再稼働の前に、電力各社の経営の隠蔽体質の一掃を求める。


今後の原発のあり方について

商業用原子炉の新増設、更新は今後、行わない。

運転開始後40年を経過した原子炉は廃炉にする。

原子炉の輸出に関する政府の支援は行わない。

NPTに加盟していない国との原子力協定を速やかに見直すとともに、NPTに加盟していない国々に対する原子力関連物品、サービスの提供を禁止する。

使用済み核燃料の原子力発電所内での乾式貯蔵を始める。

使用済み核燃料の乾式貯蔵による長期貯蔵施設を建設する。


電力供給体制に関して

電力会社の地域独占を廃止し、電気事業を自由化する。総括原価方式は廃止する。

電力会社の送電部門を分離独立させ、送電網会社を設立する。送電網への発電会社からのアクセスの平等性、公平性を担保する。

全ての原子力発電所および関連事業、使用済み核燃料およびその処分責任を電力会社から国に移管する。

東京電力には公費の追加投入をせず、債務超過になった時点で破綻処理を行い、一時的な国有化を行う。ただし、燃料の購入その他事業の継続に影響が出ないように資金繰りは政府が全面的に責任を持つ。国有化後に、発電部門、送電部門、福島第一・第二原発処理部門に三分割し、発電部門は再上場、送電部門は新送電会社に統合する。


バックエンドについて

「もんじゅ」を廃炉にする。地域への財政および雇用に関する支援を当面、国が行う。

商業用高速増殖炉の開発は、現存の軽水炉が廃炉になる時期に間に合わないので中止する。

六カ所再処理工場は稼働させずに廃止する。地域への財政および雇用に関する支援を当面、国が行う。

再処理を前提とする現行の特定放射性廃棄物の最終処分に関する法律を改正する。

プルトニウムを国際管理する仕組みを提案する。

核廃棄物を、より半減期の短いものに転換するような研究を継続的に実施する。

日本原子力研究開発機構を改組し、福島原発の廃炉管理、放射性物質の除洗技術の開発、使用済み核燃料および高レベル放射性廃棄物に含まれる放射性物質の半減期をより短くするための研究開発を実施する。


再生可能エネルギーについて

再生可能エネルギーの固定価格の買取制度を充実させる。再生可能エネルギー普及のための規制緩和並びに法改正を速やかに実施する。

企業の生産性と国民生活の利便性を損なうことなく、2020年までに現在の国内の電力需要量から20%削減、2050年までに40%削減を目指した省エネ目標を設定し、必要な法令改正および研究開発支援を行う。

スマートグリッド導入に関する検討を進め、必要な法令改正を実施する。

2020年までの再生可能エネルギー(水力含む)の導入目標を現在の電力需要量の20%、2050年までに50%とし、その達成に必要な法令改正および研究開発支援を行う。

国内の周波数問題の解消に向けての戦略を定める。

アジア自然エネルギー共同体構想を進める。

 

出典●http://www.taro.org/2012/02/post-1163.php


「原発マネーに負けなかった男」島岡幹夫さん

2012-02-09 06:05:29 | ふるさと 土佐・室戸

このところ寒い日が続き閉じこもっている。昨日はツイッターというものをやってみた。良くはわからないが時時刻刻経産省から伝えられる情報を読んだ。確かに市民にとって便利な情報伝達メディアだろう。

 JANJANで高知・窪川(四万十町)の島岡幹夫というオンチャンの記事を読んだ。こういう方がいて窪川原発を阻止することが出来たのか。

 言っちゃあ悪いが、反原発をリードする人が「大江健三郎」などの文筆業の「知識人」である限り、勝ち味はない。真実味がないのである。島岡さんのようなオンチャンが先頭に立ってくれるとだいぶ違ってくるのではないかと思う。ぼくのような閉じこもりでもこのオンチャンの話を聞いていると元気がでてくる。

 三つ年上だという。えらいものだ。

 

原発マネーに負けなかった男 (高知)

 高知県民は、過去の放射能との困難な戦いで、実に3連勝している。窪川原発と(1988128 窪川町)、高レベル放射性廃棄物(2007422 東洋町)、低レベル放射性廃棄物(200924 大月町)をその入り口で追い返した。最初の窪川原発については、私はほとんど何も知らなかったが、昨年1130日に高知大学で行われた島岡幹夫さんの講演を聴き、その直後に1時間ほど彼と話す機会があり、さらに執筆を開始してから確認の電話を5回したので、およその経緯を知ることができた。それは、語るに値する「サクセス・ストーリー」であった。

      ○ 島岡さんたちの反対運動が、豊かな自然を残した。(原発候補地になった旧窪川町興津海岸か?けいすけ註)

1975年、旧窪川町に原子力発電所建設計画が持ち上がった。島岡幹夫さん(当時38歳)は、この時、高知県窪川町自民党支部広報副委員長だった。25歳までは大阪府警の警官だった人である。この種の話は、一般の人が知る前に保守系の有力者の間で根回しされるのが常である。ある会合で計画を打ち明けられた時、町の有力者がだれも反対しない中で、彼だけは、「ちょっと待ってください!」と異議をはさんだ。放射能が気がかりだったのである。その時、放射線治療の末に52歳で亡くなったお母さんの死体を思い浮かべたと言う。有機農業をやっていたから生理的に放射能を嫌ったということもあったかもしれない。

「窪川町には、当時、農業と畜産で80億、林業で30億、縫製工場などの加工産業を合わせると、150億近い収入があったのです。四国有数の食糧生産地なのに、たかだか20億や30億の税収に目がくらみ、耐用年数30年程度の原発のために、2000年続いてきた農業を犠牲にするのは、愚の骨頂であります」というのが、島岡さんの主張であった。しかし、窪川町自民党支部の中で、彼のこの正論に同調する人はなく、彼は孤立感を深めていった。

 

島岡さんは、孤立して思案に暮れる人ではなかった。彼は、共産党の反対集会に乗り込んで行って、こう言った。「この町の有権者は13000人、革新は3000人、保守は10000人、革新が運動を主導したら、原発は建設されてしまいます。この反対運動は、私のような保守系の人間が中心にならなければ、大きな力になりません。私を反対運動の代表にしてください」 そして、彼は、窪川町原発反対町民会議の代表になった。まもなく、彼は、自民党窪川町支部に呼び出され、除名処分を言い渡された。

賛成派と反対派、町を2分しての骨肉相食む長い闘いが始まった。賛成派は、13億の宣伝費、接待費を使ったと言われている。一方、島岡さんは、「郷土懇談会」と名付けた学習会を毎週のように開き、住民といっしょに原発を学習することから始めた。「岩波新書の『原子力発電』(武谷三男)を教科書にして勉強しました。あの本は、私たち反対派のバイブルになりました」と当時を振り返る。

 

 

原発は未来に禍根を残す。原発反対町民会議は、任期4年の町長や町議会に建設の議決を委ねず、全町民有権者の投票によって決する住民投票条例の制定を要求した。先駆的な試みであった。「その時の町長は、当選して1年半後、公約に反し、賛成派に回っていたのです。その町長は、私の家内のいとこでしたが、私はリコール運動の先頭に立ちました。1981年3月の解職投票で、賛成6332、反対5844で、私たちが勝ちました。しかし、私たちに油断があったのでしょう。その後の出直し選挙では、私たちの立てた候補者が899票差で解職町長に負けてしまったのです。1票5万円だったと言います。当時の窪川町の民度は高かったですが、浮動票がかなりあり、金をもらったら、そちらに投票する人もいたのです。私たちは再び危機に陥り、町は一層混乱していきました」

住民投票条例は、出直し選挙の年に成立した。町長が出直し選挙の公約にしていたからである。しかし、町長は賛成派であった。では、町議会の方がどうなっていたのかと言うと、24議席の内、賛成-20、反対-4という状態であった。そこで、島岡さんは、1983年2月1日、町議会議員になり、「議会改革」に乗り出した。「議員としての収入は、女房には申し訳なかったけれど、すべて原発反対運動に使いました。日本全国の原発を訪ねて、住民の意見を聞き、原発の問題点を調査研究しました。その研究成果を議会での質問に使ったのです。だから、町長も大変だったでしょうね」と当時を振り返る。彼は、原発建設を阻止するために急きょ町議会議員になったのだが、7期28年間務め、終わりのころの2年間は町議会議長を務めた。彼の奮闘があって、22議席のうち、賛成―12、反対10まで追い上げたが、やはり、反対派は議会内では劣勢のままであった。

私は、東洋町の高レベル放射性廃棄物の反対運動の時(2007・4・22)も、1票に5万円が動いた、と聞いた。東洋町の町長選挙の出陣式の日、私は、2mほどのブロック塀の上に登って写真を撮っていたが、下を走る車の中が丸見えであった。鋭い目つきの男の隣には誰も座っていなかったが、5万円くらいに小分けされた1万円札の束の山が無造作に積まれていた。

選挙では勝てなかったが、島岡さんたちの学習会をベースにした地道な反対運動は、徐々に反対派を増やしていった。県原発反対漁民会議は、「海洋調査が強行されるなら、5000隻の漁船を動員して、海上封鎖する」と宣言していた。そして、島岡さんたちの反対運動に順風が吹いた。1986年4月、レベル7のチェルノブイリ原発事故が起こったのである。・・・。1988年1月、反対の世論に包囲された藤戸進町長は、「窪川原発は今日的課題ではなく、海洋調査を棚上げにする。私は、公約の責任をとって辞任する」と発表した。こうして13年間に及んだ窪川原発建設計画は、原発反対町民会議の地道な活動によって、阻止されたのであった。

 

 

○ 焼肉パーティーを兼ねての学習会風景。和子夫人の「ちらし寿司」も活躍した。(以下の写真は島岡さん提供)

島岡さんが原発反対運動に走り回っていたのは、13年間である。急発進した車を道路に転がってかわしたこともあった。その筋の人たちが10人ほど町に入り込んでいたのである。柔道、剣道の有段者である彼は、呼子をいつも首からつるし、暴力にも屈することなく、己の正義を貫いた。「島岡幹夫なくして、窪川原発は阻止できなかったであろう」 多くの関係者に聞いたが、異口同音にそう言う。

その間、彼に代わって本業の有機農業をやっていたのは和子夫人で、「働き過ぎて背中が曲がってしまった」と言う。高校時代、彼は、2年間生徒会長を務めていた。その同じ高校の2年先輩だった和子夫人いわく 「父ちゃんはえらい。私は父ちゃんを誇りにしています」 

 

 ○ 自宅前の島岡幹夫さんと「内助の功」で反対運動を支えた和子夫人

(筆者の感想)

島岡幹夫さんは、現在73歳だが、まだ現役で、席の温まる暇がない。会えばわかるが、全身からエネルギーをほとばしらせていて、話し出したら止まらない。彼は、現在、日本国内はもちろん、韓国の反原発運動を応援しているが、韓国の空港に降り立つと、両側に公安警察がピタリとついて迎えてくれると言う。また、自宅には、月に1度、黒いスーツを着た2人の高知県警の公安が訪れると言う。日韓両国の公安が彼の動静をマークしているのである。しかし、25歳まで彼自身がその公安警察だったのである。

  ○ 韓国・光州市で開かれた反原発の集会で講演している島岡さん

また、彼は、「大地を守る会」国際局の要請を受けて、タイ東北地方のタラート村に毎年、有機農業の指導に出かけている。自ら泥にまみれて、「立体農業」を指導している。村人の笑顔が増えることを楽しみに、私費を投じて、タラート村の生活改善に貢献している。今年で14回目だと言う。

     ○ タイ国の島岡農業塾で幹部のミーチャイ君と打ち合わせ

また、彼の1枚65円の名刺には、「朝霧森林クラブ会長」とも書かれている。仲間を募って、植林の間伐にボランティアの汗を流しているのである。「窪川ジャガイモクラブ会長」でもある彼は言った。「経済を繁栄させるために農業を犠牲にしてエネルギーをつくりだそうとするのは、根本的に間違っています。私は、農業を基礎にした国づくりを考えるべきだと思います。日本の農業を破壊するTPPには、絶対反対です」

徳川封建時代が長かったからだろうか、日本では、「長いものには巻かれろ」という処世術の人が多い。いわゆる「大勢順応型」である。しかし、時々、社会の価値観に自分を合わせるのでなく、自分の価値観に社会を合わせようとする人が出てくる。島岡幹夫さんや澤山保太郎さん(高レベル放射性廃棄物から東洋町を守った)は、そういう日本人離れした怪物である。己の正義を信じて、郷土の敵に立ち向かう「命知らず」が1人いること、それが原発マネーに負けない必要条件であるように思った。

出典●http://www.janjanblog.com/archives/60796