荒川区南千住の煎餅屋のやつ。
1988年に全米女子プロたちを
日本のプロモーターが招聘し
てエキジビショントーナメント
を開催した。
私はエワ・マタヤ本人のこの
キューで縁があって撞いた事
がある。
あまりに一般市販品のメウチ
とは大違いなので驚いた。
一般売りの80年代後半時代の
メウチは、シャフトもバットも
ベナンベナンだったからだ。
マタヤ本人のメウチは芯が通っ
た腰の強いキューで、木材が
厳選された物であった事が即座
に判別がついた。
実は、1980年代後半の一時期、
マスプロキューメーカーでは
一つのキューの総体的な変化
が見られた。
それは、1980年代初期までの
腰の強いバットとシャフトでは
なく、腰が抜けたようなベナン
ベナンのキューが大量に増えた
という社会現象だった。
これは、ショーンにもアダムに
もこの傾向がみられた。
まだMezzというブランドは登場
していない頃。
思うに、これはビリヤードキュー
用の良質メープルが大量には入手
困難になった為ではなかろうかと
推察している。
ショーン、アダムだけでなく、
米国マスプロメーカーも、良質
キューを製造していた台湾メー
カーもベナンベナンのキューが
大量に出回った。
明かに1986年公開の米国映画
『ハスラー2』の爆発的ヒット
による全世界的な大ビリヤード
ブームによる影響かと思われる。
個人ビルダーでさえも、とも
すればベナンベナンになる傾向
も見せた。リチャード・ブラック
などは顕著で、個体差がかなり
あり、大ブーム以前の作品は
しっかりして腰もあったが、
86年以降の作品ではかなりベナ
ンベナンとなって玉がまともに
入れられないようなキューが
多く出た。
マタヤ本人が使っているメウチ
で撞いた時には衝撃が走った。
これならば手玉は自在に制御
できる、と感じた。長い硬質
ゴム棒で撞いているような感覚
ではないからだ。
その後、自動乾燥機の発達による
気乾比重頼りだけでなく、木材
硬化剤を含浸させる方法がキュー
にも採用されて、かなり改善され
た。
ただ、削ってみると判るが、それ
までの良質メープルのように硬い
チーズを削るような感覚ではなく、
薬品含浸硬化のシャフトなどは
シャリシャリとしたまるでかき氷
のような削りの感覚と削りカス
だった。明確にそれまでの良材
とは物が異なる。
だが、薬品含浸のシャフトが一概
に撞球性能が悪いとはいえない。
その差は微細なものだ。
しかし、性能上大きく異なる事も
ある。
それは、木材の質性から来る
振られた時の戻りの速度だ。
これは決定的に異なる。
古い良材は重たいのだが粘りが
強い為か、重量増しの法則を
裏切るかのようにキュー先の
ぶれが少なく逃げと戻りが早い。
結果、どんな現象が出るかという
とトビが薬品含浸の白いシャフト
よりも少ないのである。
これは不思議な現象だが、単に
重量如何で逃げと戻りの速度が
決まるのではないという事なの
だろう。
古い良材はまるで板スプリング
のように活き活きと逃げて戻る。
新材の薬品付けのシャフトは、
あたかも生鉄のような反応なの
だ。
この事に気づいたのは、やはり
マタヤ本人のキューで撞いてみて
だった。
それと当時、ちょうどキュー全般
の変遷の趨勢をタイムリーに実感
していたことによる。
今のこの傾向性はなぜだろう、と。
その後、良材枯渇問題に局所療法
的に分割張り合わせのシャフトが
登場した。苦肉の策だったのだろう。
最初はブレイク用の安シャフトと
して開発された。
だが、瓢箪からコマで、特殊構造
にしたそのシャフトは、キュー先
の逃げが早く、手玉の横トビが
異様に少ない事に製作者たちは
気づいた。
木材の質性如何から来る現象補足
ではなく、キュー先の重量の軽量化
というかつてキャロム界が行なって
いた手法と偶然合致した事による
トビ減少という産物だった。
そこから大誤認の大混迷が日本を
中心として開始された。
手玉が直進させすれば「よいキュー」
とする大誤謬がそれだ。
それまでの良質ソリッドシャフト
さえも「時代遅れの性能の低い
シャフト」と思い込む連中が雨後
の筍のようにドワッと増えた。
メーカーも、それまでのビリヤー
ド130年の歴史を大変換する事を
やり始めた。
それは、次々と新商品として
新構造シャフトを宣伝して発売
すれば、嘘のように飛ぶように
売れた社会現象があった事だ。
そうして、キューは「古い良質
な物を大切に使う」という存在
から「次から次に新商品を買い
求めて古い物はポイ捨てする」
という存在になってしまった。
これは日本人が開始し、全世界
をその構造に作り上げた。
それからの流れは、新構造シャ
フトは飽和状態になる。
数えきれないメーカーが二匹目
ならぬ数十匹目のドジョウを
狙ってシャフトを製造し始め
たからだ。
飽和状態になった後は、業者は
タップに目をつけた。
良質一枚革が入手しづらくなって
いた現象は良質メープル枯渇と
似ていた。
その背景を利用して、一枚革では
なく豚革の薄い革を積層接着して
販売した。日本人が始めた。
大爆発ヒットだった。
だが、まだ一部だったが、今世紀
に入ってからはビジネスパターン
として抜け目ない業者たちに目を
つけられた。
またシャフトと同じように、同じ
構造のタップを作る業者がドワッ
と増えた。
そして、飽和状態になった。
すると、今度はチョークに目を
つけた。
さも自分のとこの製造チョークが
最高の製品であるかのように宣伝
して。
独自ブランドチョーク販売業者が
嘘のように増えた。数百匹目の
ドジョウ狙いだ。
今は、黒いカーボンシャフトと
手袋が狙い目で、次から次に使い
捨てで新商品を出している。
それがまた飛ぶように売れる。
多くの人間が買うから。
すべて、日本人が世界を相手に
仕掛けた「商売」である。
今や、良質な赤木ソリッドシャフト
を使って素手でプレーするのは
プロでさえ激減している。
手袋が良い物ならば、そんな物は
30年以上前から存在したので、
全員が使っていた。
だが、そうではなかった。
今は「ハヤリ」だから多くの者が
使っているだけの事だ。
新素材の新構造シャフトやキュー
もそう。
使い捨て続けさせて消費者に
どんどん次から次に新商品を
買わせるための商業戦略が採ら
れ、それに「大衆」は乗りたがる。
そして、「プロ」がその新商品
の広告塔となり、大量消費構造
にユーザーを引き込むお先棒を
担ぐ。
それが現在のビリヤード界の
経済構造となっている。
1個88円のチョークで世界戦も
戦えるのに、1個3000円のチョ
ークを使ってPRするのだ。
タップも1個800円程だったのに
1個3000円のタップが史上最強
かのような宣伝を展開する。
そして、それらが売れまくる。
次には手袋だ。
ごく最近手袋をしている歴25年
以上とかのプレーヤーは、なぜ
昔使わなかったのか。
それは「ハヤリ」だからだ。
昔の上級者は手袋装着者を「グロ
ーブ君」とか呼称して格下に見て
いた。それは素肌の繊細な感覚
を無視して、ただの滑りだけを
求める大雑把さを批判的に見て
いたからだった。
そして多くの上級者は素手で
プレーしていたし、その本筋を
崩さない軸線がぶれないプロ
や上級者は今でも素手でプレー
する。エフレン・レイエスなど
は典型だ。
思うに、今の時代は、かつて
1980年代後半にじわじわと
蔓延したベナンベナンのキュー
と同じくベナンベナンの時代
なのだと思う。
それはかつてのような物質的な
背景に基づくものではなく、
仕掛け人たちによって「作出」
された「ブーム」に乗るのが
トレンディ(死語)であるかと
思い込む「大衆」が大多数で
ある、という意味において。
次の使い捨て消費商品の狙いは
何だろう。
思うにウエアや靴ではなかろう
かと推測する。
室内で着帽したまま人様に「指導」
とか言って教えている者もいる
ので、帽子かもしれない。
人様にお教えするときも着帽
しましょう、みたいに。
これ、冗談ではなく、そうなる
かも知れない。
これまでの世界的潮流は、今世紀
初頭からすべて日本人が作り出し
た。
社会的な礼儀知らずの無礼行為
も既に自称「指導者」の「コーチ」
によって開始されている。
着帽ビリヤードもそのうち日本
で「流行」するのかも知れない。
開発途上国=後進国などはごく
フツーに多くが着帽でプレーして
いる。プロでさえ。
それが日本から再発信で全世界に
広まるかも知れない。
ベナンベナンの時代。
世も末だ。
TADコハラさんが作ったTAD
純正ジョイント・プロテク
ター。
この白デルリンのネジは市販
されていないので、TADさんが
削り出しで作ったのでしょうね。
他のメーカーの純正プロテク
ターなどでは金属ネジの物も
あるが、そのヘッドが滑らかに
丸い金属ネジはアメリカでは
市販されている。
ただし、樹脂ネジは私は市販品
は見たことがない。
このTAD製のデルリン製プロテ
クターはネジ部もデルリンだと
思われるが、本体一体型ではな
くねじ込み式だ。
だが、緩んだりする事はなく、
きっちり接着されている。
たぶんデルリンも接着できる
接着剤で固定されたデルリン
ネジなのだろう。
だが、TADの場合、キューエンド
のデルリンは緩み防止のために
キュー本体とデルリンがねじ切
り加工が施されて締め付けられ
ている。
なのでウエイトボルト締め付け
方式ではなくともキューエンド
が緩まない。
エンドゴムは木ネジどめ式。
最大のチャンスでもある。
イエローマイカルタの先角を
持つオールドショーン。
非常に美しい色合いを放って
いる。
ウェスティングハウス社の
本物のマイカルタだ。
日本のビリヤード界やギター
界ではミカルタという誤読が
一般的だが、正確にはマイカ
ルタと発音する。
日本のナイフ業界は正しく
マイカルタと表記している。
MICARTA はミカルタではなく、
マイカルタである。
現在は買収され別会社がマイ
カルタの商標権を有している。
しかし、マイカルタにはいろん
な種類があったが、イエロー
リネンマイカルタの色合いと
質感は本家ウェスティング
ハウス社の製品が非常に良い。
このoldの個体は競売で20万円
で落札された。
この当時のショーンとしては
非常に低価格で落札されたと
思う。
イエローマイカルタは経年変化
でオレンジがかり、さらに飴色
に変化する。
マイカルタのハンドルのナイフ
を持っている人なら分かるだろ
うが、マイカルタは経年変化に
より濃淡が部分的にグラデーシ
ョンのように濃くなり、やがて
その濃い部分が広がってさらに
色が変化する。
その変化途中の様子は、トップ
の画像からも見て取れる。
先角のタップ寄りがイエローが
かっているが、これが元の色に
近い。
根元のほうは蜜柑色が入って
来ている。
リネンを樹脂で圧縮硬化させた
絶縁化学工業素材なのだが、経
年で色彩が変化するのがマイカ
ルタだ。ホワイトマイカルタな
どはまるで象牙のようにパティ
ーナ変化を見せるので面白い。
のようで、フィクスドナイフな
どを革シースに入れっぱなしだ
と、シース内部と表に出た部分
でまるで中学生のテニス部女子
のソックス日焼け痕のように色
の違いがくっきりと出る。
そして、それの色は元には戻ら
ない。
イエローマイカルタは、レモン
色の頃が一番爽やかだ。
やがて、それはオレンジの蜜柑
色が出て来て、やがて飴色に
なる。
私のショーンの先角も、象牙の
パティーナのような薄だいだい
色だったのが今では濃い蜂蜜の
ような色に変化した。
(私の1983年製ロバート・ランデ・
ショーンR21の先角)
元はこの真ん中の感じの色だった。
厳密にはこれよりもやや薄いオレ
ンジ色が入ったあたりの感じ。
まさに、本記事トップ画像の
先角の色の変化途中の感じが、
私がランデキューを入手した
当時の色だった。イエローに
蜜柑色が混ざるグラデーション
段階だった。
私のランデキュー本体は1983年
製で、最初の所有者はアメリカ
本国で購入して日本に持ち帰っ
た。同じ製品は日本国内はもと
より、米国でもネット情報では
ほぼ見たことがない。貴重な
チューリップウッド製だから
同一モデルは極めて少ない製作
本数なのかもしれない。
似たデザインの作はそこそこ
見たことがある。ただし、チュー
リップウッドではない。マグロ
黒檀も象牙インレイも無い。
これは確か型番R-19ではなかった
ろうか。
私の作と同じ型番のデザイン作
はネットでは海外売買サイトに
あったこれ1本しか見た事が無い。
ただしリングが私の個体とは異
なる。(ショーンはオーダーで
メタルリングか木製ダッシュド
ラインリングかを選べた)
チューリップウッドの大材は木
材で一番高額な材料ではなかろ
うか。
チューリップウッドを使って
ヨーロッパの某王朝と同じ家具
を作ったら、現在価格で5億円と
いわれている。
チューリップウッドは赤っぽく
オレンジがかったとても美しい
木材だ。大木にはならない。
現在輸出入禁止木材。
このキューは40年前に製作され
た。40年の年月が過ぎようとも、
撞球性能に衰えは一切無い。
ショーンとはドイツ語で美しい
という意味だが、その名の通り
美しい。型番R-21、1983年製。
普通のスタンダードラインでは
なくカスタムラインなので、
一般カタログには載っていない。
サウンドは透き通る高音を発する。
げた(笑