心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

久々にテンプレートを変更

2016年11月08日 | ほんのすこし
本当に久々にテンプレートを変更してみました。
ずっとやっていなかったので、やり方を忘れてしまって。
ワイドの「カフェ」がお気に入りでもう変えなくてもいいかな、ぐらいに思っていたのですが。
なんとなく気分を変えたくなって、今度は同じワイドでも自分の画像を入れることができるというのを選んでみました。

でも選んだものがことごとく拡大されてしまい、ぼやけたものにばかりなるので、何度もやり直ししていました。
拡大になってもぼやけても大丈夫なものを選んで位置合わせをしてみましたが、なかなか上手くいきませんでした。これはこれから再検討の余地ありありですね。

久しぶりにあれこれとマウス画を開いてみて、自分が描いたものを再度見るのは結構面白かったです。
どうしても拡大されるので、画像は粗くて、見るに堪えないかもしれませんね。

マウス画にこだわらなければ鮮明な画像があるかもしれないなあ。

また研究してみます。

ではまた。

※※※

今度は全然違うマウス画を持ってきてみた。
こっちの方がしっくり来る気がする。

※※※

道は続く

2016年11月08日 | 朝のことば&つぶやき
ここはかつて線路と呼ばれた道
沢山の人々が電車に乗り
この上をゴトゴト揺られていったのだ

やがて乗るべき人は数えるほどとなり
電車が通ることは無くなった
貨物列車が何度か通ったが
それも最後には無くなった

いくつかある踏切で
長年の習性から一時停止をしたが
それも必要なしとの看板が立っていることに気づく
だれもかつての踏切で止まる人はいなくなった

時が流れ
線路という道にかすかな希望が生まれた
新たな使い道が出来たからだ
今ここはレールバイクという新しいものが走る
新緑の中
夏の日差しの中
染まりかける赤や黄色がかった山を傍らに

白い雪が降る頃
静かに道を閉じ
眠りに入る
また会おう
来年また会おう

人も同じだろうか
使い道が無くなったからそれでお仕舞いなのだろうか
新しい何か
新しい自分
そのどちらも
自分自身が前に行こうとしなければ
何も動かないのだ

秋の木漏れ日の中で
これから眠りに入ろうとする線路が
さび付いていてもどこか誇らしげに見えた





※※※

小坂線。
廃線になってから久しいが、ここをレールバイクに使用しようと計画を立てた人たちがいた。
大館 小坂鉄道レールバイク

廃線の新しい使い道、廃線に息を吹きかけてくれた人たちに感謝。
いつかは乗ってみたいな、レールバイク。
あぁ、でも高所恐怖症だったんだ、わたし。

※※※



永六輔さんの言葉だとか

2016年11月08日 | ほんのすこし
夕べ録画していた『フルタチさん』という新番組を見ました。
なんだか自由に語っているなという感じがしました、古館さんが。でもたぶん収録では結構なカット部分があったのでは? なんて思ってしまいました。
だってしゃべりすぎるから(笑)。しゃべりに時間が取られすぎると他のことが何もできなくなるでしょ、って感じを受けました。まあそのしゃべりがまた面白かったりするのですけど。
この方にずっと語らせたら、一体いつまで延々と語るのかなと思ってしまいましたよ。

でも、yahoo!の現場に行ってインタビューするところなど、とても興味深いものがありました。
最先端?の職場ですよ。一体どんな感じなんだろうという好奇心を大いに刺激しました。ニューストピックスを手がけているスタッフ、元某新聞社出身の方が多いというのも頷けました。見出しの付け方など古館さんは受け狙いでキャッチコピーみたいな見出しをつけようとしますが、それだとだめ出しをくらってしまうということでした。
ふ~ん。
やっぱりプロはプロ、餅は餅屋なんだなと妙に感心しました。

最初は一回きりの予約録画でしたが、面白かったのでこれからも予約しようと早速来週から毎週予約に切り替えました。どのくらい切り込めるかわかりませんが、案外わたしの壺にはまるものが出てくるかなと淡い期待をしています。
なかなか現地に行っての取材で「あぁ、もっとこれを聞いてほしいのよ」という期待に応えてくれるものってないので。

で、最後の辺りで古館さんが大事にしている永六輔さんの言葉を紹介したのですが、それがなかなか良かったのでここでも紹介したいと思います。

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生きているという事は
誰かに借りを作っているという事
生きて行くという事は
その借りを返していく事

永六輔

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なんだかガツンと頭を叩かれた気分です。
忘れてました。感謝するということ。
なんだか自分ひとりでここまできた気分でいたんじゃないかって。そりゃたまには親のこととか考えますよ。
感謝したりとか。でも借りがあったということ、親だけじゃないんだよね。
自分がこうして生きていられたということは他の色々な人や目に見えない何かに守られていたんだなと。
でもわたしが返せるものって何がある?
そこではたと悩むわたしでした。

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慌てる

2016年11月08日 | ほんのすこし
昨日届いた手紙。
なんだろうと訝しげに思いながら開封。

「最終修正があれば」という内容だった。そういえば以前訂正箇所について2カ所指摘があり、修正して送信したが。
今回は印刷されたものが入っていた。このままでよければ連絡は必要ないとのこと。
なんだ、じゃあ連絡しなくてもいいな。
なんて高をくくって寝た。

さっき、なんとなく気になってそれを見た。
ん?
なんだろ、違和感。
読み進めていくとわかった。
ずれているのだ。
会話の部分が一文字ずれている。しかも全部の会話が。

あっちゃー。
なんでこうなったのか原稿を調べてみても自分のはちゃんとしている。
以前の訂正ファイルに間違いがあったのかもしれない。

ちょっと憂鬱。
全部訂正って・・・ それを連絡するのって・・・
なんだか連絡する前からぐったり。

せっかく朝早く目が覚めていたのにテンション下がりっぱなし。
9時になったら連絡しよう。
もう一回眠りたくなったよ(なんか朝からどっと疲れた)。しかも苦手な電話で? せめてメールで連絡させてほしいなあ・・・

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近くの土手で。
樹の裏、光の当たる部分と影になる部分と。
こんなにも違うのかと思う。
光が当たるか当たらないかで見える印象が違う。
でも同じ葉っぱなんだよね。そのもの自体にはなんの違いもない。個々の個性はあるかもしれないけど、それが光によって何ら消えるものではないけど、なんだか光を浴びているほうがいいのかなと最初は思った。でもどうなんだろ。
光を浴びるとカサカサになるのは早い。影になっっているとその色が鮮やかに残る時間は長い。
まっ、葉っぱには関係ないことなんだけどね(笑)。

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