東京の友人が旧友たちとの同窓
会を開いた。
全国各地から四半世紀以上前の
昔の玉仲間が集まったという。
北は北海道から。
そこで、旧友が持って来た
ガス・ザンボッティを友人
は撞いたという。
しなりも良く、打感が素晴らし
かったらしい。
友曰く「酔わせてくれるキュー」
との事だ。良い表現だ。
ガス・ザンボッティ。
(1931-1988)
イタリア系移民のアメリカ人。
1969年からファラデルフィアで
キュー作りを始めた。
初めてキューの八剣を作った人。
彼の作るキューは精巧で、かつ
性能が良かった。
バラブシュカにもブランク等を
提供していた。
バラブシュカは組み立て屋だが、
ガス・ザンボッティは一からキ
ューを作る職人だった。
彼より先輩はランボウやバラブ
シュカやTAD等がいたが、また
たく間に彼はアメリカンプール
キュー製作の第一人者となった。
バートン・スペインと並んで、
キューの歴史を作った人だ。
1988年に57歳で他界。
業務は息子のバリーが引き継い
でいる。
ザンボッティのキューはバラブ
シュカと同じく高額になりすぎ
た。
今では1作1,000万円以上する。
日本刀の国宝が一口(ふり)5億
円、御番鍛冶の菊一文字則宗
が6,000万円、江戸初期の
虎徹で1,700万円程なので、
虎徹とほぼ同額あたりか。
ハギなどがとても上手ではない
息子バリーの作品でさえ父親の
後光で現在1本600万円以上
する。
1980年代はガスの作はまだ買
い求めやすい金額だった。
アメリカ国内で20万円程だ。
適正価格である。
だからこそ、多くのプレーヤー
に親しまれて使われてた。
TADと同じく。
80年代末期に日本と台湾と香港
の投資家が世界中からキューを
買い漁り始めて、キューの金額
が暴騰した。
TADはまだ存命だったので金額
の暴騰は見られず、適正価格の
ままだった。
だが、TAD=コハラタダチさん
死亡後は価格が暴騰した。
30万円で買えたTADは、今や1本
180万円程する。
ガスに比べると安いが、それは
TADの生産量が多いからだろう。
ガス自身がインタビューを受けて
キューの説明をしている貴重な
映像。
Gus Szamboti Legend Cuemaker
ザンボッティ本人が自ら解説し
てキューの金額も説明しているが、
このガスザンボの八剣のファン
シーモデルが950ドルである。
1ドル200円台としても20万円
程あたり。
一般的キューが5万円の時代
にそれ。適正価格だ。今一般
キューが10万円としても約40万
円相当だ。
適正価格である。
1980年代中期あたりまではそん
な値段だった。ビリヤード界の
市場は世界的に健全だった。
資本家たちによって、金になる
からとザンボッティキューは、
スポーツの道具から貴金属のよ
うにされてしまった。
それは、とりも直さず、使わな
い飾り物になった事を意味する。
人が使う事を支える元設計士で
キュー職人に転じたガスは、そ
んな事は決して望んでなかった
だろう。
ガスのキューは多くのビルダー
に影響を与えた。
近代キューの基礎を作った人だ
からだ。
ポール・モッティも影響を受け
た一人だった。ポールは既に
引退したが、ザンボのコピー
モデルを作ると、息子のバリ
ーなどよりも遥かに精巧で、
かつ性能が良いキューをポー
ル・モッティは作った。
サインがなければ、ガスの作
にしか見えない程。
ポール自身は、米国内で名うて
のプレーヤーだった。
私のポール・モッティのガス・
ザンボッティモデル。
ラッキー菱沼さんが個人で注文
してリリースした個体。
私は疵を一切つけずに使い倒し
た。
押しが鬼押しのキューだった。
造りに隙は全く無い。四剣の
剣先もピタリと合っている。
現在は、玉撞きをやめてしまっ
た友人が持っている。かつて
懇請されて進呈した。今は
全く使われていないようだ。
このポールキューを使って私が
プロと長時間相撞きしていた
時、最初ガス・ザンボッティ
と間違われた。プロが撞いて
みて、自分の高級アメリカン
カスタム(あまり手に入らな
い有名な作者)と交換して欲
しいと申し入れられたが、
私は断った。
ポールのキューはそれほど性能
も優れていた。
ガス・ザンボッティの写し物を
作るならば、見てくれだけが
綺麗に似てても、それはただの
見かけ倒しになる。撞球性能こ
そが命であるのがビルダーが作
るカスタムキューだ。
お飾りではない。
昔の日本の武士は、いざ鎌倉の
時にはたとえ伝家の宝刀だろう
と、戦場拵に仕込んでいくさ
に臨んだ。
日本刀とは本来そういう物だ。
ビリヤードキューとて同じだろ
う。